2014/06/29

ベンチはベンチでも

左の写真は、ある文化人類学者が「憎しみのベンチ」と呼んだタイプのベンチ。最近近くにでき、ショックを受けている。

Longmanにはこう書かれている。

Benchとは
a long seat for two or more people, especially outdoors:

全然長くないぞ。

ベンチトマソンと呼ぶ人もいるぞ。
寝たっていいじゃないか。

2014/06/27

インタビュー

専門学校の生徒6名がインタビュー課題でやってきた。
質問は以下の通り。

  1. 感情がおかしくなるのはなぜ?
  2. 緊張することのメリットは?
  3. 緊張による症状はなぜ人それぞれなのか?
  4. 緊張する人としない人の違いは?
  5. 手に「人」と書くと本当に緊張はほぐれるのか?
  6. 緊張をほぐすのに効果的な方法は?
  7. 緊張すると喉が乾くのはなぜ?
  8. 身体が震えるのはなぜ?
  9. 緊張と恥ずかしさはどう違うのか?
  10. 心臓がバクバクするのはどうしてか?
  11. 緊張とはどのような状態をさすのか?
  12. 緊張がもたらすストレスは?

難しい質問ばかり。いくつかは宿題にしてもらった。
文字起こしまでが課題の範囲。

なぜボクのところへ?とたずねたら、サイト名は覚えていないらしいが、研究者検索のようなサイトがあって、そこで見つけたらしい。どんなサイトなのか気になる。

あれっ?

乾さんたちの本『小さな風景からの学び』。
不思議な本だ。
どのページを開いてもきちんと開く。
手を離してもパタンと戻らない。
持つと、両腕をダラーッと垂らした感じ。何人にも読まれて疲れた感じもする。今にも瓦解しそうな、と言えばいいのだろうか。買ったばかりなのに……。しかもパッケージされていたのに。

カバーをはずしたらわかった。
背が覆われていないのだ。
綴った糸が見える(左写真は乾研究室のサイトから)。

おかげで落ち着いて読める。小さな写真が多いから助かる。見開きの中央にある写真もちゃんと見える。

装丁者のアイデアだろうか?

☆つい先日まで、この本の展覧会があった。残念。新宿のブックファーストは建築関係の本が充実している。

2014/06/26

資生堂書体

資生堂には資生堂書体と呼ばれる字体がある。
フォントと呼んでしまうには忍びない。
手書きなのだから。
資生堂に入社したデザイナーは1年間をかけて、手書きで練習するという。
銀座本社ビルにも書かれていた。うっとりする。

資生堂公式You Tube「美と、あそびま書

2014/06/23

スカイマーク

先日、エアバスA330-300に乗った。
CAのミニスカートでも話題になった機体だ。
ミニスカートと知っていると、つい目をそらしてしまう。
かえって見ない。
確かに席はゆったりしている。

今回座った席は5番台。
しかし数えると、前から4列目。
表示を確かめると、3列目の次が5列目になっている。4はない。
飛行機でも4が避けられているとは思いもしなかった。

9は確認じまい(まあ予約画面で確かめればいいのだが)。

昨日泊まったホテルには4号室はもちろん9号室もなかった。

2014/06/22

ポール・ヘニングセン浴

週末は博多と山口で公務。

博多のビュッフェレストランで食事をしていると、中国人旅行者がおおぜい入って来た。
中国語が飛び交い、こちらが旅行者のような感じだ。他の日も、人数はともかく、中国人旅行者は来るはずだ。

それにしては中国語表記が見当たらない。基本的なことがらは書いておいた方がいいと思うのだが。

翌日は山口。泊まったホテルのロビーがよかった。要所要所でルイスポールセン社のポール・ヘニングセンのランプが使われているのだ。こんなところで会うとはビックリ。

フロアスタンドに、エレベータ脇のウォールランプ。フロントのテーブルランプ。ロビー脇のレストランはスノーボール。すべてポール・ヘニングセン。

もしかしたら、と期待は高まる。

残念ながら、ハズレだった。部屋のライトはふつうというか、傘は円筒形で焼けていた。それもあり、ロビーで長い時間を過ごした。新聞を読んだり、コーヒーを飲んだり。部屋より居心地がいい。

椅子もデザイナーものだったりする。経営者がインテリアに凝ったのだろうか。

フロントで明かりについて尋ねたら、「はあ?」という返事で、関心がないようだ。ライトの汚れ具合からすると、これらのライトは開設時の1986年に設置されたものだろう。

今日はヒョウ。ニュースに清原市長。

2014/06/17

「矢印博士」を自称していたのに

TOKYO DOME CITY HALLに用事があって行ってきた。
外堀通りを渡ると、目の前に「↑ TOKYO DOME CITY HALL」という案内があり、その右にのぼり階段があった。
迷うことなく階段をあがった。
人の後を付いて行った。しかし駅から徒歩1分とあるにもかかわらず、TOKYO DOME CITY HALLにたどり着けない。
近くにある案内図を見ると、どうやら通り過ぎたらしい。
戻ると、下りる階段があり、その先にTOKYO DOME CITY HALLが。
「↑」は「上がる」ではなかったのだ。ボクは「前進」すべきだったのだ。
帰り際、その矢印を確認すると、矢印は直線の左端だった。


|———————————

直線が見えていれば、地上を歩いていたかもしれない。
手前の樹々に隠れて見えなかったのだ。

2014/06/15

Howard 2014:名前の類似効果とセルフモニタリング


名前の類似(類似名)効果における個人差:セルフモニタリングの役割

Daniel J. Howard, Roger A. Kerin
2014
Individual Differences in the Name Similarity Effect: The Role of Self-Monitoring
Journal of Individual Differences, 35 (2), 111-118.
DOI 10.1027/1614-0001/a000133

要旨
類似名効果とは、自分と似た名前を持つ人物や場所、モノを好む傾向をさす。多くの研究者が嗜好や行動における類似名効果を検証してきているが、その効果に対する感受性に個人差が存在するかを検証した研究はいまのところない。本研究で報告するのは、2つの実験の結果であり、それは類似名効果に影響を与えるセルフモニタリングの役割である。第1実験で、ブランド態度や購入意図における類似名効果は、高いセルフモニタリング回答者で高かった。第2実験では、第1実験で観察された交互作用はとりわけ公的使用場面にあてはまることが見出された。これらの知見は類似名効果に関する理論的予測と一致する。ここでの類似名効果とは、高セルフモニターのイメージと印象操作に対する関心という形で表される利己主義の表出である。

Abstract
The name similarity effect is the tendency to like people, places, and things with names similar to our own. Although many researchers have examined name similarity effects on preferences and behavior, no research to date has examined whether individual differences exist in susceptibility to those effects. This research reports the results of two experiments that examine the role of self-monitoring in moderating name similarity effects. In the first experiment, name similarity effects on brand attitude and purchase intentions were found to be stronger for respondents high, rather than low, in self-monitoring. In the second experiment, the interactive effect observed in the first study was found to be especially true in a public (vs. private) usage context. These findings are consistent with theoretical expectations of name similarity effects as an expression of egotism manifested in the image and impression management concerns of high self-monitors.

Keywords
attitudes, individual differences, egotism

◎マーキュリー2世さんのツイートで知った文献。感謝。

今日の東京新聞から

■「しゃべる人形寂しさ癒やす」一人暮らしの高齢者に人気。


米山公啓さんのコメントが何とも言えず、いい。

自民討議府県連が県内42市町村議会議長に要請。「集団自衛権の議論は十分ではない」と。

■貴戸理恵の「時代を読む」。「日本の『個性』何か変」。他人と違わなければならない個性の追求は他者との共有を拒む。

■星野博美の「新聞を読んで」最終回は「秘密法と同じ『迷文学』」。

■中沢孝夫の書評は『高齢者が働くということ』。

2014/06/14

土曜出勤

父母懇談会で大学へ。

全体会の後、個別懇談と学部別懇談会。去年の倍近い参加者で椅子を追加するほどだった。自己紹介も兼ね、質問も出してもらった。

最も多かったのが「コミュニケーション学部ってなに?」。ストレートに答えてしまったが、参加者にイメージを尋ねてもよかったかなと独りごちる。

懇親会は、いろいろな人と話しているうちに終わってしまった。それだけ参加者が多かった。主な話題は、就職問題と友人関係。アドバイスできたのか、できなかったのか。

1年次から連続参加のお父さん、今年も顔を見せてくれた。学部別懇談会では、一昨年、昨年のようすを報告してくれた。ありがたい。来年もぜひ。

2014/06/13

柏木博『日記で読む文豪の部屋』から

余が「おぎゃー」の一声と共に娑婆に生まれたるは明治11年11月28日の事なりけり。その生まれたたる所は東の都麹町平河町となん言う所にして、ここに住する事1年にみたず。父上は名古屋鎮台に転任したまいければ家族一同引き連れてその任地におもむきたまいぬ。この地にありて記憶せるは庭の木に登り太鼓を打ちたる一事のみ。ここにある事3年目の12月、この所を発し土佐(父母の生国)に向かい、
寺田寅彦の日記の冒頭(1892年)。このとき、彼は満13歳。時代のせいなのか、能力ゆえなのか、大人が書いたような文章だ(原文はカタカナ表記、漢数字)。

さて。
親しい友だちなどが死んだ後に、ひとりで町の中を歩いていると、ふとその友が現に同じ東京のどこかの町を歩いている姿をありあり想像して、言い知れぬさびしさを感ずる……
晩年の寅彦の夢想。「親しい友だち」の箇所は、もちろん親しい友だちに限らない。ボクにも経験がある。寂しさとともに落涙。

ようやく本題。

「どこで仕事をしようがかならず戻って行く場所(家)がある。何が起こっても家に戻る、それは、誰でもあたりまえの行動としてある。2011年3月11日の東日本大震災の直後も、わたしたちは、なんとか自宅(家)に帰るために、……さまざまな手段を使った。かけがえのない自分の住まい、そして部屋に戻ることでわたしたちは安堵する」(柏木)。

本書には、漱石、百聞(門に月)、荷風、賢治、啄木が紹介されている。住まいに執着する人、しない人、は保守と革新と重なる、という。ボク? 器に凝るという意味では前者、出かけることが好きという意味では後者。

夜は研究会。早くも暮れの原稿の予告。

2014/06/11

雨中の会話

雨の中を来年度の授業関連であちこち。
武蔵野大学→パーソナルスタイリストのオフィス→ポーラ文化研究所

駅前の交差点で待っていると、脇にペルー人らしい人が立った。傘を持たず、コンビニの白いポリ袋を頭に載せている。もちろん、頭の方がはみ出ている。
傘を差し出したら、「ペルー人です」と自己紹介された。とっさに「もしかして……」と尋ねると、「ええ、上野で演奏しています」。

2014/06/10

傘がある

終点で降りようと思ったら、手すりに傘が置き去りになっている。
駅事務室に届けようと思っていたのに、忘れてしまったw
昨日の今日で、セットで書きたかったのに。残念。

2014/06/09

傘がない

目が覚めたら下車駅。
慌てて降りたら、何かしっくりしない。
そう、傘を手すりにかけたままだった。
既にドアは閉まっている。
出がけ、降り出していたので、研究室に取りに帰ったのに。
ああ。

今日は、できあがってきた『119+3 Voices』の配布。
表紙の写真、ボクの目が閉じている。閉じていない写真もあったのだが、そちらは同僚が目をつぶっている。同僚を優先した次第。

2冊めの構想も材料もあるのだが、時間がない。でも、作りたい。

2014/06/08

金沢→佐久

金曜日から。

金沢百万石まつりの前日。
まず、柳宗理記念デザイン研究所へ。
入口のステッカーまで彼のデザインだった。
ことに帰ってきて気づいた。
不覚だった。
館内は、彼の年譜がパネルになっているぐらいで、解説がほとんどない。デザインそのものが楽しめる。
展示物がすべて彼の作品。バタフライ・スツール、鏡、洗面台、トイレサイン、ぐい呑み、ワイングラス、角皿、ビールジョッキ、カーテン、鳥かご、ダイニングテーブル、和紙ペンダント、……。

入場者はボク一人。なんと贅沢な。

近くの古本屋に彼に関連する本がないだろうかと寄ったら、新刊書店だった。
ガックリ。

そのあと、新しくなった近江町市場でおぼろ昆布を買い、金沢21世紀美術館へ。

主目的は、東京で見逃した中村好文の小屋展
小屋は、窓がすべて格納というか、枠から消え、窓枠が額縁。
景色がすべて絵のように見える。
あいにく中には入れなかったが(入場は週末のみ)、それでも小屋なので、内部までよく見えた。小ぶりのペンダントライトが印象的だった。

レアンドロ・エルリッヒ —ありきたりの?」が愉しかった。どの作品も一瞬、あれっとなる。


コレクション展 I 透過と反射」も楽しい。

どちらも経験型作品。そうか。自分が参加してはじめて作品となるからか。

この美術館、地元では賛否両論とか。観光客には楽しいのだが。

翌日は、直江津(1時間待ち合わせ)経由で長野、そして佐久へ。乗った新幹線は新しい車両で12両編成。おかげで席はガラガラ。

佐久平で下車。
夕食は「らいあん」。
とにかくおいしい。
授業のアイデアも浮かんだ。

一泊して帰宅。

この間、東京は大雨だったらしいが、金沢は好天、佐久もまずまず。

2014/06/05

アドミッションポリシーの更新

来年度からカリキュラムが代わるのに合わせ、各種ポリシーも見直すことになった。
まずは「入学者受け入れ方針」から。英語では「アドミッションポリシー」と言うらしい。
どこの大学も、
(ほぼ)「アドミッションポリシー(入学者受け入れ方針)」と、カタカナと訳の併記。
なんだかなあ、と思うのはボクだけ?

そもそも試験に合格してくれれば、こちらは受けて立つ(育てる)だけ。「入学者受け入れ方針」は書きにくい。いろんな人に来てほしいから。企業が募集要件としてかかげるのであれば、まだわかるのだが。

2014/06/02

続報

三鷹駅の駅員さんにインタビューを試みた。
監視モニターに映った、あの赤青階段を指しながら、
「あれはいつからですか?」と質問。
「最近です。5月に入ってからですね。朝のラッシュの混乱をなんとかしたいと思って。効果を見ながら続けるかどうか決めたいと思っています」。
うれしそうに話してくれたのがうれしかった。
同じような階段は他の駅でも見かけるが、ここのは考えられている。
のぼりの矢印は青で、上から降りてくる人が使う側の矢印は赤だからだ。
別の会社は色使いが逆になっているので、認知負荷が高く、混乱する。
進む方向、つまり、のぼりの矢印が赤で書かれていて、降りる人が使う階段の矢印は青で書かれている。

2014/06/01

日曜出勤

会議2件。
せっかくなので、終わってから少し仕事をした。
車内読書は『世界婚活』。
あっけからん。各国の男性像には「そうそう」と納得したり。

匿名のままでは死ねない

 「最期は本名で迎えたい」 TBSニュース 連続企業爆破事件の「東アジア反日武装戦線」メンバー 桐島聡容疑者(70)とみられる男の身柄確保 末期がん患う 警視庁公安部  名前を明かして存在証明。