2016/04/16

熊本の地震

3.11から5年。

6/14 21:26、熊本で大地震が起きた。揺れた時、すぐに地震速報が出なかったので、変だなあと思っていたら、やがて判明した。しかし熊本が震源地とは思いもよらなかった。

震源地の震度は7(M6.5)。震度7は、阪神・淡路、3.11級だ。

先日のブラタモリで熊本を見たばかり。あそこに出て来た人たちはどうしているのだろう。風景はどうなっているのだろう。もはや、あの画面にしかない光景もある。

その後も大きな地震が続いた。なかでも16日1:25の地震(M7.3)は大きく、これが一連の地震の本震とされ、14日の巨大地震は前震とみなされた。そもそも余震も含め、これらの表現は相対的だから、その時点では、どれが前震で本震かは決められないのだろう。余震にかぎれば、この表現には余震であってほしい、これ以上大きな地震は起きないでほしいという願望も少しは含まれているのでは。もちろん素人考えだ。

地震はいまも続く。不気味なのは震源地が少しずつ北東に移動していること。いまや大分を震源地とする地震が増えている。

地震、一秒でも早く止んでほしい。
官邸からの情報がテロップで流れる際、いちいち「安倍首相が……」とか、「菅官房長官が」とか出る。内容は被害状況とか天気予報といった事実で、名前を出す必然性がない。単純接触効果ねらいだろうか。

2016/04/11

車内放送

原武史の『潮目の予兆 日記 2013・4—2015・3』を読んでいたら、こんなくだりがあった。2013年6月の日記だ。
(パリの)メトロに乗る。……車内放送もそっけなく、駅名を一回言うだけ。
パリはいいなあと思っていたら、ロンドンは違うらしい。別の日の日記にこうある。東京のようだ。
ロンドンでも、電車が遅れると車内でおわびの放送が入ったのにはびっくりした。
うるさい空間での音声案内は少ない方がいい。せいぜいストレスを高めるだけ。しかも最近はボリュームが大きく、聞こえの悪いボクでさえ、耳が壊れそう。視覚案内で十分だろう。
この日記、けっこう人名がそのまま出てくる。編集者はじめ大半はイニシャルだが、学生の名前もフルネームで出てくる。その分、リアリティはある。

2016/04/09

淹れ方いろいろ

コーヒーの淹れ方はいろいろある。ハニー珈琲のチラシにこんな方法が紹介されている。

 同店では、コーヒーの油分も味わってほしいとして、ペーパー類を使わない方法を推奨する。この場合、フレンチプレス(紅茶にも使われる)が一般的だが、細かい網目付き急須や茶漉しでも「楽しめる」と勧める。分量や時間はフレンチプレスと同じ。
1杯あたり8g(中粗挽き)、140から150ccの熱湯、4分。茶漉しの場合は4分経ったら、3回ほど混ぜてから注ぐ。

 これだとコーヒー専用の道具が不要なので、ものが増えなくていい。

 でも、すでに買っている、フィルターを。淹れたあとの片付けを考えると、おいしさは落ちるかもしれないが、ペーパーフィルターの方が簡単ではある。

 ゴミの「最適」処理は、どこまで範囲をひろげて考えればいいのか、わからない、むずかしい。ゴミを出さない方法にしても同様だ。

2016/04/08

「大変」を伝える

小山鉄郎 2015 『大変を生きる:日本の災害と文学』作品社

 本書は「日本で起きた古代・中世から現代までの自然災害(大変)が描かれている文学作品と、その災害の姿を追ったもの」。「大変」とは、地震、噴火、洪水、台風の4つである。

 引用したい箇所ばかりだが、二つだけ、地元がらみで。

 長野の「大変」は、天明三年浅間大噴火(1783年)、善光寺地震(1847年)が出てくる。こんなに大変だったとは知らなかった。典拠は、前者が立松和平『浅間』と大石慎三郎『天明三年浅間大噴火』、後者が伊藤和明『地震と噴火の日本史』。
 浅間大噴火ではこんな記録が残っている。
 近隣三村(大笹村、干俣村、大戸村)の有力者(長左衛門、小兵衛、安左衛門)が生存者を引き取り、小屋を建ててあげ、食糧も送って村民を助け、さらに家柄にこだわっていては村の復興は不可能と判断し、被災者同士で新しい家族を作ることを提案し、被災した鎌原村は再出発をはたした。三人は他の村にも手を差し伸べ、幕府はかれらを表彰し、帯刀と名字を許されている。
 浅間大噴火は天明の飢饉に影響を与え、さらにフランス革命にも影響を及ぼした(上前淳一郎『複合大噴火』)という。

 善光寺地震の章には、本堂東側入口のねじれた柱の話が出てくる。ボクは、こう聞かされていた。
 何事も完璧はよくないので、棟梁が1本だけねじれさせた。その角柱は礎石に対して時計回りに20度ほどねじれている(新しい長野駅舎の正面の木の柱は、善光寺本堂の柱に似ているが、すべて礎石の形に沿っている)
 ところが実際は違った。この柱は地震柱と呼ばれ、地震の激しい揺れでねじれたとされてきたという。これには異説があり、再建時に生木を使った結果だという(本堂正面南西端の大円柱に疵(きず)ついた半円形の跡がある。これは地震ではずれた大鐘がぶつかったためにできたもの、はずれそうにない鐘で、いかに大きかったかを物語っている)
 びっくりしたのは大洪水の規模。この地震で地滑りと山崩れが起き、これが犀川の流れを堰き止め、その堰き止め湖がその後決壊し、川の水位が一時20mにも達し、その濁流は4時間を越したという。決壊を予想した松代藩は避難を住民に呼びかけたが、半月経っても、変化がなかったため、しびれを切らして戻った100人あまりが洪水の犠牲になった。

 自然災害を文学作品で描くことは、「その文章の見事な描写力によって、災害のことが深く心に残る。もし読者が災害に遭遇した時に、印象深い文章の記憶が、その人の生死を分けるかもしれない」という効用がある。「稲むらの火」しかり。

2016/04/02

役に立つ? 社会?

 一気に暇になった、不安になるぐらい(笑)。で、手帖を確かめたが、確かにしばらく何もない。


さて室井さんの『文系学部解体』を読んだ。きょうの東京新聞の書評欄に吉見さんの『「文系学部廃止」の衝撃(ただいま2刷らしい、出版社のホームページによれば)が紹介されていて、その最後にちょっと顔を出している。

 山本義隆の『私の1960年代』に、帝国大学発足の背景が富国強兵とからめて書かれていて、それを読むと、文科省の方針はその時代となんら変わっていない。その意味で、一連の「文系」否定はいまに始まったことではない。しかし、いったん大学ができ、現時点から大学の意義を再定義する(過去の経緯から自由になる)ことは重要だ。

 室井さんの本で、ハッとさせられた箇所がある。横浜市交通局から依頼された仕事への対応だ。

 2002年、彼は、新型バスのラッピングデザインを頼まれる。その際、応募させて優秀作を選ぶという方法を彼はとらなかった。「半年間毎週、交通局の職員も入れて徹底的にミーティングを行い、バスの営業所を訪問したりするワークショップを行った。現在でも、我々がデザインした100台以上の白いバスが実際に横浜市内を走行している」。

 文系問題で、よく語られることがある。曰く、「すぐには役に立たなくても価値はある」「社会的要請に応えるだけが大学ではない」。しかし、そもそも「役に立つ」あるいは「社会」そのものが等閑視されている。「役に立つ・立たない」の判断は可能なのか。もし「産業的要請」であれば、それに応えるだけが大学ではない、とボクも思う。だが「社会的」ということばを使う以上、それに応えることは重要だろう。解決すべき「社会」問題は山積しているのだから。

 受益者という発想にこだわるならば、教育の当面の受益者は本人かもしれない。しかし最終受益者は社会全体である。賢い人が増えれば、そのぶん社会も恩恵を受ける。授業料はただにすべきだし、ましてや奨学金は給付にすべきだろう。授業料の工面に苦慮した人が、どうして社会に貢献しようという気持ちになれようか。

2016/04/01

2016年度開始

入学式。
夕方から新人歓迎会。専任教員、客員教授、特任講師と、文科省で言うところの専任教員扱いのスタッフ(交換教員も含まれる)と、新任職員が対象。こんな会は前任校ではなかった。ルーツが単科大だからだろうか。むかし、父の会社の慰安会に家族で出たときの雰囲気に近い。一言で言えば、アットホームあたり。
教員採用は昨年度の仕事だったこともあり、一応ここまでがボクの仕事という気持ちもあり、出席した。
半年の定期券がきょうで切れる。
明日からは会議もなく、生活が変わる。

匿名のままでは死ねない

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