2015/10/31

ブログ発のブーム

こんにちの若冲ブームのきっかけを作ったのはブログらしい。
2000年、京都国立博物館が伊藤若冲展「没後200年若冲」を開催した。最初はガラガラだったのが、後半になって盛り上がり、館員を驚かせた。マスコミでの宣伝もなかった(若冲をワカオキさんと読む人も多かったらしい)。
ある大学生が、卒論でこのブームに取り組んだ。その結論は、偶然この展覧会を見た若い世代の人たちが、当時普及し始めていたブログで、「スゴイ」と発信したのが最大の理由だというものである。
とすれば、「若者が、先入観なしに自身の目で若冲を発見したことになる」(辻惟雄)。
』2015年11月号より
卒論の現物を見てみたいものだ。

2015/10/19

フォント

津野さんの『百歳までの読書術』が好評らしい。老人力の入門書にもなっているからだろうか。

売れ行きは高齢社会の指標でもある。

装丁はもちろん平野さんが担当している。で、確かめたくなった。

平野展の目録に付いていたコウガグロテスクで書名を組んでみた(写真の右)。左が実際のタイトル。

両者をくらべると、書名では「の」の形と太さ、名前では「郎」の形が違う。これらは全体のバランスを考慮した結果だろう。

文脈を考慮していないはずのコウガグロテスクフォントもいい感じで納まっている。どうやって納まりを確認するのだろう。


2015/10/17

何の変哲もない一日のはずなのに

特別なことなど起きそうもない日でも、いろいろある。

前橋に行こうと思って、新宿駅に着くと、両毛線で車両トラブルがあり、その影響で、高崎線直通電車が止まってしまった。大宮駅まで埼京線で行き、新幹線に乗り換えた。高崎駅で降りると、少しずつ動き始めていた。その高崎駅では、振替輸送でのぼりの新幹線切符を配っていた。こういう振替輸送があるとは知らなかった。大宮駅でも実施していたのかもしれない。

前橋では知り合いに声をかけられ、これはこれでビックリ。まあ、居合わせてもおかしくない人なので、驚きは中ぐらいか。

前橋市内は閑散としていて、飲食店は大半が休業。歩いていて目立ったのは、NHK大河ドラマのポスター。

前橋からだと桐生が近いらしいので、上毛線に乗るべく、中央前橋駅まで歩いた。ホームの車両を見てビックリ。止まっていたのは往年の井の頭線車両。懐かしい。しかし、桐生まで50分かかると言われ、断念した。ここの駅舎は妹島和世風だけど、彼女の設計ではないらしい。

帰りは、行きで乗りたかった湘南新宿ラインにしようと思ったが、あいにく、朝方のトラブルの影響で運休。上野東京ラインのグリーン車で赤羽まで行くことにした(帰りに新幹線を使う予定だった)。途中で、自民党のS議員がザック姿で乗車、途中で下車した。

トラブルの影響はこの線にもあり、途中、何度か駅で待機した。

長距離の「相互直通運転」のトラブルは広範囲に影響を及ぼす。空間も時間も。

2015/10/14

やる気

教授会が終わり、後片付けをしていたら、職員の人が近づいてきて、「先生のやる気はどこから出てくるんですか」と、質問された。
すぐに答えられる質問ではなかった。
抽象的だったことに加え、やる気があるように見えていたことにおどろいたからだ。
「ひまだから」では答えにならないし……。
「みんなががんばっているから」(社会的促進)という気もするし、ちゃんと給料もらっているからという気もする。
うまく答えられないまま、「近いうちに話す機会が来ると思うから」と継いで、別の会議に向かった。
では、なぜ、みんなががんばっているのか、説明する必要がありそうだ。

2015/10/10

ほめ言葉

「いい本を出されましたね。(こういう本を出すために、われら、生きているんだものね。)……」

 平出隆さんが『遊歩のグラフィスム』を刊行した際、出口裕弘さんから届いた葉書(scripa秋号)。

「原田知世は天才です」
 大林宣彦が角川春樹に書いた手紙本の雑誌10月号)。

「薬師丸ひろ子は天才です」
 佐藤純彌監督がロケ現場で角川春樹に言った言葉(本の雑誌10月号)。
ほめることは、重圧になることもあれば、自惚れさせることもある。ほめ言葉礼賛は、いわば技術決定論だから、言葉だけ抜き出さないで。

2015/10/09

卒論の進め方9:「反対」に思いを馳せる

研究テーマを練る際、「反対」ないし「逆」のことも考えてみよう。

たとえば、「コミュニケーション」。

「ディスコミュニケーション」について、ちょっと考える。それで、「コミュニケーション」に関する理解も深まる。

たとえば、「バリアフリー」。
「バリアアリー」のほうがいい場合もある。そう考えると、バリアフリーがすべてではないことに気づく。バリアってなんだろう、と考えざるをえなくなる。

ペアで考えることの陥穽もあるかもしれないけど、発想法の一つとして提案。

2019年7月14日

2015/10/08

学部20周年グッズ第1号

学務課のNさん(きっとコミュニケーション学部ファン)が、コミュニケーション学部開設20周年グッズを作ってくれた。

 ベースは大学のキャラクターキューピー。そのキューピーに「コミュニケーション学部20周年」と書かれた幟を持たせ、パッケージの上部には「祝20周年」のフラッグガーランド。頭の上には黄色い花リボン、タレには赤字で「祝」。

 それを「祝 コミュニケーション学部開設20周年」という熨斗でくるんである。

 予告はいただいていたのだが、ここまで凝っているとは予想もしていなかった。

 ありがとうございます。

2015/10/07

東経大のパリ

2時間め、芳賀先生の授業に参加、大学周辺を歩いた。

 まず、構内を観察。蝶やトンボが舞っている近くに独特の赤い萼の目立つ木があった。
臭木」と教えてもらった。夏、白い花を咲かせる。若葉はサラダにも使うらしい。もちろん、名前どおり、臭いはずなのだが、この時期、近づいても臭わない。
 パリ15区の街路樹にも使われている。また、薮のところに最初に成長することから、パイオニアの樹としても知られている。

 そのあと、野川に出、崖の上に出て、丸山通りを歩いた。途中、あのローズガーデンの前を通った。よく道をたずねられるスポットだ。国分寺も崖の上はちょっと雰囲気がちがう。

 ボクは用事があったので、ここで分かれ、大学に戻った。一行は殿ヶ谷戸庭園へ。

2015/10/06

うん、うん

「生きていれば、うれしいことも悲しいことも、波のように繰り返しやってくる。でも、それらは自分のせいではない。有頂天のときもどん底のときも、そのことを思い出して、ちゃんと元の居場所に戻ること」。

 木皿泉(キザライズミ)の連載「ぱくりぱくられし」の冒頭に引用されていた自著『6粒と半分のお茶』から。

「四十にして惑わず」と思っていたら、違うらしい。まず孔子の時代に「惑」という字はなかった。「或」ならある。不惑ではなく、不或。したがって、「四十にして或(くぎ)らず」となり、これは「四十にして自分を限定してはいけない」ではないか、というわけだ。安田さん曰く、「そんな風に自分を限定しちゃあいけない。もっと自分の可能性を広げなきゃあいけない(安田登「野の古典」第5回「ふつうの人のための論語」)。
 戦争の話もおもしろい。「自衛のためというもっともらしい理由づけがなされますが、孔子はそれを『言い訳』としています」(略)「いつの世も戦争は起こり得ます。戦争を始めるには何らかの『言い訳』が常に必要です。私たちはこれを回避するためにも『言い訳』を見極められなければなりません」。
「小人」も勘違いしていたようだ。
 五経の一つ『尚書』を読むと、小人というのは「ふつうの人」「大衆」という意味で使われている。したがって、論語の中で「小人は」と出てきたら、「ふつうの人は」と読めばいい。であれば、思い当たることばかりと、安田さん。
「君子」の解釈もおもしろい。

 以上、無料で手に入る『scripta』2015年秋号から。見開き部分は「紀伊國屋書店出版部60周年」の綴じ込み付録。

2015/10/05

クリンチさんの子どもたち

長女はジアンちゃん。名前の意味は「存在」。何になりたいの?「お医者さん!」。
次女のロジンちゃんは「太陽」。「警察官になりたい。『警視庁捜査一課9係』というテレビドラマがかっこよかったから」。
三女はベルフィンちゃん。雪の下に咲く「雪割草」という意味。弁護士になりたいという。
名前はいずれもクルド語

「存在」といった名前は日本では見たことがない。「在」とか「有」は近いのかもしれないが、深い
名前だ。3人の名前の共通点は「ン」で終わること。

メメトさんとエルマスさんの子どもたちだ。中近東の先住民族、クルド人の家族。クルド人は世界に2500万から3000万人いると言われるが、独立国家を持っていない。各国に分かれて住むため、どこの国でも少数派。エルマスさんはトルコから日本にやって来た。今年で15年。

クリンチさん家族は「法務省から在留特別許可をすでにとっている、きわめてまれなご家族です。トルコから逃れてきたほとんどのクルド人はいわば不法滞在で、本来であれば母国に帰るまで入管施設に入れられるのですが、収容人数に限りがあり、『仮放免』を申請してそれを免れている。たとえ国連が難民認定をした人であっても(母国で迫害を受けるおそれがある人を保護する制度)、トルコとの関係を優先する日本で難民申請が認められることはほぼありません」(クルドを知る会の松澤さん)。

森まゆみ「お隣りのイスラーム:日本に暮らすムスリムたち」第13回。「クリンチ・メメトさん&エルマスさん」。scripta 2015年秋号。

2015/10/03

宵闇の東京湾

父母の会イベント後の船上懇親会で、1年生から4年生までの親御さんと歓談。

あるお母さんから受けた相談は、内定はもらったものの、希望業種でなく、本人は迷っている。どうしたものやら、というもの。
いろいろ話しているうちに、内定先と希望業種との間に思わぬ接点が見つかった。「そうですね、確かに。商品開発にもつながりそうだし」と、少し先が見えたようだ。
モザイクをかけて再現すると、こんな具合だ。
本人の希望先は仏料理関連であるのに対し、内定先は日本料理関連。日本料理でワイン、があるように、仏料理に日本酒とか。いろいろコラボレーションがあるのでは。

就職も決まったので、つぎの課題は結婚、という親御さんも。一人っ子だから、と。

来年の秋卒業になりそうなのだけれど、その後の半年間をどう過ごせばいいでしょうか、とか。

入学式後の保護者向け講演会で西垣先生が集合知について話された。そのことにふれ、「おもしろかったです」と言ってくれたのは1年生のお母さん。

食べながら、飲みながらの話は尽きることがない。

2015/10/02

受験生人口

先日、都立高校を訪問する機会があった。
いちばん深刻なのは経済問題(と国籍問題)
大学進学したくても、お金に余裕がない。
受験料はなんとか工面できたとしても、入学金、通学費、教科書代が出せない。
授業料は、がんばれば、免除になる可能性はある。
しかし、それに先立つものが払えない。

こんな調査結果が報じられた

高校生の3人に1人が「お金の面から大学進学は断念すべきかも」と考えている

神奈川大学の調査である(詳報はまだ出ていない)

18歳人口と進学率の推移をもとに、志願者数予測はなされる。しかし、後者はいま出ている予測より、下がるのではないか。
進学率は頭打ちどころか、このままでは下がる。
教育機会の保証は国の大事な役割。未来を担う人たちを作るのだから。
教育の受益者は直接には本人のように見えるが、結局は社会。みんなで支えるのが筋だろう。
まずは費用を安くする(大学の補助を増やす)。税金はわれわれが払ったもの。

交通遺児のボクが大学に行けたのは、(国立大学の)安い授業料と奨学金のおかげだった(あとアルバイト)。そのことへの感謝がいまの仕事を支えている。いわば恩返しのような気持ちが根底にある。経済的理由で進学できなかった人たちが社会に感謝するだろうか。

2015/10/01

「ロッキー」に重ねる

 第153回直木賞受賞作、『流』(りゅう)を家族が買って来た。たまには受賞作品でもと、読み始めたら、止まらない。書名は、そこから来たのだろうかと錯覚するぐらい、流された。

 それを書いた東山彰良さんが「」10月号に寄稿している。

「ロッキーによろしく」

 内容も表現も痛快。そりゃ、作家なのだからあたりまえ、と言ってしまえば、それまでかもしれない。だが……

『流』の授賞理由が「わからずにいる」東山さん。
しかし、ふりかえってみると、このわたしだって当時のスタローンに負けず劣らず牌がそろっていたのではないかという気がしないでもない。
途中いろいろあって、以下が最後の一文。
つぎはわたしの番だ。
Eye of the Tigerが聞こえてきた。

30年前、映画「ロッキー」に出てくるフィラデルフィア美術館の階段に立ち、ロッキーが見たであろう光景を確認したことがある(ポーズはしなかった)。

 東山さんを重ねながら、もう一度映画を見てみたくなった。

 ついでながら「流」を東山さんが映画化すれば、彼はスタローン。
「Philadelphia Museum of Art」で画像検索した結果と、「フィラデルフィア美術館」で検索した結果が違いすぎ。

匿名のままでは死ねない

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