2015/03/31

一日早い入学

入学式は明日。
なのだが、スケジュールがきつく、今日は英語のプレイスメントテストやらガイダンスで、キャンパスは新入生でいっぱい。

天気がよく、準新入生が中庭や通路で食事。高校生がピクニックでやってきて、お昼をとっているような光景だ。

明日から、すべてが4巡めに入る。入学式で壇上に上がるのも、新入生オリエンテーションであいさつをするのも、そして、保護者に話をするのも、新人教員を紹介するのも。みんな、これが最後。

役職任期は今は2年任期だが、3年ぐらいがちょうどいいのかもしれない。ただし、再任は1年任期という条件付きで。


今朝、最寄り駅に向かう途中で声をかけられた。見覚えはあるのだが、すぐに思い出せない。困ったようすを察知したのか、名乗ってくれた。それ以降、話はスムーズ。実家が近所とか。

2015/03/29

原作読了

平田オリザの『幕が上がる』。

カンパネルラ あの、たくさん勉強をすれば、本当の幸せを見つけられますか?」
博士 うーん、さぁ、それはどうだろう。
カンパネルラ え?
博士 ただ、たくさん勉強すれば、本当の幸せを見つけたときに、それを逃がさないかもしれないね。

映画の中に忘れたくないセリフがあった。それをさがしたくて読んだのだが、それは見つからなかった。

原作。後半の後半、つまり最後から1/4あたりからは落涙的。

2015/03/26

万国博の日本館

安藤忠雄をどう論じているだろうか。ミーハー気分で『現代の建築家』を借りた。
残念ながら、あの1件にはふれられていなかった。

別の収穫があった。

坂倉準三

万国博の日本館。

(1867 パリ博 茶店:6畳敷きの茶室と土間)
 1873 ウィーン博 神社風の小屋と日本庭園 ※様式機械の展示も検討されたらしいが、西洋から見れば未熟に映ると判断し、見送られた。それ以後、手工芸品が並べられるようになった。
 1893 シカゴ博(平等院鳳凰堂の平面をなぞった)鳳凰殿
 1900 パリ博 法隆寺金堂を模したもの 
 1937 パリ博 鉄とガラスのモダンなパビリオン(坂倉準三設計)

1900年までの日本館は西洋に媚びた「エキゾティックな」建物。それが日本側事務局の意向だった。1937年のパリ博も当初はその方向だった。しかし、その慣例が偶然の理由で破られた。結果として破ることになったのは板倉だった。その後の1940年のニューヨーク博では、神社型の日本館になっている。その後もしばらく、この路線が続く。

 1964 ニューヨーク博 城壁の石垣をしのばせる
 1967 モントリオール博 校倉風

西洋では異国情緒を強調した日本。東アジアの旧植民地では西洋化された姿を見せつけようとした、という。

 1933 満州博 現代的建物
 1940 朝鮮博 モダンなつくり

2015/03/21

乙女 心

目の前のおばあさんがケータイで話し始めた。
「すもうを見ていて帰るのが遅くなっちゃった。もうじき新宿」。

電車が終点の新宿駅に着いた。
リュックを背負った、そのおばあさんが、ドア付近に立っていた大学生らしい4人組男性にいきなり話しかけた。

「みんなカッコいいね」
「もてるんでしょ」
「80すぎのばあさんから見てもカッコいいんだから」
「女の子、泣かしちゃいけないよ」

4人は苦笑。としか書けない。

そのやりとりを見ていたカップルが電車を降りてから、
「あのおばあさん、若いね。乙女心があるよね」

2015/03/20

もう卒業だから

井の頭線。
ある駅で、卒業式を終えたらしい男子中学生が3名乗り込んできた。
うち一人がカッコいい。
見ると、でも、ちょっと変。
学生服の金ボタンが5つともない。
ほかの2人はちゃんと付いているのに。

今でもこういう風習は残っているんだね。

以上、家族の報告。

2015/03/19

もう誰も前にいない

篠原先生の訃報届く。
院生時代の最後の恩師がついに逝ってしまった。
享年77歳。あまりにも早すぎる。
集まる機会を計画しようとしていた矢先だった。

2015/03/18

チュニジア

チュニスのバルドー国立博物館で襲撃事件が起きた。
以前、同博物館を訪れたことがある。
調べたら、もう6年経っていた。ジャスミン革命の前年。
目がクラクラするほどモザイクタイルが鮮明で、しかも間近で見られ、ぜいたくな博物館だった。撮影も自由。
あそこで、こんな事件が起きるとは。

2015/03/15

50年で10倍

母の遺品を整理していたら、父親の給与明細が出てきた。紙テープのような幅1cmほどの細長い紙だ。小さい頃、これを見る親の姿が目に焼き付いていている。

亡くなる直前の支給額は5万円台。調べると、50年前当時の国家公務員の初任給が2万円。大雑把に見て、10倍すれば現在の水準に近づく勘定だ。賞与は不明だが、月給だけで年額60万。600万円相当。これで子ども4人が育った。

母親はどう工面したのだろう。姉は短大、他の3人は大学まで進めた。大学に入ってからは奨学金と家庭教師のバイト代でまかなった。国立大学の授業料が年間1万2千円だった時代だ。今は国立でも54万円弱。高すぎる。教育の受益者は国民全員なのだから、無償でよい。

2015/03/14

初日の風景

北陸新幹線で長野往復。

ホームの放送が初日っぽさを醸し出している。
「撮影する方は、黄色い線の内側に……」

ホームを走るのも撮り鉄の特徴か。先頭車両を撮ったり、中間車両を撮ったり。
意外だったのが70代とおぼしき男性たち。撮影後、乗る人も多い。

長野に行く日が開業初日であるのに気づいたのが2週間前。混雑して座れないのでは、と危惧していたが、往きも帰りもなんなく座れた。帰り(上り)なんぞ、4割程度の乗車率。向かい側の下り電車を見てもガラガラ。で、ちょっと拍子抜け。報道と実際とがずれている感じだ。

この日らしい風景を確認しようと思って、長野駅前のホテルへ。

部屋案内板。
「北陸新幹線 長野ー(ママ)金沢開業長野駅出発式控室」
「しなの鉄道北しなの線開業記念出発式控室」
「北陸新幹線・北しなの線開業関係祝賀会来賓控室」
 ……

新しい長野駅舎は12本の木の列柱が印象的だ。善光寺本堂の柱を模した形状をしている。

信毎の夕刊を買った。トップは「新幹線、北陸へ発進」。


昨日から花粉症がひどい。つらっ!


2015/03/13

地域は住むだけの場所?

出勤途中、目の前を幼稚園の送迎バスが走り去っていく。それを見送る母親やおばあさん。なぜか、やるせない風景だ。

あの子たちにとって、自宅から幼稚園までの道のりは車窓でしかなく(実際には見ていない可能性も高く、とすれば車窓ですらない)、コミットする空間になっていない、のではという気持ちだ。
自分の家の周りがどうなっているのか、どんな人がいるのか、知らないまま大きくなる。小学校も中学校も電車やバスで通うような場所なら、事情は変わらない。地元が意味のある空間になりえない。

地域行事が衰退するのもやむなしという気がする。地元のお祭りに行っても知らない人ばかりなのだから。

「地域」が住むだけの「点」でいいのだろうか。「場所」の意味をないがしろにしつつある。

2015/03/12

30年前の職場

市立大学に行く前の職場が電気通信総合研究所。
そこでの大先輩(小林宏一さん)が、研究所の設立経緯を書いていた。
電話の積滞(電話の加入申し込みをしてもすぐ設置してもらえない状態)解消のめどが立ち始める一方で、情報化社会論が提唱され始めるという時代の転換を敏感に察知した電電公社(現、NTT)を中核に設立された、メディアと社会の相関をさぐる研究所であった。
経緯をいまごろになって知った。

2015/03/11

忘れる以前の話

2015年3月11日。
今日の東京新聞。

1面と最終面
復興途切れ途切れ」(小沢徹撮影)
18時半すぎの国道6号の上空写真。福島第一は明るく、その周辺は暗いまま。
黒い壁果てしなく」(梅津忠之撮影)
拡大する一方。

筆洗」子の一言。
震災を「過去」ではなく「明日」の出来事ととらえなおすべきではないか。被災地はあの日、時間が狂い、何年、何十年後の日本へ運ばれてしまった。突拍子もない空想だが、被災地で進む人口流出も極端な高齢化も日本全体がいずれ直面する痛みである。被災地は過去ではなく、今から起きる日本全体の姿。

2015/03/10

用なしに用あり

初めて絵を買った。

洋梨を描いたF0サイズの油絵で、作家は50歳の山崎さん。

たまたま寄った東日本大震災チャリティ展で飾られていた作品だ。洋梨の皮の雰囲気がいい。

30年ぐらい前のこと。今のようにものすごく有名になる前の舟越桂さんの即売展示会が新宿のデパートであった。そのとき、気に入ったリトグラフがあって、買おうかどうか迷って、結局買わなかった以来だ。まだ手が届く価格だった記憶がある。少なくとも今と1桁は違っていた。

2015/03/09

ついツッコミ

電車内の中吊りポスター。

わざわざ断っている。「お客様同士、鉄道係員への」と。

こう書かれたら、「鉄道係員同士」の暴力行為は犯罪にあたらないのかと言いたくなってしまう。

具体的に書けば書くほど、書かれていないことはやってもかまわないのか、と思ってしまう。だから、マニュアルも厚くなりがち。

ああ青春

青春映画「幕があがる」をシルバー割引で鑑賞した。

誘われて見たのだが、よかった。

対照的な二人の先生がいい。
使いたくなるようなセリフも多い。
舞台の裏側やワークショップのようすもわかる。

原作は平田オリザ。
高校の元「弱小」演劇部が舞台。

松江哲明さんのコメントを読んで納得。
「『幕が上がる』が一番突き刺さるのは、ももクロにも演劇にも興味がない人だと思う」。
 ももクロは名前しか知らなかった。

続きはここ


見終わったときの落差が大きすぎる。見渡すと、観客はたったの10人。ボクら以外はみな高校生ぐらい。



2015/03/07

今朝、目玉焼きを食べたので

遅めのランチ。
カウンターで、中にいる人に注文したら、左席の男性が頼んだゆで卵が置かれた。ボクが注文したのはミニサラダ。
彼と私を、席の左右で区別していたようだ。
間違いを言ったら、お店のひと(70代女性)曰く、「そういえば……」と思い出したらしかった。
年格好が似ていたので、外見の手がかりが使えなかったからなのかも、とあとで気づいた。ボクが格好よければ、間違うこともなかっただろう。


鈴木大拙館からの帰途(「暮しの手帖」の「今日の買い物」第19回が「金沢へ」岡本仁)。

みんなで、という発想

越後湯沢経由で、金沢を往復した。図らずも、廃止目前の「はくたか」を利用することになった。

ほくほく線を過ぎ、直江津も過ぎ、JR西日本に代わったあたりで、案内放送が流れた。

「特急はくたか号は、ほくほく線開業の平成9年3月22日から首都圏と北陸地域を結ぶ特急列車として誕生しました。ほくほく線内を在来線国内最高速度となる160km/hで走り抜けて来ましたが、3月13日をもって越後湯沢~金沢間での運行を終了し、18年の歩みに終止符を打つこととなりました」。

「不」採算路線を儲かる路線(の売り上げ)で支えるしくみをやめていいのだろうか。


6月また金沢に行く用事がある。このときは長野経由で新幹線か。

2015/03/06

初めて出会った

電車のボックス席。

新宿駅で、70代女性の二人連れの脇に座った。
「へえ、130周年なの」。
新宿駅開業130周年の看板が目にとまったようだ。関心の方向に鉄分が漂う。

東京駅の記念スイカに話題が移った。

A「申し込んだ ?」
B「えっ、あなたも?」
二人とも上限の3枚まで申し込んでいる。
A「締切ギリギリ」
B「いつ届くのかしら。来年だったりして。もう生きていないかもね(笑)」
A「まあまあ。ご主人にあげるの ?」
B「いや。こういうの全然関心ないもの(笑)」
A「特に配る当てはないんだけどね、私も……」
B「私も、よ。でも、希望者全員に売るんじゃ、希少価値ないわよね」
A「そうよね。あの日、オークションサイト見に行ったんだけど、2枚で1万5千円。少し後で行ったら、もう3万円。私だったら買わないわ」
B「そう。誰が買うのかしら」

あのスイカを買った人に初めて出会った。

6/499万枚を申し込んだ二人に出会った。

2015/03/03

三大建築家の空間

昨夜は三役でお疲れさん会。会場は、吉祥寺のフランス料理やさん。ほとんどの料理に、バルサミコのソースがきれいにかかっていて、芸術作品のよう。おいしく、つぎつぎとお皿が空いていく。

今日は同期会に呼ばれての昼食。国際文化会館内のレストランでフランス料理。メインを少しずつ分け合い、肉も魚も堪能。いい桃の節句になった。

食後、庭園を散歩していると、狸らしい動物が目の前を横切っていった。ビックリ。

さて国際文化会館。行くのは2回目。と思っていたら、どうも記憶と違う。初めてなのかもしれない。

国際文化会館の場所は多度津藩の持ち物。明治以降、つぎつぎと所有者が変わり、戦後、岩崎小彌太邸から国有地になり、国際文化会館に払い下げられた。

1955年、前川國男坂倉準三吉村順三、三氏の設計で東館(旧館)が完成、1976年、前川國男の設計で旧館改修と新館(西館)増築。

建物は開口部が大きく、窓は木枠。その掃き出し窓は天井まであって視野をさえぎらない。廊下は天井が低く、階段は適度に緩く、落ち着く。あちこちに置かれている椅子もいい。

用事を作って、一度泊まってみたい。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...