2015/08/04

固有名の衰退

 長田弘さんが2年前に行った講演を聴いた。タイトルは「詩と固有名」(これで、ググったら『本についての詩集』がヒットした)。
 講演の前半は、ことば遊びのようだけど、「死と固有名」。タイトルは後半に相当する。
 講演はアメリカの小さな町をまわったときの話から始まる。
 その小さな町々の中心には広場があり、そこには戦死者の碑がある。そこには死者の名前と、どの戦争で亡くなった(was killed)かが刻まれている。
 日本に慰霊塔はあっても死者の名はない。明治政府以降、戦「没」したかれらは「御霊」になるからだ。しかし、明治政府に抗った白虎隊十九士の墓、薩軍兵士の墓「南洲墓地」、そして沖縄「平和の礎(いしじ)」にある刻銘碑は違う。
 ワシントンD.C.にあるThe Wall(ベトナム戦争で亡くなった兵士の慰霊碑 Vietnam Veterans Memorial)にも名前が刻まれている。その名前をなぞる人も多い。
《後半》
 近代詩は固有名がふんだんに出てくる。しかし現代詩になると、暗喩が増え、自分を語る詩が多くなる。(固有名ではない)言葉がふえると、言葉を失うことになる。時間とともに伝わらなくなる。
Vietnam Veterans Memorialのサイトは、人名で検索できるようになっている。身元が判明した場合の登録もできる。
 

フルネームで呼んでくれてありがとう

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