2012/01/30

曲がっている

寒風の中、芝周辺を歩いてきた。東京タワー。遠目にもてっぺんが曲がっている。3.11の痕跡だ。周辺に高い建物が増え、タワーだけ撮ろうといろいろ試みても、ビルが写ってしまう。タワーの麓には芝公園があったり、お豆腐料理のお店があったり(タワー同様、高め)、落ち着いた一角となっている。

写真は、三田から見た東京タワー。これを書きたくて三田で撮影。

2012/01/29

目黒線「不動前」

昨日に続き、湯たんぽのお湯でせっせと洗顔。

加藤さんの葬儀に参列。加藤さんは、頼まれると断れないタイプだった。それが病気を早めたのだろうか。

帰途、不動前駅周辺をブラブラしてきた。

まずは駅名にもある目黒不動尊へ。いったん駅前に戻ってから向かったが、地図を見ると、葬儀場の近くだった。
仁王門の前に右向きの→がある。先日降った雪が屋根から落ちる可能性があるので、迂回せよと言うもの。もう溶けてないと思うのだが、念には念を入れて、ということか。お寺さんで怪我したら、シャレにならないものね。本堂は護摩の最中だった。意外にお客さんが多い。受験がらみだろうか。
境内を出ると、うなぎ屋さんがあり、いい匂いがする。その前をさらに進むと、蛸薬師が見つかった。由来は本尊を3匹のタコが支えているかららしい。絵馬では、福を吸い寄せる動物として活躍。
お昼は駅前でカレー。お店の名前がやたら長い。「東印度咖喱商会Fudo-mae,Tokyo総本店」。ほかに支店があるのだろうか。メニューは、ポークカレーと、辛めポークカレーの2種類だけ。800円と850円。角煮風のトロトロ豚、皮付きタマネギ1/4、じゃがいも、人参がポン、ポン、ポンと並んでいる。目の前の棚にレトルトカレーの箱が本のようにずらり並んでいる。研究熱心な店主の趣味で、出かけるたびに買ってくるのだと言う。左端の10箱程度が未開封で「これから」。「山梨には桃カレーもあるんだよ」。抹茶カレーもある。これは静岡産。「いろいろな組み合わせがあって、カレーはあなどれない。カレーってなんだろうと考えちゃう」。研究熱心なだけにうまい。早めにルーが終わりそうになったら、足してくれた。これにはびっくり。メニューには書いてないが、ラッシーが付き、目の前のおばんざい皿から好きなものが取れる。オクラの和え物や大根のあっさり漬けなど数種類が盛られている。

◎今日の買い物。目黒不動尊の節分の豆。祈願済みの「福豆」100円。いいことあるかな、悪いことが避けられるかな?

2012/01/28

今日もブルッ

朝、台所に行くと、ガス給湯器の凍結予防ヒーターのスイッチが入っている。「外気温度が4~2℃程度迄下がると」自動的に入るらしい。
午後はOさんへのインタビューで三番町へ。彼女に会うのは十数年ぶりだ。ボクがわかるだろうか。さて、この界隈は、高級と言ってしまえば、それまでなのだが、いつも特別な雰囲気が漂っている。坂もあり、変化のある散策ができる。しかし、今日は歩いても、なかなか暖まらない。
当然、夕食は鍋。今日は豆乳鍋。

2012/01/27

長野往復

母が入院した。エコノミー症候群で足がパンパンに腫れたためだ。高齢化で患者が増えているのだろうか。病院の廊下には「エコノミーシート症候群とは」の大きなパネルがかかっている。

治療方針、点滴で行くか、手術するか。どちらも公平にリスクとメリットがあり、判断がむずかしい。結局、点滴で様子見となったが、退院だけは早い方がいい。

入院申込書を書いたり、紙オムツを買ったり。その関係で、老人ホームを往復したり、ドラッグストアへ行ったりしたが、義兄のおかげであっという間に済んだ。

今日の長野は朝から雪が舞っていた(写真は信越放送本社前)。

2012/01/26

ファーストネーム

1980年代、レーガンと中曽根が、ロン・ヤスとファーストネームで呼び合うというので、それが二人の親しさのように語られたことがあった。しかし、だからといって「特別な親密感情」が込められているとは限らない。
昨日、読んだエッセイ集『異文化理解の落とし穴』で、あらためて強調されている。
著者の張さんは中国出身で、いま日本の大学の教員。

「漢字の原音読み」という項が面白かった。留学生の名前のルビが人によって違うので、気になっていたからだ。ある学生は、名字が中国語読み(正確には中国語風)で名前が日本語。ある学生は全部、日本語読み。理屈上は全部、中国語読みもありうる。著者は、漢字は音を伴わないからこそ共有されている、と説く。「中国人は自分の名前が日本語ふうに呼ばれても、まったく気分を害することはない。それどころか、ほとんどの人が大いに面白がっている」。最大の理由は「中国語を原音で表記しても無意味だから」と。

名前インタビューで出てきた話と関連することが出ていたので、メモ。
・いまの中国では偶数が好まれる、とりわけ六。「福禄寿」の「禄」と発音が同じだから。ここ数年、異変があり、「八」人気が六を追い越した。「発」に発音が似ているからだと言う。発は、金持ちになるという意味。
・カメを、話し言葉で烏亀(ウクイ)と言う。発音が汚閨と同じため、カメは嫌われものになってしまった。

◎おまけ
「日本ではよほどの事情がないかぎり、誰もが毎日風呂に入る」。中国では珍しい。その代わり、就寝直前に足を洗う人が多い。とあるが、「 」内はそうなのだろうか。僕は一日おきが基本。みんな毎日入るのだろうか。

2012/01/25

逃げ切れるか

今週に入ってから、インフルエンザが猛威をふるっているらしい。
家族ではないが、身近でもかかった。
食事と睡眠で乗り切れるか?

21日、同僚が亡くなった。寝耳に水。急だったのだろうか。落ち着いた感じが残っている。合掌。
加藤裕己氏(かとう・ひろみ=元内閣府官房審議官、東京経済大教授、経済政策論)64歳。通夜28日午後6時、葬儀・告別式29日午前10時から、桐ケ谷斎場

2012/01/24

確定申告の準備

今日は、医療費と寄付の計算。
昨年の寄付先は、長野市に加え、福島県、福島大学、赤十字の4件。

2012/01/23

東京も雪

朝まで降り続けるらしい。

20時45分、福島で震度5。
今日も、とんでもないニュースがつぎつぎと飛び込んでくる。
「原子力災害対策本部 議事録全く作成せず」(本当?)
「電力『余裕6%』公表せず、政府、不足のみ示す」

緊張を維持するのはしんどい。だんだん不感症になって行く。それがこわいよ。

2012/01/22

東北の2日め

前日、今日の行動計画を立てるべく、フロントで相談したが、行きたい場所には簡単に行けないことがわかった。結局、タクシーを借りて、途中あちこち寄ってもらいながら、石巻まで行ってもらうことになった。運転手さんは隣町の人。かろうじて立っている建物は学校か病院。それでも中は空洞。
石巻までのルートは旧北上川沿い。
山側に入るに従って、災害の痕跡も意識も希薄になっていく。そんなところに、急にものすごい光景があらわれた。称法寺の境内だ。墓石は崩れたまま。そもそも地面が歪んでいる。
その後は想像を絶する光景の連続。
石巻港に到着。
車を降り、歩くと、目の前は壁のようなガレキの山。足下は一見単なる泥なのだが、踏むと、靴底に付くのは重油まじりの黒い土。左上の写真の奥に見えるのは日本製紙の工場からの煙。

石巻は石ノ森章太郎の出身地。ということを今回、初めて知った。駅周辺は、彼の作ったキャラクターに満ちている。お昼は、駅前のチェーン店で、カレイの一夜干し定食。あいにく品切れとかで、カレイは急遽作った30分干し。

仕事なしの2日間。気が緩んだのか、最後、バッグをシートに置いたまま新幹線を降りてしまった。回送前のギリギリセーフ。

2012/01/21

ようやく東北へ

昨日、雪の東京をあとに南三陸へ向かった。ずうっと気にかかりながら、なかなか行けなかった旅がようやく実現した。カラスさんに感謝。

仙台駅前で牛タンで腹ごしらえ、準備万端ととのえてシャトルバスに乗ること2時間。着いた先は「南三陸ホテル観洋」。今日の宿だ。

夕食までの2時間程度を町の中心部へ。廃線跡のような気仙沼線を歩く。そのまま行けると思ったら、橋がない。橋の跡さえない。道路に戻り、仮設の鉄板橋を渡る。

ガソリンスタンドで聞くと、かろうじて残っている建物は南三陸署。そして、その右側の向こうに見える鉄骨だけの建物。それが「防災対策庁舎」だという。近づくと、正面に祭壇が用意されている。居合わせた人が合掌して去っていった。骨組だけの姿は広島の原爆ドームに近い。

周りを見渡しても、目に入るのは、がれきの山を築くだけのブルドーザ。まだ先が見えない。近くに仮設住宅入口の案内板があった。住んでいる人がいるのかいないのか判然としないが、何もないところでの生活は想像を絶する。

ホテルはすっかり復旧していて、利用した範囲では災害を感じさせない。ロビーのボランティア情報の掲示、工事関係者の宿泊姿、近くに住むらしい子どもたちの勉強姿を別にすれば、だが。




2012/01/19

ぼけの顛末

今朝の新聞に、ぼけの本の宣伝が出ていて、隅にチェックリストがチラッと写っていた。
「物のしまい場所を忘れる」「今しようとしていることを忘れる」…と10項目。
あっ、どちらもあてはまると思ってはいた。眼鏡を不用意にふだん置かない場所に置いたままだったら、すぐに見つけられなかったし、ね。
そんな朝、明日の予定を今日と思ったまま、家を出てしまった。しかし待ち合わせ場所に相棒の姿がない。電話して、ようやく気づくありさま。
原因をぼけのせいにしたくなく、手帳を確認。少し納得したが、以前はなかったミスだ。
当初、赤い線で留守にする期間を書いた後、1日目の上に、行き場所(南三陸)を記入。そのあと、その「南三陸」の3文字を留守期間の真ん中と思って、黒い線で留守期間を書いてしまった。メモと同時に日付も覚えておくことが大事だ。
今日は予行演習(笑)。一日得した感もある。さて一日、何から手をつけよう。

2012/01/18

飛田給駅から歩く

論文の抄録だったり、研究活動の記録だったり、日々の記録だったり、と、中身がバラバラの、このブログ。その日は、それしかしなかった、というわけではないが、書くことがそれしかなかった、ということではあるかもしれない。

昨日は名前インタビューで、二度目の外語大。今回は無事、飛田給駅に到着。外語大までは徒歩15分。途中、学校、資材置き場が多い。表札には、特別支援学校などと書かれている。福祉作業所などもある。共通点は規模が大きいこと。資材置き場の入口では警備員に挨拶された。若い頃は、工事中の案内人の人たちに、無視するわけでもないが、特に返すこともしなかった。が、最近は、こちらから挨拶することも増えた。

前日、連絡があり、急遽、2人のポーランド出身者にうかがうことができた。年代は同じなのだが、信仰宗教があるなしで、こうも名前観が違うとは思いもしなかった。旧姓を残したかった人とそうでない人と。ポーランドでは、名字も名前もふたつずつ持てる。

2012/01/16

Apple store

MacBook Airの画面が急に落ちるということが数回あって、渋谷のApple Storeに行ってきた。2階に行くと、雑踏でむせ返っている。大半はiPhoneユーザー。結構、新品に交換してもらっている人が多い。リコールでもあったのだろうか。
帰りは渋谷からバス。
今日は朝からバス三昧の一日だった。

2012/01/15

センター試験のあと

夕方、忘れた書類を取りに大学へ。
センター試験も終わり、キャンパスはひっそり。
この感じだと、トラブルはなかったようだ。
夕食は豆乳鍋。あとで気づいたのだが、無調整の豆乳を使ったら、途中で吹きこぼれそうになった(レシピには書かれていた)。市販の豆乳鍋の素ではこういうことはなかったので、成分が違うのかもしれない。

2012/01/14

名前インタビューの難しさ

名前は文化そのものなので、話をしていても、文脈を共有していないと受け答えが頓珍漢になる。
それなりに準備はしていくのだが、あるときは、それを書いた手帳を間違えて、別のものを持ってきてしまったり。頭に入っているつもりでも、今の話と結びつくことがすぐにわからなかったり。とりわけ、沖縄、韓国、台湾では苦労した。ポーランドはもっと苦労した。その分、文字おこしの時間もかかる。話の流れをうまく作れない。

もうひとつは記録の作り方だ。そもそも対象者を匿名にできないのがつらい。ファーストネームだけで話が完結する場合は少ない。すると、フルネームにならざるをえない。話の中にはいろいろな人が名前付きで登場する。しかし、人名を出すのは原則として本人のみ。それだけに書き方がむずかしい。

これまでは、最終原稿を本人に確認してもらう方法で、なんとか切り抜けている。

インタビューの承諾をもらっている人が、あと3人。これからアタックする人が1人。文献読みも同時に進めないといけない。

ある年長者にインタビューをお願いしたら、学者先生は、こんなご時世に気楽な研究していていいねと言われ、それ以上、話ができなかった。そのときは思わなかったが、これも一つの名前観かと考えることにした。

Hsu 2012:韓中ホームページの内容比較

ウェブページの内容における韓中比較:誰が何について、どのように語っているか

Chien-leng Hsu, Han Woo Park
2012
Korean and Chinese Webpage Content: Who Are Talking About What and How? Journal of Computer-Mediated Communication
Volume 17, Issue 2, pages 202–215.

Keywords: Korea;China; Webometrics; International Information Flow; Content Analysis; Hyperlink Analysis

Abstract
This paper examines how China and Korea communicate through the Internet. LexiURL Searcher was used to retrieve data from Yahoo!, and select 800 random webpages to examine their authorship, subject topic, and website format. The results indicate some similarities and differences between Chinese and Korean webpages. Most of the webpages were owned by firms, and their content fell into 3 categories: “related links,”“education, scholarship, and research,” and “business, economy, finance, and industry.” However, there is an important difference in the webpage format between Korean and Chinese pages: Korean webpages were more interactive than Chinese ones. This difference may be due in part to differences in the organizational culture between the 2 countries. Other potential causes are discussed in detail.

本稿で検証するのは、中国と韓国がネットを通じてどうコミュニケーションしているかである。LexiURL Searcherを使ってヤフーからデータが抽出され、800のランダムなウェブページが選択され、作者、トピック、サイト形式が調べられた。その結果、両国間で共通点と相違点が見いだされた。大半のウェブページは企業の所有で、内容は3カテゴリーに分類された。すなわち、「関連リンク集」「教育・学問・研究」「ビジネス・経済・金融・産業」の3つである。しかし、サイト形式に重要な差が見いだされた。つまり韓国の方がインタラクティブだった。この差は、二国間の組織文化に一部はよっているのかもしれない。それ以外の可能性も詳細に検討されている。

◎コメント
相違の背景はいろいろ検討されているようだが、社会体制の差は?そして、それを超えた普遍的な考察もなされているのかな?Webometric Analyst(LexiURL Searcherの後身)はWin専用だが、フリー。

2012/01/13

むずかしい

昨日、今日と長野。
母の足腰が急に弱まっていて、つかまっても、なかなか立てない。
「なんで、こうなっちゃったんだろうね」。
返す言葉が見つからない。
向かい側の部屋にいる88歳の女性は「キリッ」としている。その隣室の男性は、ぬいぐるみの犬を大事そうにかかえている。

2012/01/11

東京外国語大学

2000年に移転してきた外語大に初めて行ってきた。
京王線の最寄り駅は飛田給。各駅停車しか止まらない。
乗った電車が快速で、調布までノンストップ。どころか、乗り過ごして多摩線に入り込んでしまった。20分待って調布に戻り、どういうわけか、飛田給を府中方面と思い込み、下りに乗車。途中で気がついて、上りに乗り換え。ほうほうのていで飛田給に到着。約束の時間まで数分しかない。
タクシーに乗ったら、運転手が、まっすぐ行ったところにするか、それとも警察学校との境の方に行くか、たずねてきて、また、そこで頭をかかえてしまった。前者だと基本料金、後者だと800円だと言うので、前者にした。それだけが唯一の正解で、数分の遅れで到着した。
帰りは多摩駅に出た。西武多摩川線に乗るのは40年ぶりぐらいだろうか。
来週は、飛田給から歩いて行こう、飛ばないで。

Seo 2012:地震後のメディア接触と援助

四川大地震後の援助意欲
メディア接触、ストレス、信頼、関係資源の効果モデル

Willingness to Help Following the Sichuan Earthquake:
Modeling the Effects of Media Involvement, Stress, Trust, and Relational Resources

Mihye Seo, Shaojing Sun, Andy J. Merolla, and Shuangyue Zhang
(2012).
Communication Research, 39(1), 3-25.

Abstract
Examining individuals’ TV and Internet involvement following the 2008 Sichuan earthquake, this study demonstrates that involvement with disaster media renders positive and negative effects on viewers. Although TV involvement increases perceived stress, TV and Internet involvement predict perceived gains of social-relational resources (e.g., companionship and intimacy with friends and family) and social trust. Media involvement, in general, is also positively related to individuals’ willingness to help people in the affected areas, though this link was mediated by individuals’ perceived social-relational resource gain and social trust. This suggests that individuals’ willingness to help disaster victims is partly shaped by their relatively proximal and personal responses to the disaster coverage.

抄録
2008年の四川大地震以降のテレビやネットの個人接触を検証し、それを通じて、本研究は災害メディアとの接触が視聴者にポジティブ効果とネガティブ効果をもたらすことを明らかにする。テレビ接触は主観的ストレスを高めるけれども、テレビとネット両方の接触は社会関係資源(友人や家族との絆)と社会的信頼の主観的獲得に影響を及ぼす。メディア接触は、一般に被災地における人々への援助意欲を高めるが、こうした結びつきは個人の社会関係資源の獲得と社会的信頼の認知を介している。このことが示すのは、被災者への援助意欲の一部は、被災報道に対する、他の要因よりも、自分たちの身近で個人的な反応によって形成されるということである。

2012/01/10

久々の横浜

今日は横浜駅近くで、横浜時代の学生にインタビュー。
地下何階に相当するのだろう。かなり深い東横線ホームから地上にあがるのは、まさに這い上がる感じで、エスカレータやエレベータがあっても、ちと気が重い。
あまり深すぎるのは、そのことだけでいい影響をもたらさないのではないかな。

2012/01/09

新年、初銀座

昼食後、東銀座まで歩き、岩手県のアンテナショップに寄り道。店内は、相変わらずにぎわっている。ボクは、お決まりの品(雑穀と牛乳とずんだもち)を購入。

銀座駅まで歩き、銀座線で渋谷。井の頭線で浜田山に行き、大学時代の友人と新春鼎談。バカ話で2時間。半分は親のぼけ自慢。ひとつだけメモしておこう。

病院での話。看護士が電動ベッドのスイッチを入れ、母親の上体を起こし始めた。目線の高さが合った瞬間、母親が「上手だね」と一言。「うまいも下手もないのにね」と、友人。

いいぼけ方をしたいものだ。

2012/01/08

夕食は中華

今日の夕食は、初の中華料理。
しばらくは「初」が続く。

写真は、生涯で初めての「あたご柿」。
最初から、干し柿のような味がする。と思ったら、渋抜きをした柿なんですね。
「あたご柿は収穫したときは渋柿です。10月頃収穫をした後、ドライアイスを使い、一ヶ月くらいかけて渋を抜きます。すると、あんなに渋かった渋柿が、甘くてしっとりとした柿に変身。適度な水分があり、とてもなめらかな舌触りです」

2012/01/07

「医す者として」+α

今年初の映画は「医す者として」。

同郷のIさんに、公然と「強制されて」w、「ポレポレ東中野」へ(活気のある、いい映画館だ)。

今日の上映は統合院長の夏川さんのトーク付き。話の冒頭、「冬にふさわしくない名前ですが」で笑いを取る、「若月の一番弟子との紹介がありましたが、お酒の方で」と、おもしろい人だ。15分という限られた時間の中で出てきた話のひとつがお酒のこと。宴席で、故若月院長は積極的にお酒をついで回ったという。それがさまざな場で潤滑油として作用したらしい。ただし、彼は自宅では一滴も口にしなかったし、立って仕事をしていたという。

佐久総合病院は、当初から5:3:2(ゴーサンニ)の法則で運営されてきた。病棟診療5、外来診療3、地域活動(在宅医療)2、という力配分をさす。一人の医師がいろいろな場面で一人の患者を診てきた(若月院長曰く「2足のわらじ」、専門的医療とトータル医療)。患者の家に行くことで、得られることも多い。周りの環境や日常生活のようす、家の雰囲気、…。ところが、医療の「高度化」で、複数の医師が一人を診るようになったことで、人ではなく、症状が基本単位になってしまった(少々陳腐な表現だが、勘弁してくれ)。

佐久総合病院は、この数年で変貌を遂げる。今後の医療体制のモデルになるのかどうか。

窓口にあった、かわいいクッキー(南沢共働学舎謹製)を買って帰った。

◎おまけ
映画館の階段に映画館のポスターが貼られている(一点物)。そこには、あたかも、ボクが来るのを待っていたかのように、こんな言葉が書かれていた。
「無名って無敵だ」
ボクがいましている仕事は相手を弱くしているのかもしれない。

2012/01/06

学内での盗難

そう言えば、関西の大学ではほとんど目にしない。
盗難注意の掲示だ。

慶応も新しい日付の掲示が建物入口に立っていた。

似た注意書きは、東経にもあるし。聞けば、実行犯(グループ)は地域を回っているので、近くの大学が連続してやられるケースが多い。




◎おまけ:関東にあって、関西で見かけないもの

左の隈取りの目。関西は安静なのかなあ。

2012/01/05

ペンネーム

年明け最初の職場、修論提出許可書への押印で。
締切は1/10、来週火曜日。二人とも無事出せそうでほっとしている。
一人はソーシャルゲームの対人効果、もう一人はQAサイトの日中比較。

見田宗介のペンネームがなぜ真木悠介なのか。ググってもヒットしない。代わりの収穫がこれ。
ペンネーム図鑑」というサイトだ。

ついでに調べると、こんな本が出ていた。
著者はまたしても、紀田順一郎。足下に及ぶべくもないが、彼とは関心が似ている。

もう1冊がこれ。

前者について、松岡正剛が「千夜千冊」でコメントしていて、その中に自身の名前についても語っている。

ついでながら「松岡正剛」という名前は、どうみても堅すぎるとおもっている。だいたい「岡」がたった4文字のなかに二つも入っている。そこんとこ、両親は検討しなかったのかと文句を言いたくなるが、お察しのとおり、正剛は中野正剛から父が採った名で、妹は敬子といって、原敬から採った。中野正剛も原敬も暗殺された人物の名で、これはなんとひどい命名をするのかとおもったが、父の言い分としては「人から暗殺されるほどの宿命を背負ったほうがいい」ということらしい。きっと三人目が生まれていたら多喜二に、四人目は栄とか稲次郎になっていたにちがいない。

昨年、偶然にも、中野正剛の碑を福岡で見ていた。

◎おまけ 紀田順一郎もペンネーム。「本名は佐藤俊。学生時代に愛読したきだ・みのるから紀田を、やはり熱烈なファンであった谷崎潤一郎から順一郎をつくったという」(松岡正剛のブログから)。



2012/01/03

名前学会

米国名前学会という学会があり、そこからNamesというジャーナルが出ている。

ということを今日知った。年次大会がなんと明後日から。

NACSIS Webcatで調べたら、以下の大学がNamesを購読中。近いのは慶応か。

ICU 36-53<1988-2005>+
慶大三 1-3,4(1-3),5(2,4),6-21,28-57,58(1-3)<1953-2010>+
東院大 1-52,53(1-2)<1953-2005>+

◎おまけ
東院大?
クリックしたら、東北学院大学だった。

2012/01/02

電柱の突き出た家

鈴木遥さんの著書『ミドリさんとカラクリ屋敷』を読み終えた。

ミドリさんこと、木村ミドリさんは、97歳で、電柱の突き出た家の住人。その彼女の人生と、家の中を調べて書いた本だ。

僕の関心は、変な家もさることながら、ミドリという名前にあった。名前については、3ページにわたって書かれている。以下は、それとは関係なくおもしろかった箇所。彼女の兄のエピソードだ。

病院の採用試験で面接を受けるとき、会場が3階にあった。「長い階段だな」と思って段数を数えながら上っていった。そうしたら、面接官の最初の質問が、階段の段数だった。正しく答えると、感心されて、点数が1つプラスされ、合格した。
実は、彼は息を切らして会場に入ると、「長い階段でしたね」と面接官に話しかけたのだという。だから、上記の質問が出てきた。

運は待つのではなく、そのきっかけは自分でつかものだ、ということをミドリさんは話してくれた。

受験者が面接の質問を作ってしまう、とはイイ。

2012/01/01

初詣

豪徳寺へ初詣。

毎年行っているのだが、元旦に行くのは初めてなようが気がする。例年は2日か3日。大きな線香台(何と呼ぶのだろう)の辺りから参拝の列ができている。正面を見ると、仏殿の扉が開いている。中を見るのは初めて。いつもは隙間から覗くだけ。

私たちの前にいた夫婦。奥さんの方の参拝時間が長く、その間、夫は3度も頭をあげた。何を願ったのだろう。私の今年の願いごとは、原発問題の解決、子どものこと、家内安全、無病息災。


あけましておめでとうございます


あらためて、3.11。
この日、年度最後の教授会が終わり、夕方から開かれる定年退職のHさんの慰労会を待つだけだった。その日常が、14時46分、突然寸断された。
翌日は、韓国へ出かける予定だった。ソウルの宿をキャンセルせねば、と韓国人の同僚に電話してもらったら、サイトで予約した場合はサイトからキャンセルしてほしいと言われ、ガックリしたり(結局、ことなきを得た)。
帰宅をあきらめかけていたところ、弟から電話があり、自宅まで送ってくれるという。3時間ほどかかっただろうか。
家の被害は、お皿が1枚割れただけ。妻は職場泊。
やがて、原発事故のニュースが入り、だんだん気持ちがふわふわしてきた。
3月11日はそんな一日だった。

サバティカルもあと3ヶ月となった。この間、行けるところは行っておきたい。名前インタビューも兼ねて。


☆賀状から
昨年は、じっとしていられず、あちこち飛び回っていました。国内は北海道から沖縄まで、海外は韓国、台湾と周り、国際学会でトルコと、多様な文化を経験しました。なかでも市場を歩くのは楽しく、屋台や食堂では、つい食べすぎました。

今年もよろしくお願いします。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...