2012/04/30

ルーマニア

高校時代の同級生に会いにブカレストへ行っていた兄から帰朝メールが届いた。
その末尾に「ルーマニアは発展するでしょう」とあり、その活気ぶりがうかがえる。ボクが行った中ではベトナムに近いのだろうか。街は若者であふれ返っていて、学園祭のような雰囲気だったホーチミンと。
兄の出発前にググると、ブカレストについては不穏な情報ばかりで気がかりだったが、いやな経験はしなかったようだ。会ったら、話を聞こう。

2012/04/29

カレー屋さん

先月、あるカレー屋さんが改装した。
まず店名が変わった。これまでインド料理をうたっていたのが、「インド、ネパール」に。インドとうたいつつ、ネパール人のやっているケースが多いらしいから、実態に合わせただけということなのだろう。メニューを見ると、さらに「アジアン」が付いていて、実際のメニューもカオス状態。インド風、ネパール風、…と怪しい「風」が吹いている。
メニューもこじゃれた、よく見かける赤と黄が基調のタイプに変わった。中身もセットメニューにアイスが付いたり、ご飯とナンがセットで出たり。もちろん値段もあがった。
コンサルティングが入っての「リニューアル」なのだろうか。でも、われわれの結論は「前の方がよかったね」。そう、何かがずれている。
食事の途中で揺れた。長かった。地震が止まない。

2012/04/28

大学という場、学生という時間

父母の会役員総会に出席。
年度が替わり、決算予算の承認、新旧役員の交代が二大議題。
大学はいつから、こんなに親がかりになったんだろうと思う人もいるはず。
大学は勉強するところ、浮世離れしていてもいい、遠ざかる一方だ。そういう場所で時間をすごす機会のないまま、大きくなるって、どうなんだろう。あとは個人的な努力しかないのだろうか、と帰り道。

2012/04/27

連休が始まったらしい


病院で待っている間、母は目をつぶっているばかり。で、なぜか指相撲を思い立った。親指の力がすごい。母、少しニヤリとしたような。
昼すぎ、長野駅へ移動。
Tさんの車で、いつものお店で、いつものお昼。
買出しも済み、いつものように、回数券で指定席を予約しようとしたら、乗車日の画面で「本日」がグレー表示で選べない。その翌日以降も、だ。
二三度繰り返したが、事態は変わらない。機械が壊れているのかと思って、駅員に見てもらったが、彼女がやっても、事態は打開しない。
二三度試してから、「そうか。今日からしばらく回数券の適用外なんです」。世間は今日から連休モード。

駅前のデパートにカタクリがあった。長野産かと思ったら、新潟のどこか産。さっと茹でるだけでいいらしい。食べるのは初めてだ、きっと。

2012/04/26

沿う民俗学

会議を終えて、いったん帰宅。
その足で長野。
電車の中で、『驚きの介護民俗学』を読み始めた。
最初からおもしろい。
まだ途中だが、3章の中の一節、「同じ問いの繰り返し」がいい。柳田國男の認知症にふれるところから始まるのだが、佐藤健二の著作『読書空間の近代』を引きながら、同じ問いを繰り返すことの意味を説く。
言わば、相手に沿う民俗学。と思ったが、もともと民俗学はそうなのかもしれない、ね。

ボクも母の老人ホームに行くと、他の入居者と話す機会が多く、つい聞き入ってしまう。きちんと聞くとおもしろい。
白い犬のぬいぐるみを抱えて、その犬と散歩に行きたいのだけれど、ドアを開けてくれないか、とか(残念ながら、開けてあげられない)。
以前いた(ボクじゃないよ)老人ホームでは、ヒゲを生やしているものだから、ボクに向かって敬礼をする人もいた。軍隊でのできごとをよく話す人だった。
最近立て続けにいただいた2冊の著書。
片桐恵子さんの『退職シニアと社会参加』(カバーも著者)と、深山直子さんの『現代マオリと「先住民の運動」』(カバーは著者の撮影)。
どちらも著者は女性。
共通点は、はしがきがいいこと。六車さんの本もそうだ。等身大の内容で、共感する人も多いのではないだろうか。
片桐さん、深山さん、出版おめでとう。

2012/04/25

ほやほやの営業マン

卒業生がやってきた。
映像機器関係の会社に入り、年が変わって、文教部門の営業に配置転換となり、まずはかって知ったる母校が選ばれた。1ヶ月ほど先輩と一緒に外回りをし、一人でやる最初の仕事が今日。
納入実績は、放送局、大学、専門学校が大半を占める。ボクが了解できた製品は映像編集機器と、複数画面表示装置?
電子黒板も手がけていると言ってパンフレットを見せてくれた。ただし、こちらは自社製品ではなく、販売のみ。
電子機器類は陳腐化も早く、大型製品ほど早い。しかも節電が叫ばれるいま。機能バリバリでは難しいだろうなと思って見送った。

2012/04/24

ゼミ2回め

先週は初回。
ボクからはゼミ論集を配りながら、ゼミの趣旨(調べて書く)の説明。そのあと、自己紹介、そして必要な係をあげてもらい、担当者を決定(ゼミ論集係なくて大丈夫かなあ?)。最後に合宿に関するアンケート。

2回めの今日は、まず合宿アンケートの結果発表。そのあとで、地域通貨ゲーム。「できること」リストと、「してほしいこと」リストを記入して、それを元にゲーム。終わってから、編成したばかりのほやほやグループでディスカッション。きちんと説明しなかったら、「ディスカッションって、どうすればいいんですか?」。最後にアンケート結果を元に話し合い。行き先は関西に、日にちは9月中旬に決定(関西のどこに行くんだろう?京都?大阪?)。個人的には鶴橋を案内したいのだが。

来週は、困っていること、悩んでいることで、KJ法。

2012/04/23

異界は意外に近い

Kさんと『凹凸を楽しむ/東京「スリバチ」地形散歩』を片手に雨中をスリバチ散歩。

今日のコースは四谷界隈(鮫河橋谷、若葉公園、千日谷、荒木町、暗闇坂)。

なかでも圧巻は荒木町の窪地。窪地からは5つの階段が出ている。逆に考えれば、5カ所から水が集まるような感じだ。左の写真は、その中で最も長い階段の真ん中にある喫茶店。降りて行くと、つい寄りたくなる位置にあり、吸い込まれるよう。ここは、骨董品屋も兼ねていて、周囲の雰囲気にぴったり。ついでに言えば、店主もちょっと浮世離れしてる。

今回歩いてびっくりしたのは四谷には、お寺、そして墓地の多いことだ。お寺が隣り合って並んでいる箇所も多く、お寺だらけと言っても差し支えない。ここが、あの四谷とは思えない。

須賀神社では同好の士2名にばったり。会員番号はいくつだろう(笑)。

それが窪地の湿気(そして雨)と相まって、違う空気が流れている。窪地ゆえ、近くにありながら、表通りからは見えないスリバチ。都会のスリバチは単なる地形ではない。密集する木造アパート群と相まって社会的存在となっている。

夜は四谷三丁目界隈で、きし豆茶を一杯。

2012/04/22

浜松秘境ツアー

週末の浜松を大学時代の友人たちと過ごした。あいにくの雨模様だったが、おかげで充実した2日間だった。気分的には2泊3日。

まずはうなぎやさんで腹ごしらえ。そのあと、藤森照信の設計になる秋野不矩美術館(工事過程をビデオで見ていて行きたかった場所だ、土壁がいい)、秋葉神社(総本山、参道は復旧工事中で、ぐるっと遠回り)、山住神社(人の気配なく、うっそう、ひんやり)。宿で囲んだのは、しし鍋。コンニャクなど、それ以外のお料理も手作りのものばかり。

翌日は、突然、天空の里へ行くことになった。
途中の大野分校跡でお花見。見事な桜だ。
天空の里も行きたかった場所だった。数日前の新聞記事で、古民家再生を知り、その素朴さが気にはなっていたが、あまりにも遠くて行けっこないものと思っていた。それがなんと急遽、実現。くねくね曲がる急な山道をえんえんと走ってようやく着いた先は急斜面の茶畑。そこに家が建っている。不思議な風景だ。
離れの中にある洋式トイレに腰掛けると、なんと目の前に窓があり、最高の眺望。斜面に向かって座るようになっているのだ。もちろん外からは見えっこないし、眺望独り占め。ぜいたくなトイレのNo.1。いろりでは、古民家再生の経緯をうかがい、記念撮影。件の新聞記事も話題になった。
下界に戻って、つぶ食・いしもと(雑穀・山菜料理)で昼食。山菜が主な食材だが、知らないものが半分を占める。名前を聞くそばから忘れて行く。天ぷらとおそばがおいしい。その間も、雨はざんざ降り。中にいても雨音がよく聞こえる。
音が小さくなった頃、ここをあとに北条峠へ。江戸時代の大きな農家を移築した佐久間民俗文化伝承館へ。友だちはそばを食べ、われわれは「とじくり」とお茶。とじくりは素朴なお菓子だ。炒り大豆を柔らかく煮て、米粉を加え、そば粉で閉じることからその名がついたという。
途中、ミナの森(木をふんだんに使った旧西浦小学校)に寄って、コーヒーで一服。近々ロケがある予定とか。で、いざ道の駅へ。

天竜地区では、どこの家の玄関にも細いしめ縄がかかっている。神の住む村といった風情なのだが、同時に自民党議員や民主党議員の大きなポスターも目に入る。不思議な風景だ。
開通したばかりの新東名は渋滞もなく意外に早い帰宅となった。

大学で出会って、ざっと40年。こんな旅ができるとは、まったくの想定外。Kさんと高氏さん、運転してくれたDさん、Sさんに感謝。

2012/04/19

投書、その後

先日の東京新聞に載った投書の元発言主から郵便物が届いた、新聞社経由で。
元発言主とはC.J.ディーガンさん。で、中身は「AMENITY」という雑誌。彼は「静かな街を考える会」の現代表。
手紙には、同会メンバーは50人で、「私もこの会を見つけたおかげで日本に永住する決意ができたほどです」と書かれていた。よほどホッとしたのだろう。手紙の趣旨は会へのお誘いだ。

封筒にユニークな切手が貼られている。と思ったら、一番上はご本人らしい。その下は「NO SPEAKER、静かにしましょう」。こちらも初めて見る切手。どちらもオリジナル

2012/04/18

新年度最初の教授会

今日は他部門との打ち合わせ、そのあと、学部教授会で初の進行役。長い2年がとうとう始まった。今日は、さらに全学教授会があり、会議の一日だった。
慣れぬ仕事に加え、1年のブランクと二重苦。去年の今ごろはみんなサバティカル状態。心も落ち着かなかったが、少し肝が座ったかもしれない(自信はないよ)。

2012/04/17

初ゼミ

2、3年混合のゼミが今日からスタート。学年、性別ともにほぼ半々の構成の総勢15名。
今年のテーマは「困っていること、悩んでいること」(を解決しまーす)。
もちろん「困る」と「悩む」は違う。どう違うか。それを来週は地域通貨ゲームで実践する。

ゼミ合宿の希望を匿名で出してもらったら、3年生の一人が「震災後の東北地方に行くのはどうでしょう!」と書いてきた。テーマとも整合性がいい。韓国希望者もいたが、今年は国内になりそうだ。

2012/04/16

大学院の授業

2回めの授業。
M1一人(中国の留学生)、M2一人(日本人)。
社会心理学会の大会論文集から関心のある発表を選んできて報告してもらった。一人は情報格差問題、一人は友情問題。
ボクは村本由紀子さんのラジオ体操論文を紹介した。社会心理学会で、確か着想独創賞を受賞したはず。このとき、偶然、選考にかかわったので覚えている。

2012/04/15

ようやく春

しまおうか迷っていた、こたつ。
寒い日が続いていたが、ついにしまうことにした。
夜は遊歩道をふた駅歩いて、割烹店。
突き出しと釜飯に筍。
うにと貝柱も入った釜飯は少し残ったので包んでもらった。

2012/04/14

101歳の投書

今日の東京新聞の投書欄に載った。今回のテーマにあたっては、基調投書、それに賛同する投書、反対する投書。と、バランスを取る形で進行したため、もう一件落着かと思っていたら、賛同派のボクの投書「自動放送の削減求める」が載った。家人が見つけてマーク。
それはさておき、その上の投書。「無駄な電気使わぬ生活」にはもちろん大賛成だが、投稿主がすごい。小柴千枝子さん101歳。
検索してみた。どうやら愉快な人らしい。写真も拝見したが、若い。
午後は氷雨の中をついて、圓朝作の完全版「牡丹燈籠」を聞きにいった。遊興亭福し満の迫力に圧倒される。売上は大震災の義援金として寄付されるという。名前からもうかがえるが彼はアマチュア。本職は世田谷美術館学芸員(教育普及課長)。

2012/04/13

「DQNネームのせいで就職できない」

人事担当者が真実を明かす「DQNネームのせいで就職できない」
http://magazine.gow.asia/life/column_details.php?column_uid=00001247
2012年04月03日 11:30 by 杉本レン


「いつかわが子が産まれたらこんな名前を付けたいなぁ……」
アラサー女子なら一度は考えたことがあるのでは?

最近増えている、『DQN(どきゅん)ネーム』や『キラキラネーム』と呼ばれている名前をごぞんじでしょうか。なんと読むのか分からない複雑すぎる名前や、外来語をむりやり当て字で読ませるような変わった名前のことです。
この変わった名前のせいで、平成生まれの若者たちはさまざまな苦労を強いられているといいます。

■個性が強すぎるDQNネーム

イマドキの親たちは、子どもに個性を持たせたいばっかりに変わった名前を付ける傾向にあります。
『光宙(ぴかちゅう)』『黄熊(ぷう)』『泡姫(ありえる)』『宝石(じゅえる)』『天響(てぃな)』……これ、すべて実際に子どもにつけられた名前なんです。

先日、お笑い芸人の庄司智春さん(36)も長男の名前を「字画のめちゃくちゃいい庄司羽男(パオ)」にしようとしていたことを発表。しかし、妻の藤本美貴さん(27)から「彼が30歳のサラリーマンになって名刺交換をしたときに、パオではさすがに商談成立しないんじゃないか」と却下されたと明かしていました。
ネット上では「藤本美貴見直した。庄司は見たまんまのバカということを再認識」「これで子供の未来が守られた」と話題になっています。

このような個性的すぎる『DQNネーム』は、平成生まれあたりから徐々に増えはじめ、今や芸能人の子どもにも使われすっかり市民権を得ているイメージも。
ですが、やはり大人になってからどんな影響があるのか不安になってしまいますよね。

■人事担当者から見るDQNネームのイメージ

最近「DQNネームが原因で就職できない」という話題がネット上を騒がせました。
成績優秀・イケメンなのに、読みづらい名前が原因で書類審査すら通過しないのだそう。

本当に名前が原因で就職できないなんてことがあるのでしょうか?
この真相を探るべく、某上場企業(2000人規模の食品加工メーカー)の人事担当者にお話をうかがってきました。

人事担当者A氏によれば「実際、応募書類を確認すると、有名大学の学生にはDQNネームは少なく、また高卒採用枠では多いのが現状。この事実から見ても、知性と名前が関係しているように思える」とのこと。
名前だけで、能力の良し悪しまで判断されかねないということですね。
実は、社会的地位の低い層の子どもは変わった名前が多い、というのはアメリカの研究でも明らかになっているそうです。

実際に会ってみた印象はというと、「DQNネームの学生を面接してみると、自己紹介の声が小さいひとが多い。名前を言うのに抵抗があるように感じる」そうです。
もしかすると、小さいころから名前をからかわれて、コンプレックスがあるのかもしれません。

また、幼少期~学生時代なら変わった名前もふつうかもしれませんが、社会に出てからは違います。
「最終的な人事決定権を持つのは60歳前後のおじさん世代なので、発音しにくい名前というだけで、マイナスイメージになってしまう」と言います。

どうやら、ビジネスシーンにおけるDQNネームの弊害は真実だったようです。

■DQNネームを持つ子どもたちの反応

ネット上の書き込みによると、DQNネームを持つ子どもたちは、名前をつけた親を恨んだり、名前が原因でうつ病になったり、さらには「僕は将来総理大臣になって、子どもに変な名前をつけてはいけないという法律を作りたい」という作文を書いた小学生がいるとも言われています。
せっかく名前をつけた親もつけられた子も、切なすぎて泣けてきます。

産まれてすぐは小さくて可愛い赤ちゃんですが、必ず大人になり、社会の一員として自立していきます。大人になった姿を想像して、胸をはれる名前をつけてあげたいものですね。

これから子どもを産む予定のあるかたは、この現状を命名の参考にしてみてください。

「エンディングノート」

最終日ぎりぎりで「エンディングノート」を見てきた。勧めてくれたのは子ども。そのあと連れ合いが見に行き、ボクが最後になった。軽い調子で話が進む。館内には笑い声も。終盤に向かうにしたがって、それが泣き笑いに変わっていく。最後、涙が止まらない。

死をプロジェクトに仕立て、だんどりを踏みながら、ゴールは死ではあるものの、きちっとあいさつをし、最後は大団円。享年69歳。砂田さん、ありがとう。

ボクはいつ、どう逝くのだろう。

主人公の次女が監督とナレーション。

ハナレグミがこの映画のためにつくった主題歌「天国さん」が心にしみる。

帰り、つい、お豆腐屋さんで木綿豆腐を買ってしまった。一丁160円。

2012/04/12

授業開始

井の頭線の浜田山駅から高井戸駅までの間で満開の桜を堪能したと思ったら、今度は吉祥寺駅から乗った中央線で富士山の姿を見ることができた。たまたま一緒になったSさんが教えてくれたのだ。Sさんによれば、こういう機会はあまりないのだという。「ラッキーですね」。
桜と富士山。日本の記号だ。
今日から授業が始まった。

2012/04/11

母の電話

認知症が進み、面と向かっての会話もむずかしくなってきた。
電話の解約手続きをした。
寂しい。

2012/04/10

女優・室井滋さん

東京新聞8日付けの「家族のこと話そう」に室井滋さんが登場。

「滋という名前は、父が考えてくれました。良いことも悪いことも全て栄養になるようにと」。ただ、父親は波乱の人生。

「滋という名前は、小さいころは男みたいで嫌でしたが、両親からもらったとても大切なもの。ずっと本名で通しています。人生は自分一人で築くものじゃないと実感しています」。

そこで、彼女の自伝的絵本『しげちゃん』を思い出し、読むことにした。

入学式の日から、いやなことがあった。彼女の机の上には「しげる」と書かれた水色の紙。女の子はピンクなのに。先生になおしてもらおうと思った矢先、紙を見た隣席の男子が、僕の横だけ男!、と泣きべそ。泣きたいのはこっちなのに。名前のせいで、嫌な目にしょっちゅう遭う。母親に改名を訴えるが、拒否される。「なにいってんの、たいせつな名前を。しげちゃんは生まれてからずっと『しげる』なんだから、かえられるわけないでしょ」。

ある日、母親が彼女をだっこして、一番幸せになれそうな名前を考えたとやさしく説明する。そのとき、なぜ「しげる」なのかも語られる(ここは読んでのお楽しみ)。そして「滋養」の「滋」であることも教えられる。
それを聞き、彼女は「ちょっぴり」「しげる」が嫌でなくなる。結婚しても変わらないのだから、もっと好きになることを誓って、この絵本は終わる。

2012/04/09

散歩二様

昨日、今日と「近所の桜」見物。昨日はつれあいと、今日は子どもと。
つれあいは植物に注意が行く。そのおかげで、ボケの花が盛りであることを知った。赤と白のミックスもある。
子どもはネコに敏感。塀の上にいたりするネコを教えてくれる。いつもながら、我関せずという雰囲気がいい。

2012/04/07

長野は雪

朝、目が覚めると、窓の外は雪。気温は0度。
図らずも予報が的中。
用事が済んでから、寒風の中、善光寺に参拝。願いごとだらけ。
三門が公開中と聞き、500円払って入門!?
参道が見下ろせ、見晴らしもいい。中に文殊菩薩があったり、四国八十八ヶ所の仏さんのレプリカがあったり、と知らないことばかり。
長野市生まれにもかかわらず、三門に初めて入った。
境内ではネコに対面。枝に身体を擦り付けたり、歩道の上でころがったり、すごく痒そうだ。首には虫除けらしき首輪をしているのだが。
そのまま歩いていると、向こうから来たおばあさんに、バス停の場所を聞かれた。てっきり路線バスと思い、行き先を確認すると、観光バスで来たのだという。トイレに行っている間に仲間とはぐれ、集合場所がわからず迷子になったらしい。聞くと、東京から来たのだと言う。「パンフレットをバスの中に置いてきてしまったので、連絡先(の電話)もわからない、困った」。
とりあえず事務所をめざすことにした。一緒に歩いているうちに、途中で見失ってしまった。と同時に小旗を手にした観光ガイドに出会った。旗に「東京…」と書かれている。もしやと声をかけると、やはり、件のおばあさんを探しているという。ついさっきまで一緒にいたこと、行っていそうな方角を話した。すると、ほどなく向こうからおばあさんが戻ってきた。一件落着。

次回は裁縫セットを持って行かないと、母用に。ボタン付けに平ゴムの交換。

2012/04/06

先にありき時間割

昨日、今日と履修相談期間。
履修登録がオンライン化して、学生たちの手元にある印刷物は科目リストのみ。それも全部ではないらしい。
さて学生に履修登録画面を見せてもらうと、時間割の中に必修が入力された状態で表示される。すると、学生はその前後の時間を埋めようとして、受講科目を選ぶ。したがって、授業内容から受講科目を決めることが減る。時間割が先にありき、というわけだ。もちろん、そういう決め方をしない学生もいる。
教師としては、後者が望ましいのだが、コストがかかる。少しは苦労しようよ。

2012/04/04

変な一日

忙中閑あり。
ぽっかり空いた一日を利用して、サバティカルの間、利用させてもらっていた入館証やコピーカードを返しに行くことにした。昨日と対照的な青空のもと、桜をながめながら、の外出となった。この間、お世話になった人たちへの礼状も投函。
帰り道、なぜか高校時代、文化祭の前夜に叩き込まれた猥歌が口をついて出てきた。研究休暇ともども終わったものへの哀愁がそうさせたのかもしれない。

☆センター試験のトラブルは、教員の気の緩みにあるとの報告が出たらしい。何をか言わんや。

2012/04/03

春の大嵐

昨日、既に出ていた「爆弾低気圧」予報。
予報通り、午後になって雨、風が激しくなった。
新入生向けオリエンテーションの終了時刻が30分繰り上げになった。
帰途、用心していたのに、折り畳み傘の骨も折れた。
先週の強風で骨の曲がった傘を治してもらうため、修理屋さんに寄った。修理自体は数分ですんだ。
以下は、彼とのおしゃべり。
修理屋さん「部品など共通にしてくれれば、修理も楽だし、治せる傘も増えるんだけど、ね」「せめて日本だけでも揃えてくれれば、と思うんだけど」
ボク「わが社は資源保護のため、部品の共通化を提案します、と言う会社が出てくれば、いいのにね」
修理屋さん「でも、そんなことしたら売り上げが減るから無理でしょう」
ボク「でも、ファンがふえるから、その会社の傘を買う人が増えるんじゃない」
今日もゴミ箱周辺は傘の死屍累々。
由比漁港でのサクラエビの水揚げを報じる記事の上に「准教授辞め『近代化証言』記録」という記事あり(東京新聞夕刊)。
2003年にサントリー学芸賞を受賞した六車(むぐるま)由美さん(41)の新著紹介だ。「研究費の獲得競争や事務作業ばかりに忙殺される大学の現状に『気持ちも力量もついていけなかった』」。08年に東北芸術工科大学を退職。その後、老人ホームで介護職員として働き、そこでの聞き書きをまとめたのが『驚きの介護民俗学』。ただただ潔い。

☆おまけ 心憎いメールが学生から届いた。

2012/04/02

新年度スタート

入学式、父母懇談会、新人歓迎会。
あいにく桜は間に合わなかったものの、天気に恵まれた。
構内でビデオを撮っている親御さんを何人か見かけた。一昨年は見かけなかった光景だ。
Sさん歓迎の二次会を「ほんやら洞」でやった。
7年間国分寺に通って、初のほんやら洞体験。入りたい気持ちはあったが、たばこが苦手で避けていた。今日は思い切って入った。チャイがあり、それを頼んだ。おいしいじゃん。
東京新聞の文化欄で和合亮一さんの紹介記事を読んだ。
避難所で聞いた話が紹介されている。
「いい言葉には橋がある。いい言葉を架ければ必ず相手はその橋を渡って近くに来てくれる」。
それを聞き、「日本の中にも温度差がある。橋を架けられるのを待つのではなく、こちらから橋を架け、声を熱くして言葉を伝えなくてはいけない」。温度差を埋める一つの鍵は「つぶやきではないか」と言う。「ふっと漏れるつぶやきがすべてを語っていることがある。そうした『小文字』の真実を集めたい」。物語の執筆にも挑戦するそうだ。今から楽しみだ。


2012/04/01

福島で余震

コタツをしまおうかどうか迷って、結局しまわなかった。
夜11時過ぎ、福島で地震。そのニュースでイサンも中断。
幸い、原発は被害がなかったらしいが、東京もけっこう揺れた。
そわそわ落ち着かない。

匿名のままでは死ねない

 「最期は本名で迎えたい」 TBSニュース 連続企業爆破事件の「東アジア反日武装戦線」メンバー 桐島聡容疑者(70)とみられる男の身柄確保 末期がん患う 警視庁公安部  名前を明かして存在証明。