2014/05/30

超優良物件

いつから、こうなったのだろう。
たまたま降りたら、目の前に出現。
矢印だらけ。
場所は中央線三鷹駅のぼりホーム階段。
一瞬、目を疑った。
目が、頭がクラクラする。
この写真をある書店の人に見せたら、実は、わが社にも……と話し始めた。
クレームがよくつく矢印があるのだという。案内してもらった。2階の階段の手前、天井からぶら下がっている案内板に上向きの矢印が書かれている。
表示先の場所に行くためには降りるべきなのに、上に上がって行く人が多いのだという。さもありなん。上向きの矢印に加え、階段を上る人の絵が添えられている。間違えてのぼってしまうのは矢印のせいではなく、その絵のせいだろう。さっそくアドバイスはしたが、改善されるだろうか。

2014/05/28

弔辞

新海均の『カッパ・ブックスの時代』。
著者はボクと1歳違い。しかも長野県出身。
ボクの経験とシンクロさせながら読めた。
「カッパのDNAはさまざまな出版社へ」という項がある通り、カッパ・ブックスが出版界に残した功績は大きい。
42歳の若さで急逝した編集者、山梨雅孝さんへの神戸明の一言に落涙。
「これからは(年齢の)順番にしてほしいよ」。

2014/05/23

〈ウララ〉の日々

宇田智子那覇の市場で古本屋ボーダーインク

沖縄の本事情(出版事情、地元本への愛着)がようやくわかった。リウボウのリブロでいつも感じていたことも腑に落ちた。

花田英三さんの詩集『坊主』が紹介されている。
これの帯がいい。
おめおめと生きる愉しさ
又うんこが一つ
同じ名前の、あまりないらしい名前の人の著書を買って行った英語青年の話が出てくる。
その本は英語で書かれた沖縄のガイドブック。
以前にも、その本を買おうとした英語を話す人がいた。
その人に値段を聞かれ、答えると、
Oh! Too expensive!!
といやな顔をされた。
今回もそうかと思い、同様に答えると、
I want it!
本当に買ってくれた。
彼女曰く、「どこから来てどこへ行くのか、珍しい名前の青年に幸あれ」。

今度那覇に行ったら、寄ろう!市場の古本屋「ウララ」。

★おまけ
ジュンク堂時代のブログ「本と本屋と
本屋になってからのブログ「本屋になる

書棚から『山之口貘詩集』を取り出した。学生時代に買ったものだ。

2014/05/22

いい光景2点

●ロッカー風の60代男性。黒のTシャツ、細身。
イヤホンを付けたまま乗ってきて、ボクのすぐ脇に立った。
すると、電話が、そのスマホにかかってきた。
ちらっと画面が見えた。
大きく「母さん」の3文字。
口調からすると、相手は母親でなく、奥さんらしい。
「いま○○駅。もうじき着くから」と謝っている風。

●いくつかの駅ホームで駅員を見かけるようになった。赤い旗を片手に、マイクで話す。
ふだん、警備員を目にしているだけに、ホッとするし、懐かしくもある。


2014/05/21

経営危機を救った『社会心理学』

こんな時代があった。

1949年に発行された南博の『社会心理学』。
2万部以上を売ることができた。南はこの本により、一橋大学に教職を得、毎日出版文化賞に輝くこととなる。さらに、この本は多くの学生や学者たちを刺激した。おかげで光文社の経営危機もほんの少し遠のいた。
以下、同書にかかわるエピソードが続く。

新海 均 2013『カッパ・ブックスの時代』河出ブックスから

ボクの初カッパは『にあんちゃん』。

2014/05/20

路地の魅力

三浦さんたちの『高円寺:東京新女子街』を読んでいたら、ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』が引用されていた。

路地の多い街は、個人の自由度が高い街。
路地が多いと、地点間のルートもいろいろ選べる。
「街区は短くないといけない」とも。
小さな街区が多いと、街角を曲がる機会が増える。

グラフ理論で解けそうだ。

2014/05/19

親と子

いま発売中のBrutusがいい。

特集の「親と子」に合わせ、Cityのページには「あなたの国の子供の名前、一番人気は?」の項目がある。

さて、冒頭ページで、Ito-sokenさんが赤ちゃんの誕生をこう書いている。

「あたらしい命と同時にふたりの親が生まれた瞬間。今日まで育てられてきたふたりが,今日から育てるふたりになる」

そうか、と。子供が生まれたときのことを思い出した。そして、親が一人もいなくなったときのことも。

知り合いが登場している。
移住した家族が登場する。
平野甲賀親子も出ている。
甲賀さん、2月に小豆島に移住。家は百年の古民家。住人が代わって、仏壇がCDプレーヤー置き場になっている。

2014/05/18

3種類のEthnography

菅豊さんの報告を聞いた。
テーマは、Multi-sited ethnography、 Autoethnography、Collaborative ethnography。
インスピレーションを受けた。
  • 「手伝うエスノグラフィー」。例えば、話したい人をサポートする聞き書きという、があってもいい。
  • 3.11であちこちに散らばっていった人たちのエスノグラフィー。もう、あるのだろうか、「当事者エスノグラフィー」。
こんな本が出ていた。
現代エスノグラフィー』。

会場に向かう途中で読んだ本から。

「名前はアヤ。アラビア語でも日本語でも両方ある名前なんだよ。日本語の漢字は『彩』(いろどり)にした。いいでしょう?」震災から二週間がたった日、電話があった。
高野秀行 2012『移民の宴』講談社

アヤ(Aya)は確か、手芸の意。

2014/05/17

西村伊作

新宮で偶然見かけた西村伊作の自宅
その彼の伝記、黒川さんの『きれいな風貌』を読み終えた。
西村伊作「伝」なのだが、自伝に近い詳述。
そうそうたる人物や大事件にからむ、ドラマチックな一生の果てのことば。
「我に益あり」。
自伝の書名でもある。
「私はプロレタリア独裁の下でも君主政権下でも自由主義や民主主義の社会の中でも、どんな政府の下にでも自分が置かれた場において自分の利益になることを見出し、自分を楽しくさせることができると思う」(1960年)。
花森安治の生き方に近い。
桜井哲夫さんは『可能性としての「戦後」』の中で、花森の「職人」性にふれ、評価しつつも、「逸脱」に言及する。
私益であれ、職人であれ、その追求を極めると、それはやがて公益、改革に変わる。

彼の子の名前と由来(本書から)

  1. アヤ(1908年生まれ)
  2. 久二(1910年生まれ)二人目の子どもなので男女の差別なく「二」。生まれたとき、「キュー」と声を上げて泣いたので「久」。
  3. ユリ(1912年生まれ)
  4. ヨネ(1913年生まれ)
  5. 永吾(1915年生まれ)
  6. ソノ(1918年生まれ)
  7. ナナ(1920年生まれ)
  8. 八知(1922年生まれ)「はっち」と読む。
  9. クワ(1927年生まれ)第九子で「九和」に違いないのだが、故郷下北山村桑原の「桑」であり、この年に没する変わり者の叔母「くわ」のことを意識に置いていたのも確かだろう。伊作は「郷里がつなぐ同族に背を向けてしまうことのない人」であり、一族たちの要として、「繰り返し、そこに戻って、土地と人とのつながりをたもって生きようとした」。

2014/05/11

SLと略すらしい

昨日は「父母の会」役員総会。

終了後の懇親会で。
ある女性がサービスラーニングのことを教えてくれた。地元のICUの例だった。
最近ではアクティブラーニング(学習は断るまでもなくアクティブ!と皮肉屋は思ったりする)、古くはインターンシップ、ボランティア、これこそが大学の教育プログラムとして喧伝され、あまり知られていなかった教育形態。

サービスラーニング(センター)で検索すると、以下の大学がヒットする。

2014/05/10

メールのTips

昨日の研究会のあと、みんなで中華料理。
席上、Kさんが「メールではネガティブなことは書かないようにしている」と発言。
「相手がエスカレートするから」。
最近、ボクも同じような経験をしたばかり。
どうして、そうなるのか、社会心理学の枠組みで説明をした。

2014/05/09

インタビュー

ある雑誌のインタビューを受けた。
その雑誌の取材は、調べたら、8年ぶり。
前回はSNSがらみ。今回は研究紹介。

久しぶりの「インター」だった。
いろいろ引き出してもらえ、いろいろ考えさせられた。
テーマは「名まえ」研究。
1ページに、どう収めてくれるのだろう。
1ヶ月後には出るらしい。
詳細はそのとき。

夜は研究会。
おもしろ編集者が初参加。
Hさん、研究者のNさんが危篤状態とのことで、ずっとスマホを気にしていた。
幸い、待っている間は連絡が入らなかった。

帰宅すると、学部時代に教えを受けたS先生の訃報が入っていた。
82歳。
サングラスのすてきな先生だった。沖縄の小さな島でお会いしたのが最後。

2014/05/08

カゴ

スーパーのレジ。
並んでいると、前の男性が、自分のカゴを寄せ、スペースを作ってくれた。
「年を取ると、重いものがつらくなりますよね」と言いながら。
見た目70歳。
同年代と思われたらしい。
うなづくしかなかった。

2014/05/06

1軒だけあった

 吉村順三の作った家に泊まってみたい。そう思っても、他人の家に泊まれる訳がない。ならば、と探したらホテルがあった。

 稲葉なおとさんの『匠たちの名旅館』に、彼の手がけたホテルのリストが載っている。
  • 国際文化会館(1955年竣工)
  • ホテル小涌園(1959年竣工)
  • 俵屋本館増築(1959年竣工)
  • 京都国際ホテル(1961年竣工)※2014年12月26日営業終了
  • 俵屋新館(1965年竣工)
  • 文殊荘新館(1966年竣工)
  • ホテルフジタ(1969年竣工)※2011年1月営業終了
  • 大正屋新館(1973年竣工)
  • 仙石芙蓉荘(1974年竣工)※その後「ホテル箱根ガーデン」となり、2011年1月16日閉館
  • 大正屋別館、離れ改築(1978年竣工)
  • 文殊荘新館増築(1979年竣工)
  • 大正屋大広間改装(1983年竣工)
  • 大正屋レストラン改装(1983年竣工)
  • 大正屋売店改装(1983年竣工)
  • 大正屋大浴場・四季の湯(1985年竣工)
  • 文殊荘新館増築(1985年竣工)
  • 大正屋大浴場・滝の湯改装(1986年竣工)
 うれしいことに、ボクでも泊まれそうなホテルが一、二ある。

 名前を見て思い出したのが、新日鉄の仙石芙蓉荘。見覚えのある名前だ。そう、大学院時代、研究室の合宿で泊まったことがある。ずっと「新日鉄の寮」という認識しかなかった。当時は吉村さんの存在を知る訳もなく、ただ広々しているなあという印象だけが残っていた。隅々まできちんと見ておけばよかった。残念。

 まずは、今冬限りで消えてしまう「京都国際ホテル」から、かな。

 ところで、この本、本文が紙の端(小口)ぎりぎりまで印刷されている。不思議な感覚に襲われる。気になって調べたら、あった。

 「本文がページ単位で途切れるのではなく、巻物のように続いていくイメージにしたかった」(デザイナーの大森さんの言葉)。

 なるほど。

 ふと思い出したのが新島旧邸。院生時代、1泊したことがあるような気がする。同志社の知り合いが気を利かせてくれたのだった。いまは見学のみらしいが、贅沢な経験だった。朝食は目玉焼き。

2014/05/05

「安否確認」

未明の揺れで、職場から「初」の安否確認メールが届いた。
発信時刻は発生10分後。
当メールは、学生・教職員・関係者宛に安否確認システムから送信している安否確認メールです。
ただいま東京地方で地震が発生しました。あなたの現在の状況に応じて、「あ」「か」「さ」のいずれかの1文字を返信メールの本文1行目に入力・送信してください。コメントを付ける場合は2文字目から入力してください。
【返信例】

なお、本メールタイトル内の[英数字]は管理番号です。返信時にタイトル(「RE:」を含む)を絶対に編集・削除しないでください。
あ:無事(登校・出校可)
か:無事(登校・出校不可)
さ:負傷
さきほど返信。
すると、以下の自動返信が届いた。
メールを受け付けました。
なお、このメールに返信する必要はございません。
 その後の状況変化にも使えるのだろうか。

東京23区で震度5弱以上を記録したのは東日本大震災以来とか。

2014/05/04

いまも変わらない

木下直之『戦争という見世物:日清戦争祝捷大会潜入記』ミネルヴァ書房。
「祝捷」は「しゅくしょう」と読む。「捷」は「勝」と同義。

いま生きている著者が1894年(明治27年)の日清戦争祝捷大会に潜入できる訳がない。
夢でタイムスリップするという仕掛けだ。まるで見てきたような。

※長山靖生による書評

12月9日の上野公園。寒い日曜日。

以下は抜粋。
何事も、渦中にあっては見えなくて当たり前かもしれない。しかし、まれに行く末のみえるひとがいる(※海舟の『氷川清話』からの引用が続く)。
以下は、その引用の一つ。
ともあれ、日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方がなくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とても支那人には及ばないだらうと思ふと、おれはひそかに心配するヨ。
ふたたび著者の言。
飲食禁止、おしゃべりも禁止という百年後の美術展につながる最初の試みが、浜町で行われていたことになる(※高橋由一の自宅での展覧会)。
荷風の『日和下駄』からの引用もある。
「東京の都市は模倣の西洋館と電線と銅像のためにいかほど醜く」 
知らなかった。
目を凝らせば、一画足りない「烏」である。足りない横線は目だという。……全身黒ずくめで、目があるのかないのか、よくわからないからこの字になったという。
この時代、ゾウに名前はつかなかった。名前がつくようになる経緯を知りたい。
このゾウ当時は名前をつけない)は長く生きて……(※シャム国王から贈られた上野動物園のゾウ)
広目屋(廣目屋)はいまも健在。
広目屋といえば現代でいう広告代理店であり、顧客の命じることなら何でもやる(※会社名は広める、から?)
横須賀の諏訪公園で、「定遠」か「鎮遠」の一部らしき鉄板を見つけたり、上野公園で「鎮遠之碑」を見つけたりと、最後までドキドキ。

遊び心満載の本。


2014/05/02

名前の漢字を説明する

「名前の漢字、どう説明してますか?」
http://portal.nifty.com/kiji/140430163986_1.htm

  • 親が使ってた説明をそのまま受け継いだ
  • 英語を使うというテクニック
  • 詩紡美さんと安戝くんが奏でるブルース
  • 漢字から想起されるイメージの問題
ボクは、3本川の「川」に、浦和の「浦」(霞ヶ浦、浦島を使うこともある)。

名前の一文字目は健康の「康」(家康を使うこともある)。

最後の字は、冬至夏至の「至」(どこそこへ至る、を使うこともある)。これが一番伝わりにくい。

説明の仕方は親譲り。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...