2012/06/30

Harris 1983:ペットの選好と名前

ペットの選択と名付けに及ぼす要因

Harris, Mary B. 1983
Some factors influencing selection and naming of pets.
Psychological Reports, Vol 53(3, Pt 2), 1163-1170.

キーワード:
sex & preference for indoor vs outdoor life, preferences & selection & naming of dogs & cats, pet owners
抄録:
ペットの名付けと選択に影響を及ぼす要因を明らかにする3つの研究が実施された—ペットオーナー224名に行った質問紙調査、刺激人物の特性を操作した実験研究で、ふさわしいペットの種類とペットの名前がたずねられた(n=198)。3つめは獣医のカルテ研究(n=84)。オーナーはたくさんの理由で(多かったのは愛情と親交)、さまざまなペットを飼っていた。2つの分類システムを適用した結果、ペットの名前とペットないしオーナーの特性との間の関連は見られなかった。例外は犬の名前で、もともと飼いたかったペットの名前が犬の名前に反映されていた。けれども、オーナーのいくつかの特性は飼っているペットの特性と関係していた。女性、屋内活動を好む人は小型犬を飼っていた。雄のペット、犬、大型種は男性に好まれる傾向にあった。犬、とりわけ大型犬は屋内派には好まれない傾向にあった。つまり、大型種は家に住む誰かに向いていた(意味不明)。
Conducted 3 studies of factors influencing the selection and naming of pets: a questionnaire survey of 224 pet owners, an experimental study manipulating characteristics of a stimulus person and asking for recommendations for a pet and its name (n = 198), and an archival study of a veterinarian's records (n = 84). Ss owned a variety of pets chosen for a number of reasons, especially love and companionship. Two classification systems did not show a relationship of pet names to characteristics of the pets or their owners, except that Ss' desire for original pet names was reflected in the names of their dogs. However, some characteristics of the owners were related to characteristics of the chosen pets. Females and persons preferring indoor activities owned smaller breeds of dogs. Male pets, dogs, and larger breeds were recommended more often for a male. Dogs, particularly large breeds, were recommended less often for an indoor person; larger breeds were suggested for someone living in a house.

2012/06/29

毎週金曜日

国会議事堂前駅。改札を出ると、すぐ近くでデモ開催情報源の調査。見ると、「Twitter」が最も多く、以下、「人づて」「Web」「Facebook」。ついで「Blog」「テレビ」「(ケータイ)メール」「団体からの告知」の順。「LINE」は0だった。

3番出口を出ると、既にあふれ返っていて身動きが取れない。人、人、人。

人が車道にあふれ、やがて車道も人で埋まる。いったい何人いるのか、あきらめない人たち

このように定期的に集まるのは新しい習慣かもしれない。毎週、金曜日、ここに行けば誰かが声をあげている、みたいな。広場の代わりかも。


2012/06/28

「無縁社会はみんなの努力の結果である」

いつだって大変な時代』の第6章。と、ここでは章タイトルの紹介だけ。
さて名前の第5章は「子供の名前を自由に付けてはいけない」。
以下、小見出しリスト。
不思議な市名
本末転倒の名付け
優柔不断な駅名
名前に意味はない
自分の名前は自分で決められない
真のオリジナルはめざさないほうがいい
名付けの型がなくなってしまった

彼の記述をとびとびに。
名付けは、本来、「切る」行為である。つまり他のものと区別するための行為。新たな存在を生み出す力がある。命名に意味はないが、力はある(ここで『ゲド戦記』を紹介)。名付けの本質は分別が目的で、「表す音ないし字」を作り出すことが目的ではない。音(ないし字)と本体とは無関係。個人個人が別々の名前を持ち、それぞれの個性を持って生きていこうというおためごかしは、名前は自分で選んでいない、という不愉快感を顕在化させるだけ。社会優先なのか個人優先なのか(←ボクの今回のインタビューの結論でもある)。

おまけ
型を身につけなければ型破りはできない、そうでないのは形無し。これを言ったのは立川談志だった。すっかり忘れていた。

2012/06/27

『ふるさとをあきらめない』

副題は「フクシマ、25人の証言」。で、和合さんのインタビュー集。
なかでも、パチンコ店店長、高橋香さんのインタビューがおもしろ悲しかった。
「大きく揺れても、当たってるお客さんって絶対離れてくれませんでしたね」。
長男が障害児。で、そのことを話すと避難所で断れたり、「障害児が自分の家族にいなきゃ分かんないことって、いっぱいある。たとえば、ホールボディカウンターによる放射性物質の検査」。障害児は対象外。理由は、測定時間の5分間、じっとできないからだと言う。やってみなけりゃわかんないのに。

おまけ
インタビューの教材としてもいい。

2012/06/26

金大中自伝II

ようやく読了。
以下、抜粋。

名前
「韓国人は、姓を命より大事なものと考えます。ところが、日本は私たちの姓を日本式に変えるようにし、韓国語を禁止しました」。
「日本という他国で、沈寿官一族は」「韓国人であることを忘れず、自らの姓を一四代にわたって四〇〇年間守ってきた」。

痕跡
「フランスのルーブル美術館では、朝鮮時代の陶磁器が陳列された場所に敷かれたカーペットが一番早くすり切れてしまうそうです。一度見た人がまた、繰り返し見たくなり、観覧者は他の三倍にもなるそうです。技術はそんなにすばらしくはないが、陶磁器に込められた無心と無欲がヨーロッパの人たちを魅了するのです」。

国のトップ間のコミュニケーションが随所に登場する。びっくりしたのは飛行機で国境を越える際、その国のトップから電話が歓迎の電話が入ったりすることだ。

金大中の揮毫は「実事求是」。意訳すると、「書生のような問題意識と商人のような現実感覚」(波佐場清の解説)。青臭さとしたたかさと言えばいいだろうか。政治家の2条件でもあるだろう。

2012/06/25

『いつだって大変な時代』

堀井憲一郎の著作

第5章が名前(前著『落語の国からのぞいてみれば』の誕生日の章もよかった)。その前章「個性の尊重で世界はどんどん歪んでいく」も説得力がある。
曰く、「個の尊重が少子化を進める」。
「集団を分化していった先に、子供がたくさん生まれてくるはずがない。個が完全に尊重される社会では、子供は増えない。ものすごく大勢の子供がいるならば、そこはそれで窮屈で集団としての生活を余儀なくされるわけで、個の尊重は少子化を進めていくばかりである」「分割は発展にはつながらない」。
さらに「個人が拡大して、個人の領域ばかりを広げていくと、やはり、われわれは不安になる」「個人消費を優先してゆくかぎりは、われわれは社会としてはゆっくり沈んでいくしかない」。

でようやく、第5章「子供の名前を自由に付けてはいけない」。

2012/06/24

スパイ大作戦

S大学のオープンキャンパスに深く潜入して来た。

まず社会イノベーション学部の学部説明に参加。前半はイノベーションの意義、後半が学部紹介。200人ほどの教室はほぼ満席。担当者は、あるときは高校生向けに、またあるときは保護者向けに、と話題を使い分けての講義。いやあ、大変だ。

そのあと休憩で、個別相談会場へ。

マスコミュニケーション学科のデスクを見ると、Kさんが相談対応中。このあとは休む間もなく学科説明とか。いやあ、大変だ。

Kさんによる同学科の説明は12時から。会場に行くと、既に満席。いつの間にか立ち見状態になっている。参加者は優に100人を越している。スライドなしの語りかけは奏功。中には、じっと見入っている高校生も。

Kさんにお昼をご馳走になっていると、Sさんがいつの間にか隣で食べている。「あれっ、どうしたんですか」。自白した。

写真は8号館の案内矢印。この看板の手前に左に行く通路があり、つい左折しそうになるが、実は、8号館は、直進して、その先を左折なのだった。

昨日は東京地区の保護者会。1年生の親御さんに学部の説明と学生生活のアドバイス。このボクが話しても説得力はないかも。

2012/06/22

授業公開2日め

午前中は所有研究会。東北に調査で行くことになりそう。
午後は、文化人類学の授業を聞いた。テーマは結婚。レヴィ・ストロースの交差イトコ婚。開始後30分ぐらいで呼び出され、この様式の意義が聞けなかった。
夕方は団交(懐かしい響きだぜ)。

2012/06/21

授業公開

今週は授業公開週間。保護者も教員も聞きにいける。ただ事前申し込み要。
社会学の授業を聴いた。フーコーをこの数回取り上げているとのことで、今日はパナプティコン(一望監視装置)とdiscipilne(規律)。後半で主体ということばが頻出する。そうsubjectだ。
しかし、どうも用法が違う。調べると、この語に、こんな意味があった。
「臣下, 家来, 被統治者」
ふだんの意味と随分違う。

sub(下に)と、ject(投げ出す)の合成語がsubjectだ。
ネットで、こんな記述に出会った。著者はschaumlos

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subjectに於ける相反する意味の同居、それは近代的主体が二重化された主体ないしは身体であることをほのめかしている。一つは、囚人自らが看守の肩代わりをしてみせたように、自己を監視し、自己に対し命令する主体であり、もう一つは、自分に監視され、命令され、行為する主体――「従順な身体」――である。このように二重化された主体は、常に自らを監視し、厳しい「規律・訓練」(「ディシプリン」, discipline)を自身に課すようになる。また、この主体を尽きない試験、つまり達成する毎に更に先へと設定される「ノルマ」(試験)が取り囲み、規律・訓練は永遠・無限に施されることとなる。
かくして近代的主体は、権力に対して大人しく従順であるのみならず、強制されることがなくとも、「自己への配慮」を欠かさずに自主的に権力にとって都合の良い行為に勤しむ。このようなものとしての主体が出来上がると、人間は、最大限の経済的利用が可能な身体に生まれ変わる。権力が身体を利用可能なものとして発見したとき――近代的主体が誕生したとき――、それはまた、近代資本主義の歯車が回転し始めたときでもあるのだ。単なるバカ力の持ち主はいらない。命令のシステム内に収まる連中のみが必要とされるのだ。(だから例えば、どんなに力持ちでも、工場や軍隊、運動会や体育の授業なんでもいいが、規則・規範(ルール、ノルマ)に従えない者ははじき出される。)フーコーはこんな風に言っている。「身体は生産する身体であると同時に服従せる身体である場合にのみ有効な力となるわけである」。「主体」や「個性(別)」を叫ぶとき、われわれは率先して権力に「従順な」身体になってしまっているのかも知れない。

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近代社会が礼賛する「個性」のあやうさ。はじき出されることのない健気な個性。

授業を聴くのは新鮮な経験だ。明日は文化人類学を聴きにいく。

2012/06/20

Sam 2012:人類みなきょうだい

すべての人間が私の仲間集団である:人類一体感の測度と研究
All Humanity Is My Ingroup: A Measure and Studies of Identification With All Humanity.
McFarland, Sam; Webb, Matthew; Brown, Derek
Journal of Personality and Social Psychology, Jun 18 , 2012, No Pagination Specified. doi: 10.1037/a0028724

心理学者のアドラーとマズローにとって、十分に成熟した個人は人類全体に深い愛を有する。それは仲間集団に限定されない。本論で報告するのは、その新しい測度(人類一体感尺度)、IWAHに関する一連の研究である。これらの研究によれば、人類一体感はエスノセントリズム(自民族中心主義)と関連主義の欠如にとどまらず、共感性や道徳的根拠、道徳的アイデンティティ、普遍性価値の存在にとどまらない。これらの研究から、IWAHは地球規模の人権と人道主義欲求への関心を予測し(研究1と2)、それは時間的に安定し(研究3)、他者をどのくらい身近に感じられるかと関連していた(研究4)。IWAHは一般成人サンプルの2集団メンバーを明確に区別できた(研究5)。さらに、内集団メンバーと外集団メンバーの生を同等に価値づけ(研究7)、地球規模の人道主義に関する知識とも関連し(研究8)、これらの関心に関する学習を好んでいた(研究9)。また国際的人道主義的救援に貢献したいとの意志とも関係していた。回帰分析の結果、これらの結果は関連概念より優位であった。心理学者が焦点を当てるのは、自民族中心主義とその原因といったネガティブ特性であるが、われわれが示したのは、人類一体感というポジティブ特性も広範な研究に値することである。

Abstract
To psychologists Adler (1927/1954) and Maslow (1954), fully mature individuals care deeply for all humanity, not just for their own ingroups. This paper reports a series of studies with a new measure of that caring, the Identification With All Humanity Scale (IWAH). These studies together show that identification with all humanity is more than an absence of ethnocentrism and its correlates and more than the presence of dispositional empathy, moral reasoning, moral identity, and the value of universalism. Across these studies, the IWAH predicted concern for global human rights and humanitarian needs (Studies 1 and 2), was temporally stable (Study 3), and correlated with how close others see one as being (Study 4). The IWAH strongly distinguished members of 2 known groups from a general adult sample (Study 5). It predicted valuing the lives of ingroup and outgroup members equally (Study 7), knowledge of global humanitarian concerns (Study 8) and choosing to learn about these concerns (Study 9), and a willingness to contribute to international humanitarian relief (Study 10). In regression analyses, it predicted these results beyond related constructs. Although psychologists have focused extensively upon negative qualities such as ethnocentrism and its roots, we suggest that the positive quality of identification with all humanity also merits extensive study.

◎台風一過。さて、実際の項目を見ないと何とも言えないが、概念は有効でも、項目ベースでは、それぞれ文化に合わせる必要があるかもしれない。ポジティブ面への注目は、回答する側へのメリットも大きい。

2012/06/19

Sias 2012:職場の人間関係と電子コミュニケーション

電子的につながっている組織での職場友情
Patricia M. Sias, Hannah Pedersen, Erin B. Gallagher and Irina Kopaneva
Workplace Friendship in the Electronically Connected Organization
Human Communication Research
Volume 38, Issue 3, pages 253–279, July 2012

本研究が検証したのは情報通信技術と職場の友情力学である。対象となった雇用者は、同僚との友情形成に影響を及ぼす諸因子について、さまざまなコミュニケーション手段を通じた仕事仲間とのコミュニケーションのパターンと知覚について回答した。その結果、パーソナリティや共有タスク、類似度認知が同僚との友情形成において重要な因子となっていること、仕事仲間との物理的近接性の重要性は職場での電子的つながりを低いものにしていることが明らかになった。結果から確実になったことは、職場での友情形成と維持にはたす対面相互作用の優位性である。メール、電話、ショートメッセージも同僚間のコミュニケーションで中心的役割を果たしている。テレコミューティング(在宅勤務)に費やす時間は同僚との友情形成やコミュニケーションに影響を及ぼしていた。結局、世代差はネットベースのコミュニケーション手段に起因する。

This study examined information communication technologies and workplace friendship dynamics. Employees reported factors that influenced their initiation of friendship with a coworker and reported patterns and perceptions of communication with their workplace friend via different communication methods. Results indicated that personality, shared tasks, and perceived similarity are the most important factors to coworker friendship initiation, and the importance of physical proximity to workplace friendship is diminishing in the electronically connected workplace. Results confirm the primacy of face-to-face interaction for workplace friendship initiation and maintenance. E-mail, phone, and texting were also central to communication among workplace friends. The amount of time spent telecommuting affected workplace friendship initiation and communication. Finally, generational differences were identified with respect to Internet-based communication methods.

◎対面は大事、歩いていける範囲では。だから学内をあっち行ったりこっち行ったり、ということになる。

2012/06/18

心の形

今日の院ゼミで、心の形が話題になった。レヴィンの図では楕円形がよく登場する。
そこで院生に心を絵で書いてもらった。一人は、氷塊をイメージした三角形。精神分析の意識–無意識図が念頭にあると言う。もう一人は円。特に根拠があるわけではないけど、「なんとなく、そんな気がする」。
それを受けてボク。
「心」という漢字の成り立ちをまず説明。「心」の元になっている金文はおちんちんに見えなくもない心臓。かつて心は心臓にあると思われていたし、腹にあると思われていた時代もある(読んだばかりの安田登さんの受け売り)。
円ではなく、なぜ楕円か。楕円だと転がらない。だから上下左右による説明も可能になる。とか言ってお茶を濁した。

2012/06/17

「学生の見たポーランド」報告会

関西学院大学のあるゼミの報告会に参加して来た。

前半は田中先生の写真による報告。13年前に行ったときにくらべ、すっかり西欧化して、明るくなったと語ってくれた。

この海外研修は文科省の支援制度を利用したものらしい。こういう制度があることを知らなかった。海外に行かなくなった若者をなんとか行かせようとしてのこととか。調べなくては。

田中先生の話で印象に残っているのはアウシュビッツ強制収容所の話。日本人ガイド(中谷さん)による解説がレシーバー経由で流れる。これはきちんと聞こえるためではなく、大声を出すにふさわしくない場所ゆえの配慮。もう1つは、ここが単なる歴史的「遺産」という受け身的な意味あいではなく、今後同じようなことを人間はするかもしれない。だから、そうしないためのブレーキ役という能動的な役割を与えられた場所として維持されていること(ユネスコの「負の遺産」の理念)。


2012/06/16

梅雨の土曜日

午前中は官邸前。ボクが行く時はいつも人数が少ない。主催者発表で600人。

午後は大学同窓会のとある支部総会で所沢へ。所沢駅を降りるのはおそらく30年ぶり。「渋谷方面」の表示のあるホームもあったりと、「ここはどこ?」感に襲われる。

懇親会の席上、税理士をしている卒業生から「いい本」を教えてもらった。『バビロンの大富豪』と『菜根譚』。ああ、あと一冊が思い出せない。「今も昔も人間って変わらないんですね」。論語の解説本を読んだばかりだったこともあり、おおいに納得。

2012/06/15

長野から戻る

今日の長野は30度。

朝から母の受診で病院へ付き添い。受診科に向かって車椅子を押していると、向こうから同じような組み合わせ(老母と息子)の人がやってきた。かれらも車椅子だ。息子さんらしき人と目が合ったとたん、どちらからともなく会釈。エールを交わしたような錯覚に襲われた。今日は、同じような組み合わせに数組出会った。
老人ホームに戻ると、新しい入居者が床を這いながら大きな声を出している。そのようすを説明するかのように、スタッフが「一週間前に入ったお客さんなんですよ、まだ慣れないみたいで」。「えっ、お客さん?」。あんまりではないか。

行き帰りの車内で『身体感覚で『論語』を読み直す。』を読む。漢字の成り立ちから論語を解く。人生80年とすれば、40までは修行を積む時期。「この時期までは、自分探しやスピリチュアルなことなんて考えてはいけない」。自分なりの考えや個性なんてことを考えるのはそれから、と論語は説く。

2012/06/14

長野へ

長野駅前、飲み屋は多いが、夕食を取る適当な場所がない。朝はホテルのいいビュッフェがあるので、困らないのだが、夕食を取る場所にいつも苦労する。7時までであれば、選択肢はいくつかあるのだが、それをすぎると皆無に近い。お寿司、中華料理、牛丼程度で、あとは居酒屋ばかり。
この問題さえなければ快適なのだが。

2012/06/12

「ぱーっ」とやりたい

卒論指導がてら、世間話になった。

ひとりの学生は昨年一年、日本中を旅していた。青森ではことばが聞き取れなかった経験をし、沖縄ではおばあたちの歓待を受け、しかも泊めさせてもらったそうだ。都会を離れると、人なつこい人によく出会う、とも。「東京にいると、息苦しくて」。今年は、日本語の通じない海外に行きたいと言う。就職面接では、将来、海外で○○になりたいので、30ぐらいになったら辞めるかもしれないと言って通ってしまった学生だ。

もう一人の学生は進学をめざしている。「大学に来て、ようやく勉強したいことがわかった」。高校時代に、こうした経験ができればよかったと高校不要説。高校時代の話に及ぶと、ニュージーランドにホームステイし、のびのびできた。人もフレンドリーで楽しかった。「日本は息苦しい」。進学できなかったら、できないで、やろうと思っていることはあるので、そちらに行きたい、と。

何か事件があると、そのたびに規則や規制が増え、ますますがんじがらめ。小学校では、男も女も「さん」で呼びましょう、はじめ、こまかいところまで管理される。男女平等はわかるけど、強制は嫌だ。ふたりの一致した意見だった。池に人が落ちても柵を作らないニュージーランド。すぐ柵を作る日本。

若者の不満は、人の力を削ぐ日本の現状に向けられている。

2012/06/11

老人力

10時の約束を失念。先方からの連絡で気づいた。
手帖には書いてあったのだが、朝、一日のスケジュールを確認するのを忘れたためのポカ。
迷惑をかけてしまった。
午後の大学院ゼミで、中国では「富二代」ということばが流行っていることを教えてもらった。親が金持ちであるだけで裕福な生活を送っている子世代を揶揄することばだ。

2012/06/10

梅の実

庭にある梅の木。実もたわわ。
落ち始めたので摘むことにした。
梅ジュースにしたいと言うが、大丈夫だろうか。
今日は代々木上原の穴場カフェで打ち合わせ。
夕方から降雨。

2012/06/08

悪文の典型

18時すぎ、野田首相が記者会見。
「国民の生活を守るために」「大飯発電所3、4号機を再起働すべきというのが私の判断であります」。
 前の文と後の文が合っていない(テレ朝ニュースからの引用だが、再「起働」?起動と稼働の合成語?)。
「国民の生活を守るために」と来れば「大飯発電所3、4号機を再起働しないというのが私の判断であります」のはず。
「大飯発電所3、4号機を再起働すべきというのが私の判断であります」とするのであれば、「国民の生活を守ることを放棄したので」となるはず。
首相官邸前は「再稼働反対」「廃炉」の渦。

2012/06/07

「吾唯足知」

夕方から組合との団体交渉。
3月までは組合員だったのに、突然「使用者」にさせられての参加。逆転立場の議論は違和感だらけ(ディベートに近いのかもしれない)。役割内容は違うけど、雰囲気はジンバルドーの役割実験(監獄実験)の被験者のよう。
一般に労使交渉と言えば、賃金交渉だったり、労働条件改善だったりすると思うのだが、「わが」労使交渉は内容が多岐にわたる。
考えてみれば、使用者と労働者の懇談会のようなものがないから、こうなるのだろう。いっそ設けたら、いいのでは。それに関連して、使用者と学生との懇談会も開いたら、と思うのだが。
夕食が10時を過ぎた。

2012/06/06

のれんの街

大分の続編。

お昼を取るべく、大分駅前の商店街を歩いていたら、大きなのれんが目に飛び込んできた。

表に回って確認すると、大きな字で「飲んだらのれん」。駄洒落のれんだった。入口と出口の二カ所にかかっている。

福岡でも使えそうだ。

新装なった大分駅。トイレもピカピカ。見ると、入口に下がっているではないか。のれんだ。温泉でもあるまいし、と思ったが、湯布院もある大分県のこと。のれんの出番が多いのかもしれない。

今なら旧大分駅も見られる。

2012/06/05

臼杵石仏

大分に出張した際、用事の前に臼杵まで足を伸ばして、臼杵石仏を見に行って来た。ボランティアガイドの説明でインスピレーションが二つ。

一つ。お地蔵さんは境内の外にある仏さん。言われてみて納得。京都にはお地蔵さんがあちこちにある。役目は子守役らしい。ゼミ合宿は京都だが、お願いごとは悩みの裏返しのこともある。

二つは数え年の発想。生まれた時点で1歳とカウントするのは受胎が生命の原点とみなすこと。お腹の外に出た時点を0とする満年齢というシステム(西洋的?)は生命観に影響を与えている可能性はある。

上の写真は古園石仏(下の写真)の前に置かれていた祈願お線香。線香の種類が祈願のカテゴリーになっている。

帰途、まるしょく屋で関あじのお寿司を作ってもらい「にちりん」にギリギリ乗車。車中ランチ。

2012/06/04

新聞のまとめ読み

週末の遠出で溜まっていた新聞。気になった記事だけ撮影。

(1)スカイマークに喝采。
表現はあれだけど、内容的には賛成できるものが多く、社員ものびのび働けそう。いま、働く人がサービス提供者と同義になっていて、あまりいい傾向ではない。
 (2)入学だけ国際仕様?
ほかのものも国際仕様とやらにしないと、という主張で、ごもっとも。都合の悪いものは置き去り。
 (3)行ってみたい、吹田市立博物館
こんな博物館があるとは知らなかった。行ってみよう。小山さん、いい。
(4)JAXA法の危機
呼びかけ人の一人、池内了さんの寄稿記事。目立たないところで重要な変更が進んでいる。






※ところで、溜まった新聞記事、何日分までであれば読むのだろう。1週間が限度だろうか。

2012/06/03

長野の披露宴

大分から戻り(大分の話はあとで書こう)、長野市内で姪の結婚式。姪は、えくぼ付きの満面笑み。

さて「北信流」と言うらしい。披露宴の最後の方で、主賓の音頭による万歳三唱。そのあと、花嫁の父側からお礼の万歳三唱。計六唱。手が半分しか上がらなかった。

「北信流 万歳三唱」で検索すると、この歴史がヒットする。今度は上まで挙げよう。

最近は宴会の中じめに、招かれた側が万歳三唱を発声し、主催者側がお返しにまた万歳を発声するというように省略した形も見られます。ちなみに宴会の最後に万歳をするのも長野県独特。なぜ信州の北信地方にこの習慣が残ったのでしょう。杯事と呼ばれる儀式で謡を唄ったり舞を舞ったりするのは、戦国時代武将が出陣する折、主君の武運を祈って行われたのが始まりといわれています。北信流も、松代町が発祥と言われ、別名「真田十万石流」とも呼ばれるように松代藩(武家)から興ったもののようです。

そういえば、兄も姉のときも、この万歳をやったような気がしてきた。父親は謡が上手だったことも思い出した。家でよく練習していたからだ。父親の歳を10も超したというのに、謡もできなければ、碁もできない。

テーブルで隣に座っていた母。ボクに向かって「親切ですね。ありがとう」。ボクが誰かわかっていない。弟もわからないようだ。「さっき、いろいろやってくれた人、誰?」

ついに来たか、この日が。

匿名のままでは死ねない

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