2015/11/16

「半」

 社会性をもたない経済、社会性を持たない労働、社会性を持たない個人の誕生は人間たちに何をもたらしたのか。 
 私たちの社会では、必要だから生まれたものはそれほど多くない。多くのものは、それぞれの論理でつくりだされただけである。ところがそれが生まれてしまうと、そのことに適応した社会構造が生まれ、それなしには不便と感じる社会が発生してしまう。 
 社会のあり方と経済が一体化していない以上、つまり経済が経済独自の論理で展開している以上、経済は根源的な社会性を保持していない。 
 にもかかわらず、そのシステムの中で人は働いている。だからその労働は、根本的には社会性をもってはいない。 
 近代的な世界がつくりだしたバラバラな論理は、経済や労働を虚しいものにしてしまったのだと思う。 
 課題はどこにあるのだろうか。それは、経済が経済以外のものと結びついて展開するかたちを見つけだすことだろう。
 内山節さんたちは、それを「市場経済」として提示する。
 「」は大事なところを突いている。
 今川民雄さんは新刊『人とのつながりとこころ』の冒頭で、井上忠司さんの『「世間体」の構造』にふれ、ケータイで「世間」が潰されていったと書いている。世間とは「うち」と「そと」の中間(半うち、半そと)。いわば「半」の危機を感じている。
 「半」は、中間、あいだ、境目、中規模、中ぐらいを意味する。緩衝剤のようなものである。「半」のない状態は対立や衝突をもたらし、先に進めない。
 

フルネームで呼んでくれてありがとう

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