2016/10/28

卒業生からのメール

 深夜、こんなメールが届いた。メキシコ発だった(時差は14時間)。ありがたく、ありがたく、何度も読み返した。この学生はインパクトのある名前だったので、名前は覚えていたものの、顔が思い出せない。
 メールでは、学部や大学のことにもふれられている。賛同することばかり。

【第一報】

東経大コミ部を2009年に卒業しました○○といいます。覚えていらっしゃるでしょうか?

お忙しい中突然ご連絡してすみません。広島出身で端艇部に所属しておりました。

1年の時に先生の講義を受講し、私のブログの発表をさせていただきました。卒業は恥ずかしながら半年遅れましたが…‥

(略)

先生の授業はとても面白く、また広島への関心も持っていただいており、◇◇として、勝手に親近感を感じておりました。

私は今年初めより仕事の関係でメキシコに赴任しておりまして、実家から東経大の学報が届き、懐かしく思い、ご連絡しました。

私にとって海外で働くことは子供の頃からの夢でした。違う文化・言語の方々と関わって仕事をする中で、コミュニケーション学部で得た知識や見識を多く活かせていると実感しています。

先生の社会心理学の講義もとても興味深かったです。

コミュニケーション学部のことを知らない人にはよく「就職に役立たない」と言われることがありますが、私という人間の一端を形作るかけがえのない物を得ることができました。

就職に役立てるために大学に行く、という考え自体が不思議ですし、そうして通った大学はただの塾と同じと思っています。

本当にコミュニケーション学部を選んでよかったと思う日々です。

この機会にひとことお礼をお伝えしたいと思い、ご連絡しました。私はおおぜいいる学生の一人にすぎませんが、先生は私にとって大変印象に残る先生でした。

現在ブログは更新しておりませんが、Instagramで「□□」というユーザー名で更新しています。Instagramは写真主体なので、人間関係が濃いFacebookより気楽に感じています。ブログも再開したいなと思っていますので、よろしければご覧ください。

メキシコや○○に来られる機会がありましたら、ぜひお知らせください。

さらなるご活躍をお祈りしております。

【第二報】

追記です。もし万が一、以前の発表のように講義の材料としてできることがあれば何でも言ってください。

今の仕事はローカルスタッフへの業務指導、マネジメントが主ですので、スペイン語に四苦八苦しながら楽しくやっています。

よろしくお願いします。



◇◇の部分は、今回はじめて知った内容だった。このことにふれると、本人が特定できてしまうので、伏せた。ブログへのリンクがあったので、見に行くと、本人と家族の写真があり、思い出した。おお、彼だ。

「コミュニケーション学部のことを知らない人には‥‥、私という人間の一端を形作るかけがえのない物を得ることができました」は学部にとって、かけがえのない一文だ。うれしい。


2016/10/25

メメント・モリ

世界のお墓』。

 こういうジャンルの本を何と呼ぶのだろう。たとえば、『世界で一番美しい駅舎』。タイトルに、「世界」が付いたり、「一番」が付いたり、「美」や「絶景」が付いたり、「死ぬまでに一度は」が付いたりする、写真主体のムック。

 このジャンルにお墓もあるとは。まさに「メメント・モリ」。

 「死者を想え」。自分も必ず死ぬことを忘れるな。死と生に畏怖の心をもて。

 楽しいお墓もある。ルーマニアのThe Merry Cemetery in Sapanta

 いいなと思ったのは、自然に朽ちるタイプ。たとえば、オーストラリア連邦メルビル島のPukamani Poles。「死者とともに逝く墓」。

 先住民族ティウィ族のお墓だ。墓標が木製で(高いものだと高さ4m。直径30cm)、やがて朽ちてなくなる。「肉体が朽ち、死者の魂が慰められたら墓標もまたともに朽ちるのだ」。

 同じようなお墓として、カナダのMortuary Poleも紹介されている。これも「朽ちて自然に還る墓」。死者と暮らすお墓?、City of the Dead(エジプト・アラブ共和国)も紹介されている。

 世界各地の葬送は、自然環境にかなっているとの解説があった。木の育たない土地では火葬は容易ではない。だから鳥葬(ラサ)



 Pukamani(プカマニ)はティウィ語で、タブーを意味する。

 40年前、バナラシに行ったとき、荼毘に付している光景を目の当たりにした。まだ20代だったボクには死の日常というよりも好奇心が先行した。

2016/10/24

神は「局」部に宿る

「神は細部に宿る」。
細部(details)を突き詰めれば局部(section,segment)になる。
世界は、分けないと見えない。を、地でいく都築さん

局部主義の彼の展覧会「僕的九州遺産」に行ってきた。あの局部(privates)と、この局部。両方が遺産として紹介されている。

入場券の購入と同時に説明があった。館内マップを手に「この展示室は18歳未満の方は入場できません」。館内も「あの」展示空間と「この」展示空間の、2つの局部に分かれているとは徹底している。

事前に「scripta」秋号の連載「ROADSIDE DIARIES 移動締切日」で予習。
陰陽石(宮崎県小林市)
ケロケロ共和国宮崎県小林市)
フルーツバス停(長崎県諫早市)

展示物に長野県の地名の出てくるものがあった。九州なのに長野? 戦前、長野県内の見世物小屋で使われた看板絵(布製)だ。なぜ、長野なのか。この絵を書いた絵師、志村静峰(せいほう)が九州出身だった。

ボクは細部ぐらいにとどめておこう。局部とは見方の産物でもある。そこまで行ったら、見るものが多すぎて、何回生きてもきりがない。

2016/10/20

もういくつ寝ると

 昼休み、祝饅頭を片手に、新春企画の第1回打ち合わせ(骨子が固まり次第、アナウンスします)。そのメモに、ボクの役割も書かれていた。

「“矢印好き” “人の名” “日記” をテーマに、川浦さん」が何かする/させられるらしい。

 この3点セット、自己紹介にもなっていることに、あとで気づいた。こういうのを、言い得て妙、と言うのだろう。3点セットからは、インスピレーションもわいた。
 例えば、日記→ジャーナル→ジャーナリズム。とか(忘れないうちに書いておこう)

■夕方から講演会
 武井誠さんと(コミュニティバスの)塩野太郎さん。

 手がけられた上州富岡駅から外国の駅まで紹介。富岡市は新市庁舎が隈研吾とか。DB(ドイツ鉄道)のステキな列車編成表とか、武井さんからいろいろ。

 塩野さんからは、障害者から外国人までを移動困難者とすると、ざっと20%。優先席も2割が目安とか、日本の電車空間は幅2.7m×高さ2.7mの方丈とか、Thalys(欧州高速列車)がお勧めとか、楽しく。

 音に関する質問もでき、あっという間の2時間。

2016/10/19

見られていた

 先日、ある会合で、ある大学の学長と話をする機会に恵まれた。かねてから挨拶をしたかった先生でもある。そっと近づいて、名刺を手に自己紹介。すると、

 「えっ、コミュニケーション学部ですか? 見ましたよ、あのコミュニケーション学部卒制・卒論一覧ポスター」。

 予想外の発言に、思わずニンマリ。あのポスターに目が止まり、しかも覚えていてくれる人がいた。しかも、その人は、あの先生。さすがにうれしく、お礼を述べると、

 「あれを見て、うちの学科と同じじゃん、と思いましたよ。関心もやっていることも。今度、うちの授業でも見に来ませんか」。

 あのポスター、作った甲斐があった(今回で4回目)

2016/10/18

『プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争』

図書館の新刊コーナーで見かけた本だ。

 目次を見ないまま、パラパラめくっていると、「長野県」という文字が飛び込んできた。

「軍都としての長野県」

 満州開拓団を最も多く送り出した県であることは知っていたが、軍都とは知らなかった。出身者として気になる。

「勇士」の「防寒衣」になる羊毛を生産するため、日本でも養羊が行われ、長野県はなかでも盛んな県だった(このことも知らなかった)。寒冷気候、隣接する愛知県が毛織物工業が盛んだったことが大きかったという。ただし「満州に展開していた陸軍歩兵第50聨隊が松本を本拠地にしていたこと」「生糸に代わる安定的な新産業を模索していた地元の商工界が、軍需の見込める養羊」を重視していたことも「忘れてはならない事実である」。

 まえがきから読み始めた。この本にあるポスターが、実は長野県阿智村の原家に残されていたものだった。裏が無地のポスターは再利用されたり、小包用包装紙として転用されたりして、ほとんど残っていないらしい。


阿智村「満蒙開拓平和記念館


2016/10/16

備忘録

東京新聞の書評欄から
・難波知子『近代日本学校制服図鑑』創元社
・麻田雅文『シベリア出兵』中公新書
 書評(長山靖生)
・朝井リョウ『何様』新潮社
 書評(倉本さおり)
 著者インタビュー

2016/10/12

人格(権)を否定する日本

東京地裁、教諭の旧姓使用認めず 職員識別に「戸籍姓必要」
(東京新聞、2016年10月12日 朝刊、以下は抜粋)

職場で旧姓使用が認められず戸籍姓を強制されたのは人格権の侵害であるとして、日大三中学・高校(東京都町田市)の女性教諭が、学校法人日本大学第三学園に旧姓使用と慰謝料を求めた訴訟で、東京地裁(小野瀬厚裁判長、「飛び降り強要の加害者親に1000万円命令」11日、請求を棄却した。

 女性は控訴する方針(原告側代理人は早坂由起子弁護士

 判決は、戸籍姓を「戸籍制度に支えられ、より高い個人の識別機能がある」と指摘。「職員を識別、特定するものとして戸籍姓の使用を求めることに合理性必要性が認められる」とした。旧姓使用を認めない学校側に違法行為はないとした。

 昨年12月、最高裁大法廷(裁判長、寺田逸郎長官)が夫婦同姓を定めた民法規定が憲法違反かどうかが争われた訴訟の判決で、合憲と認めた上で「結婚前の姓を通称として使うことまで許さないものではない」と指摘。旧姓の通称使用が社会的に広まっていることを踏まえ、「改姓した側の不利益は女性が受ける場合が多いが、旧姓の通称使用が広まることで一定程度緩和できる」との見解を示していた。今回の地裁判決はこれと齟齬を生じた形となり、原告側は「社会の動きに逆行する判決だ」と批判している。

 日本大学第三学園の高瀬英久常務理事は「主張が裁判所に理解されたと評価している」。

■発想としてあるのは管理のみ。個人の尊厳を無視した「識別機能」「合理性」という事由はやるせない。「必要性」も含め、管理者(為政者)に都合のよい判決。裁判所の判決は判例主義ではないのだろうか。

2016/10/11

こんな本、あるだろうか

たとえば、統計の本。

 たくさんデータがあると、その特徴を一目でわかるようにしたくなる。平均はその代表例。3, 4, 5も、4, 4, 4も、「平均」は同じ。しかし、中を見ると、ようすが異なる。だから「散らばり」という指標が必要になる。

たとえば、日本語の本。

 段落の冒頭は一字下げ。なぜなのだろう。段落の始まりがわかるようにするというのが実用機能。これとは別にこんな働きもしている。最初がいきなり文字で始まったら、どきっとする。例えるなら、字下げのない段落は脱衣室のない銭湯のような、そんな感じと言えばいいだろうか。しかし一マス空いていると(空白があると)、そこで、心の準備ができる。これから文が始まるよ、という序奏が冒頭の空白にはある。

できれば、どちらも縦書きで。

2016/10/10

横浜で


塩田千春鍵のかかった部屋 の最終日。

 きのうもらったチケットで、横浜へ。

 以下は、塩田さんへのインタビュー記事から。

 「赤い糸と鍵は、人をつなぐシンボルです。毛糸の赤は血液の赤で、鍵は人の形に似て、大きな頭で小さな肩をしていますよね」

 「この作品では、人と人を赤い糸でつなぎたい、と考えました。アジアで赤い糸は、運命を示します。そして西欧でもゲーテの『親和力』の中には、イギリス軍のロープの中に1本の赤い糸が編み込まれていて、切ったときにどこの軍隊のロープかわかるようになっている、という一説もあります」

 「世界中の一般の方から鍵を募集しました」

 上の写真でもうかがえるように、観客が作品と一体と化している。壁のある一面だけが鏡になっていて、そこに作品の中の自分が映る。見る人と見られるものの一体化とは、見る人がいてはじめて作品は完成する。いったんはそう思った。しかし、人は絶えず動き、人も入れ替わる。ということは、「作品」はその人の「中」にしか存在しない(「中」は頭のなかでもあるし、この空間を歩いたという経験でもある)。そう考えると、塩田さんが作った一見作品らしきものは作品の一部でしかない。

 空間系の作品であれば、すべてこうした特徴を持つのかというと、そうとも限らないような気もする。それが塩田さんならではなのだろう。誰にでもできるわけではなさそうだ。

 この部屋の中を歩いていて、もしかしたら、ぶら下がっているたくさんの鍵の中にかつて失くした鍵があるかもしれない、という気持ちさえ湧いて来た。同時に、この中で寝たら、どんな夢を見るのだろうか、とも。


 作品諸元:制作1週間、鍵15,000個、毛糸3,000ロール(=60km)、扉5つ。

 入場券の裏面にこんな文章があった。「本展は写真撮影が可能です。フェイスブックやSNSにご活用いただき本展のPRにご協力ください」。終了後になりましたが、PRしました、ハイ。



 行きに横浜市営バスを使った。その料金箱(メーカーはどこだろう)が複雑怪奇。ICカード以外の人にとってはむずかしい。なんとかしてあげたいという気にさせる。
 カード用はICカードのタッチパネル、磁気カード型1日乗車券の挿入口(「専用入口」の表示)。現金用は2カ所ある。「硬貨と回数券」「千円札用」。前者には「520円の方(かた)は20円を先に入れてください」と書かれている。500円を先に入れると両替してしまうのだろうか。と、あとで気づいた。

2016/10/08

新宿で

建築学概論」を見る。このを読むと、もう一度見たくなる。

 韓国の映画は現在と過去を交錯するものが多い。見る側も、自分の現在と過去を交錯させられる瞬間がある。

 久保田桂子さんの「記憶の中のシベリア2作。「祖父の日記帳と私のビデオノート」「海へ 朴さんの手紙」*。

 10年もかけて作られた映画。それがたった1時間で見られる。ありがたい限りだ。スクリーンには、蟻、青蛙といった小さな生命、浜辺の石のような小さな存在が大きく映し出される。そのひとつ一つがひとり一人の人間のように見える。矩形に近いスクリーンは、人を窓から見ているような気にさせる。あたかも目前で起きているようで、遠くの出来事に見えない。



 朴道興さんは軍隊で一緒だった親友、山根秋夫さんに手紙を出す。朴さん曰く「私ら二名は一心同体だった」。しかし返事が来ない。その届かない手紙を手に、久保田さんは歩く。山根さんの住所は広島県秋田郡。秋田郡がどこなのか判明しない。そのうちに秋田は安芸のことであることに気づき、山根さんにたどり着く。

2016/10/07

名前どおり……7 「前人未到のことをするように」

17歳・畑岡奈紗、アマチュアで国内メジャー初優勝
(The Huffington Post  |  執筆者:吉野太一郎 投稿日: 2016年10月2日)

■高校3年生、名前の由来はNASAから
 畑岡奈紗は、ゴルフダイジェストによると「前人未到のことをするように」と、アメリカ航空宇宙局(NASA)にちなんで名付けられた。ゴルフ場勤務の母親の影響で11歳でゴルフを始めたが、本格的に始めたのは中学3年で、中嶋常幸が指導する「ヒルズゴルフ・トミーアカデミー」に入門した。

 両親の名前は、博美さん、仁一さん。

東京新聞「筆洗」2016年10月6日
 ゴルフで「プロより強いアマチュア」といえば(略)日本においては伝説のアマチュアゴルファー、中部(なかべ)銀次郎さん(1942~2001年)である。(略)プロゴルファーの青木功さんが言っている。中部さんがプロ入りしていれば「30勝はしていただろう」。中部さんも目を細めるか。17歳のアマチュアによる歴史的勝利である。日本女子オープンで茨城県の高校3年、畑岡奈紗さんが優勝した。優勝の最年少記録を塗り替えた。しかも、メジャー大会での快挙。スターの誕生である。最終日の最終ホールで決めた4メートルの下りのパットに唸(うな)ったファンも大勢いるだろう。比較することさえはばかられるのだが、未熟な「月一」のゴルファーたちは下りの恐怖に「ノーリーチ、ノーカップイン」(届かなければ入らぬ)の格言を忘れ、だいたいショートする。それを「外すイメージはなかった」とは恐れ入る。お名前は米航空宇宙局のNASAにあやかったと聞く。目標は全米女子オープンと東京五輪金メダル。(略)


2016/10/06

楽しみな70歳


 前期お世話になった清水さんと、内山さんという人のお店(左写真)で打ち上げ。

 中に入ると、そこはタイ。タイに行ったことはないけど、確実にタイ。インテリアや厨房の雰囲気、中にいるコックさん、元気なスタッフ。すべてがタイ。行かなかったけど、トイレもきっとタイだろう。

 食事は、鶏とサツマイモのイエローカレー。落花生も入っていて、サクッとした食感がいい。辛くなくコクのあるスープは、タイ米によく合う。

 やがてお客さんがどんどん入って来て、いつの間にか満席。大半は予約客のようだ。

 しっかり食べ、たっぷり話して、店を出ると、そこは日本。だった。時差もない。

 このお店、ライブもある。こんどはそれねらいでタイに行こう。

 清水さんにいいことを教えてもらった。彼はことし70歳。「周りの人から言われて、本当かな? と思っていたけど、本当だよ!」。「70歳をすぎると、楽になれる」。

 ボクはじき65歳になる(なによりも本人がビックリ)。70までには5年あるが、楽(ラク)の予感はある。いろいろ気を遣わなくなった(以前からそうだよ、と突っ込まれそうだけど)。ゼミでもがまんしないで、言いたい放題している。

 いまの目標は70歳。

 さて忘れないうちに書いておこう、勧められた場所などを。内子座嘉穂劇場住吉神社能楽殿青春18きっぷ、大阪までならバスとか。書き切れない。

■吉祥寺には、パクチーのバオバブもある。

2016/10/05

名前どおり……6 「その名にちなんで」


 潤一郎という名前は、谷崎潤一郎からとった、と母から聞いた。
 本当は父が好きだった吉行淳之介の名をとって、淳之介という名前にしたかったけれど、画数が悪いといわれ、それで潤一郎にしたらしい。
 この名前のおかげで、ぼくは、子どものころから、文学に親しんでいる気持ちを持った。人に自分の名前を説明するときは、必ず谷崎の名前を出した。
 父も母も本を読む人だった。けれど、ぼくは恥ずかしいことに、大学に入るまでは、一般的に「文学」といわれているような作品は、一冊も読んだことがなかった。
島田潤一郎 (2014)『あしたから出版社』晶文社

 学生時代、一所懸命、文学作品を読もうとするが、頭に入らない。ある日、むずかしい本で倒れてしまう。しかし、その後、彼は「本」を作り始める。出版社の名前は夏葉社。ここの本を2冊読んでいた。『かわいい夫』『レコードと暮らし』。
 いい文章を読むと、「あっ、これは!」と思う。自分の頭のなかにあった言語化されていないなにかが、ここに、文章として再現されていることに、震える。ノートに写して、その文章を何度も読む。それは映像や音楽などと違って、読んでいる自分と、分かちがたく結びついている。(略) 本のなかに書かれている文章を通して、読み手は、世界を再体験、ないしは再発見する。(略)は ……世界は、これまでよりも鮮やかに見える。人々は、よりかけがえのないものとして、この目に映る。
同感だ。文章は結果であると同時に、原因にもなる。

 こう抜粋すると、無限ループに入りそう。ミルク缶を抱えた子どもの絵があるミルク缶のように。

■手元にあるのは5刷。3カ月間のあいだでの数値。早い。こんな本が売れるのはうれしい。

 

2016/10/04

作るのは「文字」

鳥海修『文字を作る仕事』。

 著者は1955年生まれ。彼のほうが4年遅く生まれているが、子ども時代の経験が似ていて、懐かしく読めた。

 描写が的確で、当時を思い出した。何機も作ったライトプレーン。竹ヒゴを曲げるのが楽しかったが、そのうち加工済みに変わり、その楽しみがなくなったことも。

 さて、たとえばゴム動力で飛ぶ飛行機を作り、飛ばすまでの場面。
 横10センチ、縦5、60センチくらいの紙袋に「東京号」とか印刷してあり、その袋の中に設計図と一緒にプロペラ、車輪、胴体、竹ヒゴ、リブ、ニューム管、ゴム、飛行機紙などの部品が入っている。(略)左手にプロペラ、右手に胴体の後方を持ち、やや上方に向けて構える。先に左手をプロペラから離すとゴムの力でプロペラが回り飛びたとうとする。少し遅れて右手に持った胴体をかるく押し出しつつ離すと飛行機は勢いよく舞い上がる。

 6/15、NHKの「仕事の流儀」で、筑紫書体藤田重信さんが出て来て、フォントづくりのすごさを知ったばかりだった。細かい修正が続く日々を見ていて、それでも完成する日が来るのから、すごい。

 そして、字游工房の鳥海(とりのうみ)さん。彼のフォントは毎日使っている。ヒラギノだ。新しいMac OS(El Capitan)には游書体、筑紫体が入っているらしい

 本書は、漢字が游明朝体Rで、かなが文麗仮名で組まれている。どちらも字游工房で作られた書体(つまり、自分たちが作った書体で組まれた本である)。漢字とかなでフォントを使い分けるとは知らなかった。そこまでこだわったことがなかったし、そもそもワープロレベルではできない作業だからということもある。

最近気に入っているのが『1493』で使われていたフォント。なんと言う書体だろう。組版を担当した後田(うしろだ)泰輔さんに聞くのがいいのかな。これで本を出せる日が来るだろうか。

■ 好きな書体で原稿を書ける時代が来るとは思いもしなかった。父親が職場から持って来た活字で遊んだ日々が思い出される。鉛だから、身体には悪かったのかもしれない。

 中学生の頃、兄がレタリングの通信教育を受けていた。以前、当時のことをたずねたら、こう返って来た。

「文字は文化そのもの。印刷の源、審美感に堪えるデザインはどういうものかに関心があったように覚えています。今でも書道教室にいきたいと思っています。と言っても時間がありませんが」。

 兄も印刷会社にながらくいた。

■紀伊國屋書店の担当者から回答が届き、本文フォントが判明。OTF筑紫明朝Pro-R。OTFはオープンタイプフォント。

2016/10/03

Rains et al. 2016:CMCとソーシャルサポート

CMCとソーシャルサポート:
サポート成果におけるCMC効果の検証
Computer-mediated communication (CMC) and social support:
Testing the effects of using CMC on support outcomes

Stephen A. Rains
Steven R. Brunner
Chelsie Akers
Corey A. Pavlich
Selin Goktas

Journal of Social and Personal Relationships September 29, 2016

要約
サポートのやりとりに関するCMC利用の効果研究が増えているにもかかわらず、課題は残されている。CMCのサポート可能性である。実験が行なわれた。社会的手がかりの少なさの影響を検証するためである。それ(社会的手がかり)は支持的相互作用の質に占めるCMC効果を規定する可能性があるからだ。参加者はストレッサーについてサクラと話す。その際、対面かCMC経由かのどちらかが用いられた。参加者は情報サポートあるいは情緒サポートのどちらかを受け取った。参加者はまったく同じ支持メッセージを受け取っているにもかかわらず、CMC条件の参加者は相互作用のあと、有意に多くの心配と不確実性解離を感じていた。単独効果は支持メッセージのタイプでも見られた。最適対応モデル同様、情報サポートは、参加者が経験した(制御可能な)ストレッサーに対して情緒サポートよりも有益な成果をもたらした。

Abstract
Despite the growth in research examining the use of computer-mediated communication (CMC) for exchanging social support, there remains much to learn about the support-related implications of CMC. An experiment was conducted to examine the influence of the reduced social cues associated with CMC on the outcomes of supportive interaction. Participants discussed a stressor with a confederate either face-to-face or via CMC and received informational or emotional support. Although they received the exact same support messages, participants in the CMC condition reported significantly greater worry and uncertainty discrepancy following the interaction than participants in the face-to-face condition. A main effect was also found for support message type. Consistent with the optimal matching model, informational support led to more beneficial outcomes than emotional support in response to the (controllable) stressor experienced by participants.

2016/10/02

名前どおり…… 5 「美」

「家族のこと話そう」東京新聞 2016年10月2日

芸術の厳しさ 父に学ぶ

 有紀子という名は三島由紀夫が好きな父が付けました。普通なら小説の中の誰か女性の名前を選ぶと思いますが「せっかく三島という名字やし、ゆきこにしとこか」と。母は反対したらしいですが結局は父の意見が通りました。

 父は本当に三島由紀夫を愛していて、小さいころは三島由紀夫展に連れて行かれたり、文章を書道で写させられたり。小説が何となく私の前に置いてあったりもしました。三島由紀夫を好きになってほしいという父の気持ちが強すぎて、反発する思いもありました。修飾語が多い長文と感じて、父に「簡潔に書けた方がいい作家なんじゃない」と言ったこともありました。

 でも、高校生になって読み直すと、素晴らしく美しい文章と感じ、本当に何が美しいのかを追究した人と考えるようになりました。小説も舞台も、映画も見ました。自分が生き方や哲学なども含めた美を意識するようになったのは、三島由紀夫という人の生き方や、この名前、名付けた父のせいなのかなと思います。

 三島有紀子 1969年大阪市生まれ、映画監督。
(聞き手 寺本康弘)


 お父さん自身も、きっと同姓がきっかけで好きになったのだろう、三島由紀夫を。と思う。

匿名のままでは死ねない

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