2015/01/31

てんこうこうさん

園田天光光さんが亡くなった(1919年1月23日 – 2015年1月29日)。
てんこうこう、と読む。
命名の背景を聞きたくなる名前だ。

今日の「筆洗」が、その天光光にふれている。
 自分を愛することは、実は難しい。しかし、そのためのとても簡単な方法がある。それは自分の名前を好きになること。そう説いたのは、わが国初の女性衆院議員となり、園田直・元外相の妻としても存在感を示した園田天光光さんである▼天光光。思わず由来を聞きたくなる名前だが、幼いころ光を一つ省き「天光」と書いたら、父に叱られたという。天は宇宙、光は宇宙創造の光、もう一つの光は「世の中の光となってくれ」という親の願い。だから名前は、その願いまでしっかり書くようにと(『女は胆力』)▼同世代の命を奪った戦争がようやく終わった時、園田さんは生き延びた喜びよりも、自分が「生き残された」ことに悩んだという。焼け野原の東京を歩けば、餓死者のむくろが放置され、飢えきった人々がいるのを目にした▼生き延びた自分たちこそは、平和な社会をつくらなくてはならないのに、飢死などしていいものか。それでは死んでいった者に申し訳ない。「天光光」と名付けた父に背中を押され、そう街で訴え、市民が力を合わせ食料を調達する運動を始めたのが、政治への第一歩だった▼園田さん逝去の報が載ったきのうの朝刊一面の「平和の俳句」は、梅田昌孝さん(61)の〈枇杷(びわ)の花戦後生まれのままで死ぬ〉▼生き延びた人間の責務として「戦後」を築いてきた一人の女性への追悼の句ともなった。
「自分の名前を好きになる」ことの効果は、名前インタビューでもしばしば出てきた話題だったが、ここまで言い切った人はいなかった。『女は胆力』(平凡社新書の文庫版)を読もう。


今朝の東京新聞1面
「2030年度の電源構成案 原発20%に上昇も」経済産業省の長期エネルギー需給見通し小委員会
「ODA新方針 他国軍の援助可能に」自民党総務会了承
「奥平康弘氏死去」憲法を活かせ


2015/01/30

デザインの国で

渡部千春(2006)『北欧デザインを知る』。
買ったままで、読んでいなかった。

デザインで「ふだん」をデザイン
  • ストックホルムでの入院生活で「すくわれたのは、職員も使う普通の陶器の食器で運ばれてきたことだった」。
  • アーラ社の牛乳パックは、ストライプの色と太さで、種類(普通は赤、低脂肪は青、その中間は緑、無脂肪は黄)と脂肪分(多いほど太くなる)を表示。
  • マリメッコが好かれる理由。エヴリボーイシャツを使うフィンランド人女性の話。「これは学生運動の名残なんです。平等を表すために着ていたんです。学生運動も終わって、私は会社員になったけど、その思想は捨てていない。だから、この布の小物を使うんです」。
  • 公共プールの話も出てくる。デザインの本で扱うのは珍しい。プールは「建築と水だけ」「見た目ではわからない使い心地、市民の使い方の違いを理解できる、いいサンプルでもある」。確かに。ボクの経験した範囲で言えば、日本のプールは(聞きたくない)音楽が流れ、一斉に休憩をさせられる。市民ではないよう。日本だと、銭湯あたりがサンプルか。

2015/01/29

使ってなんぼ

「いえ、これはまだ完成ではないす。使い続げるうぢに完成するんです。そういう意味だば完成させるのは使い手です」

高森さん(「高」は旧字)が「三カ月かかって完成なんですねぇ」とたずねたときの津軽漆職人の答え。

使われないと表面がくすむ。

「やっぱし、使ってもらえばうれしがっきゃ」
『グラフィケーション』196号から。


好きなソフトにJMPという統計アプリがある。読み方はジャンプ。もちろんジャンプの正しい綴りはjump。

ユーザーが使って初めて機能するという意味で、商品名からU(userないしyou)が抜けている。津軽職人と同じ発想だ。

モノは使って、相互作用してモノになる。

2015/01/28

ゼミの学外研修

寒風が吹きすさぶ中、学生たちと品川へ遠出。

目的は、◆品川清掃工場の見学と、●モノ:ファクトリーのワークショップ参加。

◆目の前に見えながら、けっこう遠い。陸橋でジグザグしなければいけないからだ。
90mの煙突の先から煙が見えない。ゆらいでいる感じもしない。
不思議に思いつつ工場へ。
紹介ビデオを見てから館内見学。
一番の迫力は、ごみバンカで働くごみクレーン。巨大なクレーンゲームのよう。
今日はごみを脇に寄せているだけ。回収車から吐き出されるごみのスペースを作るためだ。
本来であれば、焼却炉の入口にゴミを落としている最中とか。
ところが、今日、排ガスから水銀が検出されたため、焼却を止めているのだという。煙の出ていない理由がわかった。復旧のめどはまだ立っていない。

ゴミ焼却の問題(Youtube)

●モノ:ファクトリーでは、「パソコン解体」と「(アクリル)だんご着色」に2班に分かれてワークショップ。ボクは前者に挑戦。2007年製のノートPC。ネジというネジをすべてはずした。数えきれない数のネジ。小さいネジもたくさん。よく組み立てる。

ゴミは出さないに限る。循環させる。

2015/01/27

機械にニンベンをつける

『グラフィケーション』最新号

小関智弘さんと吉岡忍さんの対談「ものづくりに生きる」から。

小関さんは、見習工時代に先輩から言われた言葉で「機械にニンベンをつけて仕事をしろよ」が一番強く印象に残っているという。マニュアルどおりのことをやっても進歩はないという意味だ。以下は抜粋。
小関 それからずっと後になって、何と豊田佐吉の会社「豊田自働織機」という社名の「ジドウ」にニンベンがついていることを知って驚きましたね。織機を輸出することになり、社名を英語表記しなければならなくなったとき、ニンベンを取って「オートマチック(自動)」という英語を使わざるを得ないと言われたとき、佐吉が非常に残念がって、私のつくった機械は動くんじゃない、働くんだと言ったそうですが、なるほど、職人さんたちがニンベンをつけろと言ったのには、そういう深い意味があるんだなとわかったんです。
吉岡 パチンコ台のクギが並んでいる部分だけを合板で作っている工場があって見学させてもらったんですが、そこでは穴をあけるのは機械がやっている。ところが、そこで出る木屑を吹き飛ばす作業は人間がやるんです。圧縮空気の出る器具を持って。人間の技能としては何も積み重なっていかない。 
吉岡 町から工場が消えていき、見えるものは製品だけになった。技術はどんどん遠くなり、生産者と消費者の分離が始まっていく。だから、それを作っている家庭が見えるような場所をつくってほしい。
いまや日本語表記も、豊田自「動」織機

2015/01/26

マスク社会!?

駅前。
ポケットティッシュと思ってもらわずに通り過ぎたら、違った。
マスクだった。
どんなお店なのだろう、配っているのは。
マスクが無料で配られる、いまの日本。
監視カメラも増えれば、飛散物質も「高度」化。
人とも社会ともかかわりたくない!?

2015/01/25

2015/01/24

スイスのフリンからやってきた

建築家、カミナダ教授(スイス連邦工科大学)の話を聞きに、東大へ。

彼のキーワードはDifference(差異)。

「他の場所とのDifferenceは、ある程度の類似があって初めて効力を持つ」

一般化すれば、差異が意味を持つためには一定の類似が欠かせない。違いすぎたら、「差異」ではない。

差異こそ文化の源。
「至る所が同じでは感動がない」
だから彼は、まったく同じものに戦いを挑む。同じものは文化を生み出さないからだ。

「ある場所のアイデンティティを問うデザインは美的観点から重要というだけでなく、それが人間の深い欲望に沿ったものであるという点からも重要である」

省エネに対する態度も明確だ。
「省エネハウスは効率を重視する。しかし、住宅は機械でなくてよい」。
彼は、福島以後、いっそう関心を持ち、省エネに取り組んでいる。しかし彼のやり方は違う。ソーラーパネルのような装置を用いないで、設計だけで省エネを実現しようとする。

「住宅は機械でなくてよい」は、ボクの持っていた違和感を解消してくれた。

彼にとって、建物は人が集い、「できごとを可能にするもの」。もちろん家も。

町も彼は作る。
追悼するのは残された人、生きている人。霊安所は、この世とあの世の接点。だから、家々と教会の間に建設する。外見も、家と教会の中間。白く四角い。こうすることで、生きている人は「死が怖くなくなる」。

自宅のあるフリン(Vrin)村は人口250人の集落。


講演会の前に「食堂もり川」のカキフライ定食で腹ごしらえ、「まんさだ」で野菜ジュース。まんさだのレジスターは年代物。数字の表示部分に「円」と「銭」の単位が見える。が、現役。

終了後、新潟へ。

2015/01/23

「責任」

深田和範『マネジメント信仰が会社を滅ぼす』を読んだ。

自己点検とか外部評価とか、そのための資料づくりとか、いわゆる管理的作業に割く時間が増えている。話し合いでもリスク管理にふれる機会が増えている。結果として、慎重な決定(コーシャス・シフト)に落ち着く。

なんだかなあと、本末転倒のような感じを覚えながら、図書館をぶらぶらしていて目にとまった本がこれ。

本来の趣旨とずれるかもしれないが、責任を追及されないしくみがマネジメントであることを本書は教えてくれる。その裏返しが「自己責任」。

2015/01/19

本命

コンビニで大学芋を買ったら、
「お箸、お付けしますか?」

大学芋で言われたのは初めてだったので、つい聞いてしまった。
「お箸で食べる人がいるんですか?」

すると、意外な返事。
「お箸の中につまようじが入っているので、それ目当てで、ときどき言われるんですよ」

「えっ!?」


いつか来た道は通行止メである(大釜洋志作)
 東京新聞「平和の俳句」より


2015/01/17

車内放送から始まって……

所用で福岡へ。

西鉄電車に乗ったら、車内放送が人力で、かつシンプルで昔の電車のよう。次の停車駅を2度繰り返すだけ。ドアに注意!もなければ、開閉時のピンポンもない。ケータイ注意もないし、英語放送もない。ホッとする。用がなくても乗りたいぐらい。

降りた高宮駅の構内には矢印も、階段の上り下り表示もない。乗降客が少ないのだろうか(1日平均18,769人)。

対照的なのが福岡市地下鉄。広告はじめ、無音時間の方が短いぐらいに、いろいろ流れる。中国や韓国からの旅行者が増えているのに、対応できていないようだ。車内の表示板は外国では英語が2回表示されるだけ。外国語は音声よりも文字の方が確実に伝わる。

市内の交差点表記も気になったことの一つ。日本語の下に添えられる英語表記の末尾がIntersection。例えば「中洲新橋」だったら、Nakasu-shimbashi Intersection。Intersectionがないと、そこを呉服町と思ってしまうとでも思ったのだろうか。であれば、日本語であっても同じ(国土交通省の福岡市中心部における道路案内標識の英語表記内容の方針(案))。そもそも交差点に設置されているのだから、不要なのでは。検討委員会の名簿を見ると、記号論や言語学の専門家は含まれていない

これと逆が都内。日本語が「国会前」なら、英語はThe National Diet(最近まではKokkaiだった)。国土交通省で一貫した方針はない証左か。

固有名詞も実は悩ましい。ふりローマ字にするか、発音優位で行くか。極端な例で言えば、「さけ」と読ませたくてsakeとしても、セイクと読まれるのが関の山。sakiがサケに近いのかも。


西鉄電車は妖怪ウォッチのラッピング電車を運行中。

2015/01/15

将門の怨念,転じて……

昨日はこれ。佐々木さん発案の「トケコミトーク」。

ふだんの会議脳から出てくることばと違う語彙が出始めたら、CMC脳が動きだし、司会なのに、しゃべりすぎてしまった。

夜は新年会。
そこで出た話題が「将門信仰」。妖怪と幽霊の話から発展して、なのだが。

奇しくも、今朝の東京新聞「TOKYO発」は「息づく将門信仰」。将門の怨念か。

実は地元では、将門さんは「人情にあつい英雄」。朝廷に歯向かったのは、重税に苦しむ民衆のためという解釈だ。

彼の首塚を大事にし続けてきた結果、この周辺だけは木が茂ったままで「変わらない」。

細野透さん曰く、「巨大な経済の論理をはね返してきたことは、東京の歴史にとってありがたいことだ」。

2015/01/14

「社会」観察

社会状況の指標になるだろうか。
  • 迷彩模様を身につけている人の数
  • 図書館の本を読んでいる人の数(電車内で読書中の人を見ると、過半が図書館の本)

2015/01/12

減塩モード

久しぶりに行った新宿のレストラン。

バターが無塩バターに変わっていた。
パンが以前ほどしょっぱくない。

2015/01/11

「集落が生きていくために, 建築家にできること」

講演会「集落が生きていくために,建築家にできること- Orte schaffen / 場所をつくるということ -

2015年1月24日(土)13:00-15:30
東京大学工学部一号館15号講義室
日本語 & 独語(逐次通訳)
13:00 開会‐挨拶|伊藤毅(東京大学)
13:00-13:30 スイスの地方-フリン村の景観と建築の更新について|樋口貴彦(飯田市歴史研究所)、大和田卓
13:30-15:00 絵の景観/生きている景観|ジョン・アントニ・カミナダ(Gion A. Camianada)
15:00-15:30 セッション・質疑応答

〔主催〕2013-2017年度科学研究費補助金・基盤研究S「わが国における都市史学の確立と展開にむけての基盤的研究」(研究代表者:伊藤毅)
〔共催〕飯田市歴史研究所
建築雑誌
1月号 特集「日本のおひとりさま空間

2015/01/03

三が日2015

結局、年賀状は元日に書く。昨年の年賀欠礼で、習慣がリセットされたからかもしれない。かたや賀状が早々に届いた。7時台に配達されたようだ。寒い日の早朝出勤に頭が下がる。

全国京都会議(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7783.html)に参加していない小京都の一つ、寺町通り(http://www.tera-machi.com/tera/)へ初詣に行った。
千歳烏山駅から久我山駅に向かう一画に寺院の集まっている場所があり、弁天島のあるお寺(高源院)もあれば、旧鍋島侯爵邸を移築した妙寿寺もある。善光寺や浅草寺のように初詣仕様かと期待していったのだが、どこも開門のみで、ふだんと変わらない。これでは初詣にならないというので(笑)、あらかじめ頭に入れておいた久我山稲荷神社(http://k-g-y.sakura.ne.jp/)へ。もう夕闇迫る時間帯で、境内はガランとしている。電灯の明かりがいい。

見逃していた「世界の果ての通学路」(http://www.sekai-tsugakuro.com/)が放送された(http://www4.nhk.or.jp/P3313/)。ケニアのジャクソン(きょうだい)、アルゼンチンのカルロス(きょうだい)、モロッコのザヒラ、インドのサミュエル(きょうだい)、が登場する。通学時間もスピードも半端ではない。15km2時間、18km1時間半(馬で通学)、22km4時間(全寮制、週1度帰宅)、4km1時間半(車いす)、いずれも片道。命がけでもある。ボクの常識をはるかに超える通学だ。同世代といっしょに学ぶ楽しさ、教育の重要性を知っているから、かれらは通学し、親は送り出す。11歳から13歳のかれらの夢は、大空から大地を見たいとパイロットを、病気の人や困っている人を救いたいから医師、カルロスは獣医志望。

「怪しい彼女」(http://ayakano-movie.com/)を見る。題名からはうかがえないが、原題(英語)を知ればある程度、内容がわかろう。Miss Granny、ミスおばあさん。主演のシム・ウンギョンがいい。気持ちよさそうな歌いっぷりには、引き込まれる。歌って踊れる役者。のだめの主人公にいいね、と言ったら、昨年、韓国版のだめで演じたらしい。
映画は笑える場面の連続だが、そこは監督ファン・ドンヒョク。韓国の歴史、家族の問題、現代社会の問題もきちっと描かれている。

挿入歌 4曲(懐メロ)
謝辞:t_arirangさんのブログ「アリラン峠の石神」にリンクを張らせていただきました。

匿名のままでは死ねない

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