2016/02/16

「私はもうすぐ73歳……」

「……になります。毎年のように、ベトナム反戦会議や東大全共闘の仲間の訃報が届きます。私自身、あと何年生きるかは知りませんが、残りの人生、やれるだけのことはやっておかないと、個人で、バラバラにされているわけですから個人でしかやることはないわけですが、個人的にでもやれることを探していかなくてはいけないと思っています」。

山本義隆『私の1960年代』の巻末から

「語らない」と以前言っていた彼が意外にも語った。本書は、2014年10月に行なった講演がベースになっている。

 感想はいろいろある。

 再認識したのは科学と技術(工学と言ってもよい)は別物だということ。科学技術庁という庁がある。両者を一カ所に託すのはどだい無理な話。技術ありきの科学になってしまう。安心と安全も独立なのに4文字熟語のようにセットで使われる。一緒くたに扱う話は、その時点でお里が知れてしまう。

 帝国大学はじめ、国策で誕生した日本の大学。昨年の文系不要発言は、その意味で軌道修正でも何でもない。大学管理法(通称、大管法)のことも出てくる。その後、姿を変えて再登場する。

 1章で、東経大のことが引用されていた。出典は色川大吉「安保」寸感(『明治の精神』所収)。1960年7月、授業で、安保デモに参加したことのある者と聞いたら、300名中8割弱が挙手したというくだりだ。

 補注という名の付録に、「同志」への弔辞がいくつも載っている。弔辞を通じて、そのときどきの自分が語られる。対話になっている。
紙面に残っている、ときの政治家、ときの研究者の発言。それを押さえておくことは大事だ。人はすぐ忘れる。だから、歴史は繰り返す。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...