2017/12/31

朝倉文夫の小宇宙

 森まゆみさんがscriptaに連載中の「30年後の谷根千」、固有名詞がたくさん出てきて興味が尽きない。第5回は「和菓子屋」winter 2018 号

 きき菓子の会ができた経緯は言葉遊び。聞き書き→利き酒→利き菓子→聞き菓子→「利き」と「聞き」を兼ねて「きき」。

 朝倉文夫は谷中に住んだ。朝倉彫塑館は明治に立てた住居とアトリエの昭和初期の改築。朝倉邸の地下には「谷中の大井戸」があり、今もコンコンと溢れている。水質は、灘の生一本の醸造用と同じくらいのよさ。その水で彼はセリを育てた。この水は、彫塑館の屋上にある庭園を潤しているのだろうか。
 彫塑館には彫像作品以外も展示されていて、建物も含め、全体が彼の「小宇宙をなしている」。先日行った時(1年半前だった)の気持ちをうまく書けなかったが、森さんの一言は言い得て妙。

 この時代の有名人同士の交流もおもしろい。以下は森さんの文章から適宜。

 大分県に生まれた朝倉文夫は19歳で上京、谷中に住む。子規(雅号の子規はホトトギスの異称。結核を病み喀血した自分を、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスにたとえた)の根岸派に入り、俳人になりたかったようだが、上京した日が子規の通夜だった。以来、谷中に住むが、近くに「青鞜」の田村俊子夫妻がいて、親交がある。根岸の浮世絵師尾竹越堂とは友人で、彼の家に行くと、娘の尾竹紅吉(べによし)神近市子伊藤野枝がいて「新しい女」に酌をしてもらおうと悦に入ったこともあるようだ。



 森さんのこのエッセイで、大名博物館2代目館長、上口(かみぐち)等さんが紹介されている。初代館長のお父さんは愚朗を名乗っていた。彼の本業は洋服屋さん。ふつう高級洋服店とするところを「中等洋服店」と名乗り、子供には洋一、服恵、等と命名。



豊後大野市(大分)の関連施設
・朝倉文夫記念館 www.bungo-ohno.jp/categories/shisetsu/asakura/
・愛の園生 朝倉文夫記念公園 www.bungo-ohno.jp/categories/shisetsu/asakura/park/ ※建物設計は朝倉の教え子清家清、造園設計は彫刻家の澄川喜一、展示設計は娘の朝倉摂がそれぞれ担当。


2017/12/30

援助行動のフィールド実験

大きな大きな荷物(ふとんです)を両手に歩いていた。
それはしかも持ちにくく、10m歩いては荷を降ろして体勢立て直し。
すると、三人の中学生がやってきて、「持ちますよ」と声をかけてくれた。
直前にちらっと見ていたので、変なおじいさんだなあとでも思っているのだろう、ぐらいにしか思っていなかったが、違った。
聞くと、吹奏楽部の練習の帰り。ボクも中学時代、やっていたことを話したら、「えっ、本当ですか」。ちょうど帰る方向も同じということで、三人が分担してくれ、ボクはそれまでと反対に手ぶら状態で、家の前まで。
「この子が持ってあげよう」と言ったのがきっかけ、二年生が、その一年生をさしながら教えてくれた。
いま考えると、タクシーでも拾えばよかった。携帯を持っていたら、連絡して家族にきてもらうこともできた。でも、おかげで、いい経験をした。
あらためて考えると、援助行動の実験をしたような気分だ。「責任の分散」が生じなかった例。
全員、近所らしいので、また会えるかもしれない。

2017/12/23

来年は150年とか

佐賀市に行ったとき、県立図書館の裏側で工事をしていて、現場に「明治維新150年」という字句のある幟が立っていた(ここに限らず、幟のある風景は戦国時代のようで落ち着かない)
調べると、佐賀県は「明治維新150年」に熱心らしい。来年「肥前さが幕末維新博覧会」。
こんなふうに明治維新150年が進んでいるとは思いもしなかった。
明治維新の佐賀版評価を知りたく、博覧会の趣旨を調べたのだが、ホームページには見当たらない。その代わりと言うべきか、動画CMが3本。15秒の基本CMを見てもわからない。2本目は「佐賀さいこう〜明治維新150年編」。「さいこう」は最高と再興をかけているのだろう。佐賀県全体はわからないが、佐賀市内、活気がない。やるなら再考も含めたほうがいいのではないか。
ちなみに「明治」の日本政府の公式見解はこうだ。
「明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです」。
「明治の精神に学ぶ」とは何をさすのだろう。明治の延長上にいまの日本があるという認識だから、慰安婦も南京大虐殺も否定したいのだろう。

無視される大正時代、大正天皇。かえって気になる。

2017/12/21

法王の手

【ローマ=共同】
 12月20日、日本の高校生4人がサンピエトロ広場で、ローマ法王フランシスコの一般謁見に参列した。日本・バチカン国交樹立75周年記念の中高生向け作文コンクールで優秀作に選ばれた面々。作文テーマは非暴力。

 その一人、田園調布雙葉高校の戸川馨さん(17)。「法王と握手したら、とても柔らかくて温かかった。一般謁見に参加し、世界一小さな国だけど、その影響力はとても大きいのだろうと感じた」。

 印象と手の感触が一致したようだ。


握手の魔力



萩野脩二『平生低語』71 ページ

 たまたま読んだ竹内実先生の「毛沢東主席との1時間半」という文章で、竹内先生が毛沢東と握手した時、こう書いている。
 “握手をするとその手はやわらかくあたたかくわたしの手をつつんだ。まったく、それはあたたかくつつんだという感じだったのである”。竹内先生は毛沢東と1時間半も作家代表団の一員として話したのであるから、この“あたたかくつつんだ”という感じは、私のようなちょっと義理的にした握手とは違っている。竹内先生は、このように毛沢東に“あたたかくつつ”まれたのである。そのことがその後の竹内先生の...



2017/12/17

ギャグは深い

わが盲想』ポプラ文庫
盲目のスーダン人、アブディンさんの本。

 19歳で来日、それ以来見てきた日本を音声読み上げソフトでつづった本だという。以下は、岩岡千景さんの紹介から(東京新聞2017年12月17日)。

 通った福井の盲学校では親父ギャグにはまって語彙が増加。飽きるほど繰り返された質問には「日本より数段広くて、数段暑い国だ」。質問はむろん「スーダンはどんなところですか」。

 岩岡さんの印象に残った章は「社会人というカルト宗教」。スーダン政府は、紛争が続いていた1990年代後半、「メディアも国のために命を捧げることがいかに美しいかを巧みに放映した」という。一方の日本で就職活動する学生は「魔法にかかったとしか思えない完璧な単一集団」。



アブディンさん(学習院大学法学部政治学科特別客員教授)のブログ

2017/12/13

小文字の名前

つながりっぱなしの日常を生きる』著者のダナ・ボイド(danah boyd)について、

 英語の場合、通例、姓名の頭文字は大文字で綴られるが、彼女はすべて小文字で表記している。この選択からは……著述家・社会活動家・教育者ベル・フックスが思い起こされる。実際、ボイドはこの表記について説明する中で、フックスの著作が好きだと述べている。
 そこには「私」を大切なものにしたくないという想いが込められていると言えるだろう。ご立派な大文字の「識者」として権威をまとうよりも、「みんなのひとり」でありたい。名前よりも言説の内容に目を向けてほしい。しかし完全に匿名になりたいわけではなく、自分は自分と示したい。
 私事になるが、……個人サイトを開設し、そこで漢字の本名をカタカナで表記して以来そのまま名乗っている者としては、こうした部分に現れるボイドの感覚……は確かに共感できるもので、このたび翻訳を担当できたことをたいへん嬉しく思っている。
野中モモの同書「訳者あとがき」から)



 小文字化は、日本語ではカタカナかひらがなか。名前の表記スタイルで意思表示。小文字の名前はめずらしいから目立ち、注目される。「なぜ?」と聞きたくなる。そこで「実は……」と続く。

 原著 It's Complicated は無料で入手できる。



 bell hooks、ベル・フックス(本名:Gloria Jean Watkins)は母親と祖母の名前を使っている。名前と苗字の両方の頭文字を小文字にしているが、それは彼女の仕事の中で大切なものは、本人曰く「私がどんな人物であるかということよりも、本の内容」ということを示すものである。
(ウィキペディアより)

2017/12/09

「シェイクスピアとその時代」

 秋の大島先生のシェイクスピア講座をきっかけに、遅れ遅ればせながらシュイクスピア。今週、来週は古屋先生のシェイクスピア講座。取り上げるのは十二夜の日英比較。

 その流れで、「7人のシェイクスピア」を読んでいる。読み始めたら止まらない。パート1の6巻を読み終え、先日からパート2。この3巻には、指昭博さんの表題コラムが3編ずつ載っていて、これが、ボクには目から鱗。たとえば「ヴェニスの商人」。

 ユダヤ人の金貸しシャイロック。シェイクスピアの生きた時代、イギリスにはユダヤ人は追放され、ほとんどいなかった。本物のユダヤ人を見たことはなかっただろう。

 ではなぜシャイロックをユダヤ人にしたのか。

 それは人々が金貸しという職業をユダヤ人と結びつけてイメージしていたからだ。ユダヤ人は土地所有を許されず、職業差別を受けていた。金貸しは許された数少ない職業だった。国王も彼らを利用して多額の献金を要求。そして金がなくなり、利用価値がなくなれば国外追放。追放するには理由がいる。それが「邪悪な人々」というデマを生み出す。実像とはほど遠い姿で想像された。「ヴェニスの商人」の人気はユダヤ人の邪悪イメージを強めることになった。名作も罪なことをしたのかもしれない、と指さん。

2017/12/07

つづく「明治」

結婚を「入籍」という言葉でしかも、なかには「入籍させていただきました」という人までいる。そこまで戸籍が意識として浸透しているのかと思うと、以下のくだりは納得がいく。

井戸まさえ『日本の無国籍者』岩波新書

第6章 「戸籍」がなくなる日(抄録)
 明治政府は戸籍に別の働きを組み入れる。
 日本が近代国家として進んでいく上で、戸籍は国民に対して精神性や道徳性の規範を植え付けるものであると価値付けしていくのである。加えて帝国主義を広げていく手段としても使われ、戸籍は植民地政策において同化を求める術、もしくは排除、差別を具現化し見せつける道具としての性格を併せ持つようになった。
 戸籍制度の展開過程は、幕藩体制における身分規制からの解放ではあったが、家族関係の把握行為を通じて、そのあり方を法的に規制する過程でもあった。「政府にとってのぞましい社会」を作る基礎としての家族関係が、人為的に作り上げられたのである。
(遠藤が述べるように)近代国家として歩みを始めようとしていた日本は国民に対して、社会資本の整備や生活手段の充足といった物質的分野のみならず、倫理・教育・宗教・風俗といった精神的分野への介入を当然とし、実践する。
戸籍という制度が「明治的価値観」の植え付けであったことを松田道雄も指摘している。「子育て」という行為がどれほど国家的哲学を享有(生れながら持っていること)しているか。 明治政府の中心は井上毅。教育勅語で道徳の自主性を阻み、富国強兵の基礎を作る。戸籍は「はじかれる存在」を作ることで、戸籍意識を浸透させる効用を持つ。その先にあるのはナショナリズムであると、彼は指摘する。
 遠藤も言う。「社会が不況や停滞に陥ると、特定のエスニックグループを名指しして「国民」共通の敵に仕立て、その権利の享有を否定し、存在までも排斥することで心理的な一体性と優位性を得ようとするショービニズムが噴出しがちである」。

 そもそも戸籍は天皇の臣民(君主国(特に旧憲法下の日本)の国民)を綴る名簿。その形式は基本的に今も変わっていない。国民主権、基本的人権、男女平等。と「非戸籍の日本人」である天皇と皇族はまったく違う価値観を継承するという矛盾を抱える。そして「臣籍降下」は「皇統譜」「戸籍」「外国人登録」という序列を意味する。

 現存する律令時代の戸籍を見ると、戸籍の女子の名前は例外なく「◯◯女(メ)・売(メ)」である。



2017/12/06

人生と名前

 アメリカのコミュニケーションの授業テキストを読んでいたら、「文化とコミュニケーション」という章の実習に、小説を読んで、考察するというものがあった。
 その小説の例に、The Namesake があげられている。この小説を知らなかったのだが、調べると、著者はジュンパ・ラヒリ。小川高義さんの翻訳で出ている。書名は『その名にちなんで』。文庫になっているようだ。
あらすじは以下のとおり(「BOOK」データベースから)
 若き日の父が、辛くも死を免れたとき手にしていた本にちなんで、「ゴーゴリ」と名づけられた少年。言葉にしがたい思いがこめられたその名を、やがて彼は恥じるようになる。生家を離れ、名門大学に進学したのを機に、ついに改名。新しい名を得た彼は、いくつもの恋愛を重ねながら、自分の居場所を見出してゆく。だが晴れて自由を満喫しながらも、ふいに痛みと哀しみが胸を刺す。そして訪れる、突然の転機…。名手ラヒリが精緻に描く人生の機微。深く軽やかな傑作長篇。
 アメリカで工学を学ぶアショケは、故郷インドで美しい女性アシマと結婚して、夫婦でニューヨークに移住する。やがて長男が誕生すると、“未来が良くなるように”と願いを込めて“ゴーゴリ”と名付けるが、成長した息子はその名前を友人にからかわれ、苦悩するようになる。

映画にもなっていた。

読もう、見よう。


封切時のイベントで、プロレスラーのジャガー横田さんが息子の名前の由来を語っている。

2017/12/02

高倉健の本名

』12月号。

森功さんの「高倉健の実像をたどる」
高倉健は本名を小田剛一という。健さんファンなら、誰もがその文字を書けるだろう。だが、本名の読み方を知っているファンはほとんどいないのではないだろうか。実際、養女もその本名を知らなかったようだ。
こう書く以上、ゴウイチではないのだろうなと思いつつ、調べた(ウィキペディアには「ごういち」と書かれている)。正解はタケイチ。

高倉健は、身長180cm、体重71kg。これも別の意味での実像。大きい。



 宇田智子さんの表紙裏コラム「ほんの序の口」が最終回。目の前で彼女が話しているような雰囲気で、どこでも那覇、しかも公設市場ドアのようで毎回、楽しみだった。
 ところで、このタイトルは、宇田さん用なのか、それともこの箇所についた名前なのか。「ほん」は雑誌名と重なるし、「序の口」は文字どおり本文の最初。

2017/12/01

矢印、書いちゃったw



「左折」道路標示に“直進”書き足し拘束
 TBSニュース

 渋滞を不満に思った男が、驚きの行動に出ました。中国・江蘇省の車が行き交う交差点。1人の男がしゃがんでいます。男は左折専用の道路標示に「直進」を書き足しているのです。
 この後、男は警察に拘束され、罰金1000元、およそ1万7000円の処分を受けました。男は「毎日バスに乗って職場から帰宅するとき、いつも直進レーンが渋滞している。左折専用レーンが比較的すいているので、『直進』を書き足せば渋滞が緩和されると思った」と話しています。(2017年12月1日10:38)



せっかく書いたのだから、実験してもよかったかも。



このレーン、Uターンしてもいいのだろうか。左折のほかに、逆向きの矢印も見える。

2017/11/19

真の意味での個人主義

19日の東京新聞サンデー版、「発達障害」特集。

 発達障害は、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害(LD)の総称。

 関わり方のポイントとして、3点が紹介されているが、これは発達障害者に限らない。どころか、すべて人間共通。

◎否定ではなく肯定で伝える
◎叱るよりほめる。成功体験を与えよう
◎ひとりひとりの特性を理解し、寄り添った支援を

ほら、ね。

 おもしろかったのが、自称「選択的発達者」、小説家、市川拓司さんのコラム。

「発達障害だからできたこと」

 ぼくのような人間が平均の基準となったらどうでしょう?(略)ぼくのような人間がマジョリティーになれば、彼ら(引用者注:いわゆる多数派)は選択的発達者ということになります。みんなどうにも元気がなくて、声が小さくて無口で、「活力に欠けた生徒」とみなされます。でも、ぼくの国では彼らを「障害者」とは呼びません。というのもぼくらは「相対的なものの見方」をするからです。多様性が当たり前。当然差別の概念もありません。集団への帰属意識が極めて薄いことが理由なのかもしれません。
 真の意味での個人主義。同調圧力はナンセンスであり、排他主義者の言葉はチンプンカンプン。ヒエラルキーは存在せず、女性は男性から崇拝されています。嘘つきはおらず、争いを極度に恐れ、かつ集団行動が苦手なので、軍隊も存在しません(整列させるそばから、みんなどこかへ行ってしまいます)。すごく変な国です。でもとっても平和です。

整列させない国、いいなあ。

2017/11/18

17歳で初めて

「17歳、生まれて初めて自分の名前が書けた」
夜間中学卒を誇りに生きる男の記憶
ハフィントンポスト』2017年11月18日

 ちびた鉛筆で、たった6文字を書くのに何日かかったかわかりゃしない。当時17歳。生まれて初めて自分の名前が書けた時、心臓がドキンドキンって高鳴り、手が震えた。

 そのうち俺は「漢字の名前も教えてくれ」って頼むようになった。そしたらおじいさんが、拾った辞書で「高野雅夫」って教えてくれた。

 「高※」という字、古い辞書だったから旧字体の「はしご」の「高※」を使ってる。だから普通の「高」の字を書かれると、俺ではないと思う。

 「高※」の字にはおじいさんの歴史と俺の命が込められているから、絶対的にこだわっている。だからはんこも、作った戸籍もみんなこの「高※」。

※いずれも「高」の旧字体ですが、機種依存文字のため、新字体にしています。

2017/11/17

病牀六尺

子規庵に三川で行く。

 子規庵は、正岡子規の旧居を再建したもの。本物は1945年の空襲で消失。「ほぼ当時のままの姿」という彼の終の部屋の特製の机(曲がったままの左足が納まるように天板に切り込みがある)に座り、窓の外のヘチマをながめていると、34歳11ヶ月で亡くなった彼の気持ちを感じた気になれる。

 「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅わずかに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある」。

 子規の成人後の身長は5尺4寸(163.6cm)で、体重は13貫740匁(51.5kg)。ちなみに、漱石は159cm、53kg(23歳当時)。割合、似ている。

 今年は子規・漱石の生誕150年。新宿、松山と、ゆかりの地で記念の催し物が開かれている。

 その後、昼食をとり、あの「ひだまりの泉 萩の湯」へ。ここがいい。銭湯料金で、中は総合休憩施設。朝湯もある。近所だったら毎日行きたいぐらい。

 契約社員を募集している。当店のスタッフは休日も銭湯入り放題! 萩の湯と寿湯で無料でお風呂入り放題!
・仕事内容:銭湯フロント受付、清掃、簡単な機械操作
・勤務時間:5:50-15:10(休憩80分)
・休日  :1ヶ月9日のシフト制
・給与  :月給26万円
・交通費 :1ヶ月上限12,000円
・資格  :18歳-50歳位までの男性

 寛永寺、そして国際子ども図書館と回る。名前とは異なり、子どもの姿が見えない。館内でRX0で撮影している男性に出会い、しばし話を聞く。昔のスパイカメラのような雰囲気。



小さな変化
 スーパーのカゴが精算の前後で変わる。色が違う。買い物用は赤、精算後はオレンジ。店によっては精算後のカゴには取っ手がない。万引きが多いのだろうか。
 ゴミの出し方。数件単位ぐらいであったゴミの集積所がなくなり、個別。家の前に出す。奥まった家の回収作業は大変そうだ。

2017/11/16

拝外主義のルーツ

遠藤正敬(まさたか)さんの『戸籍と無戸籍』を読み始めた。以下は、斜め読みの記録(※はボクの補足)

カテゴリー別登録
 大日本帝国は、民族別に登録制度を区分していた。朝鮮戸籍と台湾戸籍。さらに後者は漢族と漢族以外の原住民(アミやタイヤル)で、台帳を分け、前者は戸口調査簿、後者は蕃社台帳などで管理。※蕃社とは「日本統治時代、台湾の先住民族(高砂族)の集落や集団に対する呼称」(大辞泉)である。ちなみに蕃は「未開の異民族」を、「社」は祭祀さいし集団を意味する語。
 これらは「帝国臣民」の枠内で被支配民族を重層的に差別するものである。戸籍の発想は、国家による差別を合理化する目的もになっている。
 韓国は2008年に戸籍制度を廃止、個人単位の家族関係登録制度に、台湾は〈戸籍〉という名称は変わらないものの世帯単位に登録になっている(遠藤『戸籍と国籍の近現代史』参照)

本籍不明と無戸籍の違い
 日本人が本籍を置く場所で最も多いのは皇居、つまり東京都千代田区一番。そのほか、富士山頂や大阪城に置く人も多数いる。

戸籍は臣民簿
 天皇と皇族は戸籍法の対象外。戸籍は臣民簿だからである。第二次世界大戦の敗戦でも変わらなかった。戸籍を持たないので、住民票も投票権もない。天皇と皇室を「国民」と見なすべきか否かは定説がない。

戸籍を棄てる「日本人」:徴兵逃れと戸籍偽装
 徴兵対象者から「一家の主人」「独子独孫」、養子、家産・家業の管理者ははずされていた。「家」をなくしたくなかったからである。これに注目して、戸籍偽装も。

無戸籍者への徴兵をどうするか
 徴兵忌避のための脱籍行為をなくすため、修身の教材で、兵役を国民の「義務」のみならず、「権利」であり、「恩恵」であるという自覚を促した。

不文律となった排外主義
 1946-47年。総司令部民政局は戸籍の純潔主義を批判の的にした。しかし司法省は、これも含め、戸籍という名称や家族単位の管理を守りきる。実質的に家制度は残ったまま。

戸籍と住民票の関係
 戸籍はあっても住民票はないという日本人は174万人。

終章は「戸籍がなくても生きられる社会へ」。

問われる戸籍の価値
 今日まで維持されてきたのは、国民管理制度として以上に、道徳律(信仰心)としての役割を託されてきたからである。国民意識や「血」意識の醸成、家意識の保持。※「籍が汚れる」はもとより、結婚を入籍と言う人についても、この感が強い。
 マイナンバー制度は戸籍意識解体の導火線となるだろうか。



 本書は、第39回サントリー学芸賞を受賞している。以下は、評者玄田有史さんの選評である。

〈社会・風俗部門〉
遠藤正敬(早稲田大学台湾研究所非常勤次席研究員)
『戸籍と無戸籍 「日本人」の輪郭』(人文書院)
 現在、日本国籍を持たない無戸籍の「日本人」が一万人にも及ぶという。しかし、この表現は正確ではない。制度では、戸籍を持たない人々は、日本人として認められないからだ。
 日本国民の登録を目的とした戸籍制度は、国家が国民を管理統合するために維持されてきた制度である。そのため、登録から直接・間接に除外された人々は、正しい日本人とは見なされない存在として長く差別や偏見の対象となり続けてきた。
 あわせて戸籍が「家」もしくは「家族」への所属を基本とし続けてきたことで、戸籍制度の存在は家に属していなければまっとうな日本人ではないという道徳律の定着を促す土壌でもあった。さらに言えば、国家とは究極的な一家であり、その家族の頂点に天皇が位置するという物語に順応するよう、戸籍制度は巧みに国民を誘導してきたのである。
 日本社会を語るとき、家族という概念に基づいて考察した思想研究はこれまで数多ある。しかし、家思想を制度的に強化してきた社会背景を語る方策として、家より排除された無戸籍に着目することを想起した筆者の着眼は、実にオリジナルかつシャープである。
 その上で日本社会の形成に強い影響を及ぼしてきた戸籍がなければ私たちの生活は立ち行かなくなるのかという問いに対する回答も明快に「ノー」だ。個人化・流動化が進むなかで、固定した家族や国民よりも、移動し得る個人である住民の権利確保こそが、行政では実質上重要視されている。公共サービスを受けるとしても、戸籍証明は今や形骸化した手続きの一部にすぎず、多くの場合、住民票で本来事足りる実情を、私は本書で初めて知った。
 制度運用の歴史でも、戦争によって戸籍を失った移民や残留者には思いのほか厳しく、一方で国内の棄児にはなぜか寛容であるなど、明確な基準は必ずしも存在してこなかったという。戸籍にまつわる国家の判断が状況に応じて機会主義・御都合主義的になされてきた事実を喝破できたのも、一般にはわかり得ないよう難解に表現された先例などの行政文書を、政治史学者として地道に読み込んできた筆者の技量によるところは大きい。
 社会・風俗にまつわる優れた学芸からは、その時代やその場所に生きた大衆の多様な喜怒哀楽や、そこから浮かび上がるやり切れない嗚咽やため息が、複層的に聴こえてくる感覚を覚えることがある。筆者は、現代社会を覆う無戸籍者に対するいびつな言説という実際の声に対する違和感が、執筆に挑む原動力につながったという。
 ただ本書は、無戸籍者の声を一つひとつ拾い集め、代弁するといった直接的なアプローチを意図的に選択しなかった。むしろ、戸籍制度を「安定的に維持することが国益になると信じる支配層が憑依したつもりで書くこと」を筆者は密かに心がけたという。そのアイロニカルな試みは、戸籍という奇異な社会装置を、躊躇なく受け入れ続け、周囲にある悲しみの存在の認識を怠ってきた我々読者に、静かな反省と憤りの感情を芽生えさせることに成功している。
 上位からの視線を敢えて演じつつ、制度に翻弄されてきた名もなき無戸籍当事者の姿を的確に描き出した遠藤氏の力量は、まぎれもなく社会・風俗部門の受賞に値するものである。

2017/11/14

文章の矢印

前回、「(金子)文子の思想が太い矢印のように地べたを走り始める」で終わったブレイディみかこさんの連載。11月号では冒頭で矢印が登場する。
クリスマス休暇をアイルランドで過ごしたマーガレットは、ダブリンの地下に溜まったマグマが巨大の矢印のように一つの方向に流れ始めているのを感じた。それは綿密に、周到に計画された軍事作戦ではなかったが、蜂起に向け静かに助走を始めた人々の情念にはやむにやまれるパワーがあった。
女たちのテロル 8 「鳩のように静かに、蛇のように企てよ」図書11月号

視覚的なものより、はるかに迫力がある。



文章に出てくるマーガレットとは誰なのだろう。先月号と今月号を読む限りで特定できない。

2017/11/11

投票率と教育

以下は、客観的な授業でなければなりません。と断ったうえでのアイゼンバルト先生の発言である。
ただ、私たちの歴史の中で、民主主義がナチスドイツを、ヒトラーを生んだということも事実です。現在の状況はその当時と似ている部分がある。AfD(保守強硬派「ドイツのための選択肢」)の台頭です。でも、今の政治に反対しているからAfDに投票する、という選択の仕方では困るのです。議会選挙は国民の代表を選ぶもの。反対意見を反映させる場ではないのです。
自分は何に賛成するのか、という視点を忘れないようにして、政治を、選挙を考えていってほしい。そうでないと同じ過ちを繰り返すことになる。そんな危機感も抱きながら、でも若い人たちに期待しながら、授業に臨んでいます。
アイゼンバルト先生は、ベルリン南部のゲーテ・ギムナジウム(公立の中高一貫校)で政治を担当している。ドイツでは選挙の日、生徒も本番同様の模擬投票を行い、翌日、投票結果が発表される。かれらの投票結果は、緑の党(GRÜNEN)が1位で33%、AfDは8人(%は不明だが、5%未満)

増田ユリヤ「私たちはどう選ぶ? ルポ ドイツ総選挙の現場から」「アスタ」12月号。

人畜無害どころか、「中立」と称して、あれもダメこれもダメの日本の学校とは大違い。ドイツの今回の総選挙は投票率76%。前回の5ポイント増(学校の投票率も75%と近い)。もし日本の教育が失敗だとしたら、選挙の扱い、社会問題、政治経済問題の扱い方だろう。

2017/11/05

名は体を……

宇宙飛行士 油井亀美也(ゆい・きみや)さん
 1970年、長野県生まれ。
 仕事のとき以外は甘やかされて育ったので、すごくおっとりした子どもでした。父方の親戚が付けた「亀美也」という名前は「(カメのように)ゆっくりでも少しずつ前に進んで目標を達成する人に」という思いが込められています。名前の通り、子どものころは競争心がなく、運動会では転んだ子が起き上がるのを待って一緒にゴールしたりして、両親は歯がゆい思いをしたそうです。家計の事情もあり防衛大に入り、自衛隊に入隊したので、おっとりしているわけにはいかなくなりましたけど。
東京新聞朝刊 2017年11月5日「家族のこと話そう

「高度経済成長」の只中で万国博があった、あの年に「ゆっくり」。本人は「ゆっくり」を「おっとり」と解釈しているのがおもしろい。
「高度経済成長」は、農家の「家計の事情」を変えなかった。

2017/11/04

「子の名付け、「胱」はキラキラ?」

http://digital.asahi.com/articles/ASKBZ6G0ZKBZUEHF00K.html?_requesturl=articles%2FASKBZ6G0ZKBZUEHF00K.html&rm=1123

(ジャーナルM)子の名付け、「胱」はキラキラ?
■MOM’S STAND(マムズ・スタンド)2017年11月号

2017年11月2日19時36分

 子どもの名前をどうやって決めましたか? 漢字の読み方が分かりにくいキラキラネームは、何かと話題になります。34歳の記者(毛利光輝)も漢字がキラキラしている上、「戦国武将の子孫ですか?」と幾度となく聞かれ、そのたびに「違います」と説明するのが疲れます。最近の名付け事情はどうなっているのか気になり、取材しました。

 千葉県佐倉市の父親(34)は、一昨年生まれた長男に「晴陽(はるひ)」と名付けた。参考にしたのはウェブサイトの情報。姓に合う名前の候補が出ていたり、画数で姓名判断ができたりするなど様々なサイトがあり、それらを見ながら、妻と相談して決めた。

 「仕事の移動中など、スマホで名前の候補をひたすら探した。知り合いの子とかぶらないように意識もして、結構迷いました」と振り返る。

 記者も試しに自分の姓を入力し、運勢が良い名前が出てくるサイトで調べると、「碧兎(あおと)」「神友(かみゆ)」「綺亜(きあ)」など候補がずらり。名前が多様化したのも、こうした情報が一因かもしれない。

 戸籍法で名前は「常用平易な文字を用いなければならない」と定め、使える漢字として計2999字を規則で指定している。ただし漢字の読み方は自由。「一二三」と書いて「ワルツ」「ドレミ」と読むなど漢字本来の読みではないあて字も認められている。


 出産・育児雑誌などで「たまひよ」ブランドを展開するベネッセコーポレーションは毎年、赤ちゃんの人気名前ランキングを発表している。昨年は約1万8千人を調査し、男の子は「蓮」(れん)、女の子は「陽葵」(ひまり)が最も多かった(読みは主な例)

 同社の藤森園子さんは「『生まれたら○○くんと呼びたい』などの理由で、最近は名前の音や読みを先に決め、あとから漢字を選ぶ方が多いです」と話す。同社の名付けに関する本でも3年ほど前から、音や読みから名前を探すコーナーを一番先に出したものもあるという。

 人気の読みでは、男の子は8年連続で「はると」がトップ。女の子は「はな」。特徴的なのは、同じ「はると」の読みでも漢字の組み合わせは「陽翔」「悠人」「晴斗」「大翔」「晴翔」など10種類以上にのぼることだ。藤森さんは「漢字で親の願いや個性を表す傾向が強まっているようです」と話す。


 一方、名前を正しく読まれずに苦労したという人もいる。

 「中学生ごろまで自分の名前が嫌でした」。東京都内の大学3年生の女性(22)は話す。名前は「茉祐」。読みがなは「まゆう」で、初対面の人には毎回、「なんて読むんですか」と聞かれたり、「まゆ」と呼ばれたりして、「いちいち説明するのが面倒だった。なんで『う』があるんだろうって」。

 両親からは、姉の名前と同じように「う」で終わった方が響きがいいからつけた、と聞いた。なかなか好きになれなかったが、年を重ねるにつれ、「初対面で名前を話題にできるし、覚えてもらいやすい」と愛着がわいた。ただ将来、自分の子供が生まれたら、「読みやすい名前がいいなと思います」。

 漢字の研究者である早稲田大の笹原宏之教授の講義でも、ここ数年、学生に質問すると「自分の名前が一回も正しく読まれたことがない」という声が増えてきたという。

 笹原教授は、親が名前の漢字を選ぶにあたって、一般に知られていない典拠から探し出すことは昔からあるが、近年、意味や成り立ちを考慮せずに「見た目やイメージだけで選ぶ名付け親が増えている」と懸念する。

 笹原教授が2004年に国が定める人名用漢字を増やす改訂に携わった際、命名者から役所に使いたいと要望があった漢字を調べると「胱」があったという。

 尿をためる「膀胱(ぼうこう)」で使う漢字で、月は「にくづき」という部首。本来は「肉」の象形で、「肺」や「肝臓」などの偏と同じだ。お月様の月と異なるが「月と光でロマンチックなイメージを持った人がいたのではないか」と推察する。

 他にも「生臭い」という意味を持つ「腥」が何件もあった。こちらも見た目から「月」と「星」で良いイメージを持ち、「せい」という名前に使おうとしていたのではないかという。

 現時点で、この2字は使用が認められていない。

 最近はパソコンやスマホでひらがなを変換すれば、知らない漢字も出てくる。笹原教授は「すてきな漢字を見つけたからと、感覚的に名付ける人が増えている。名付け親は、その名の子どもと周囲がどんなふうに思うのか、よく想像してみることが大切ではないでしょうか」と話す。

(毛利光輝)


投稿募集中
「子どもの名前、どう決めた?」
http://www.asahi.com/msta/iken/45.html

2017/10/16

ふたつの茶室








藤森照信作。

竪穴式茶室「低過庵」(ひくすぎあん)から見上げる「高過庵」(たかすぎあん)

低過庵の中はかまくらのよう。屋根が少しずつ開き(人力)、室内に日が差すようすは、日の出のよう。

いつか高過庵から低過庵を見てみたい。

2017/10/12

矢印の描かれた絵


川上さんからプレゼント。
オットーネーベル展でみつけました。
一枚はクレー、一枚はネーベル。
いずれもユダヤ人として迫害をうけた時のものです。
クレーの矢印は迫害者の視線をしめしているとのこと。
ネーベルのは避難の方向を示している、と書いてあったような……






会場では、入口から、すでに矢印
クレーは、矢印をほかでも書いている。『パウルクレーの芸術』の表紙の絵にも登場する。気になる。

2017/10/09

『ちくま』10月号から

田山和久さん
「とびだせ教養 7:われわれは何に向かってわれわれを教養するのか」

 教養はたしかに一人一人が備える資質なのだけど、その目指すところは社会の担い手になることにある。だから資質の一種としてみた場合、教養には、社会の担い手であるために必要な能力と、自分は他者と共に生きる社会の一員だという自覚が含まれることになるだろう。この点を強調する教養論は多い。
 たとえば、
自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況を「教養」があるというのである」。阿部謹也『「教養」とは何か』からの引用、強調は戸田山さん)
たとえばクルマ雑誌『ENGINE』の鈴木正文編集長は、「教養がない」という形容を、社会のなかにおける自分のポジションが見えていない人について使うんですよ。たとえば運転マナーの悪い人、タバコのポイ捨てなんかをしてしまう人。自分の行為が社会に及ぼす影響を想像できない人々です。彼らには他人が見えていない。つまり近代的自我がないということですね。永江朗(斎藤美奈子との対談から。強調は戸田山さん)

 教養には、自分を社会の担い手とみなし、社会で共存している他者との関係のうちに自分を位置づけるということが含まれる。そうすると逆に、教養は社会の中で他者との出会いを通じて育まれるということになる。



教養の関係性


2017/10/08

『本』10月号から

川毅(たけし)さん。
ニューカッスル大学は新任の講師全員に、2年間におよぶ教育スキルの訓練コースを受講することを義務づけている。
私がはじめて自分の講義を受け持ったとき、着任から1年2ヵ月が過ぎていた。
着任してからそれなりの準備期間を与えられたこと、しかも私の専門に近い内容の科目を受け持たせてもらえたことは、未熟だった私のパフォーマンスを見かねた、同僚たちの優しさだった。
結果としての私の講義は、年度末に無記名でおこなわれた学生アンケートにおいて、教室全体の最高ポイントを獲得することができた。この場所で働き続けていいのかもしれないと、はじめて思うことができた瞬間だった。
人類と気候の10万年史』は、その授業のハイライト。

川惠子さん。
 (演劇人、引用者注)逮捕の根拠となったのが治安維持法です。この法案を提出した国粋主義者の司法大臣・小川平吉は、国会での説明で「この法律は共産主義者を取り締まるものであり、無辜(むこ)の民をとりしまるようなものではありません」と、最近どこかで聞いたようなフレーズを述べていました。小川の言葉とは裏腹に、国会を通過し成立した治安維持法は、その後当局が使いやすいよう次から次へと改正されていったのです。
 演劇人が一斉に逮捕された容疑は何か。昭和3年の改正で加えられた「目的遂行罪」の容疑です。従来の治安維持法よりも恣意的運用を可能にする改正でした。
 例えば、昭和14年に上演された『初恋』。
劇中の親が娘の恋愛相談にのるシーンが容疑になりました。「日本では親に忠義を尽くさなくてはいけないのに、友達のようになれなれしく会話をしている。しかも堂々と語られるべきでない恋愛がテーマになっている。これは国体を壊すべきものだ」というのです。
 さらに治安維持法は昭和16年に新たに改正され、「予防拘禁」という制度が作られました。執行猶予が付いて釈放された人間でも、「また何かやりそうだ」という予兆が感じられたら、すぐに検挙してもいいという制度です。
しかも拘禁の期間は最長「2年間」のはずなのに、実際には当局が自由に延長できるため終身拘禁を可能にするとんでもない法律でした。
 これがわずか七十数年前の日本の姿なのです。
戦禍に生きた演劇人たち』の著者による講演会から。法律の改定は、改悪であろうとなかろうと、時の権力者にとってはすべて「改正」。

信三恵子さん。
私たちの戦後は、「産み育てる装置としての軍国の母」という仕組みを無意識に引きずってきた。前回、「ステルスな戦時体制」と呼んだのは、そんな女性を押し込む仕組みだ。その仕組みから脱出することが、なぜ、そんなに難しいのか。
保坂正康の「正方形の檻」で考えてみよう(『昭和史のかたち』岩波新書)
第1辺は、大本営発表などによる「情報の一元化」。第2辺は、国定教科書などによる「教育の国家主義化」。第3辺は「弾圧立法の制定と拡大解釈」。治安維持法の恣意的拡大解釈、特別高等警察による恣意的検挙。第4辺は兵士テロや官憲拷問といった「官民あげての暴力」。
保坂によると、この檻から抜ける方法は3つ。面従腹背、自決(自殺)、亡命。
この檻は戦後を機に解体されたはずだった。だが。
中秀征さん。
「君ね、憲法なんて百年変えなくていいんだよ」とインタビューで答えた首相角栄は、1972年総選挙で街頭でこう演説した。
「みなさん、戦争もやってみたではありませんか。戦争というものがどんなにつらいものかということを骨の髄まで知った日本人じゃありませんか。その日本人が全世界に新しい平和を求めて新しい日本を作ろうとしておるんです」
岸と角栄の戦争観の違いは、戦争を指導した側と指導された側の立場の違いによるものだろう。
もう一つ。角栄思想として欠かせないのが自主独立外交。向米一辺倒の吉田外交、日米の軍事一体化を志向する岸路線と一線を画した。角栄の路線を阻止しようと、とりわけキッシンジャー大統領補佐官はさまざまな妨害工作をしたと伝えられている。

2017/09/27

政党名は重要

googleで、以下の二文字を検索すると(「党」抜き)、17億1千万件と、圧倒的に「希望」が多い。
頻繁に見かけ、しかも「ポジティブ」なことばを政党名に採用するのは「単純接触効果」ねらい。民進党も民主党を捨てるべきではなかった。

(日本 50億5000万件)
 希望 17億1000万件
(社会 13億7000万件)
 自由 8億9900万件
 民主 1億1000万件
 こころ 6030万件
 維新 2100万件
 民進 1700万件
 自民 1500万件
 公明 978万件
 共産 740万件
 社民 299万件

「希望」と書くたびに、あの政党が想起され、気が重い。まるで「1984」。

2017/09/22

「水木さん」

 水木しげるさんは、「会話のなかで、自分のことを『水木さん』と言う。『私』でも『ぼく』でも『おれ』でもなく、『水木さん』なのである」。
 「それにしても、なぜ『私』や『ぼく』や『おれ』といった一人称ではなく、『水木さん』という固有名詞を会話で使いつづけたのか」。
 水木さんの弟子を自任する京極夏彦さんに、その理由をたずねてみた。
 「戦争のせいですね」
京極さんは即答した。
 「たぶん水木さんが戦争で失ったものが、『左手』と『一人称』なんですよ」
 いきなり核心を衝く展開になった。
 「戦争に行くまでは『おれ』とか、境港出身ですから『おら』と言っていたんですよ。それが軍隊では『自分』と言わなくちゃいけなくなったのが、最初のきっかけでしょうね」
 軍隊で水木さんのような二等兵が「おら」とか「ぼく」などと言おうものなら、たちまち上官の“ビンタ”が容赦なく飛んでくる。一人称は完全に封殺され、「自分」という杓子定規な呼称がそれに取って代わった。
野村進「多幸感のくに」第10回から(波、2017年9月号)。

 野村さんも指摘するように、自身を名前で呼ぶのは、自らを客観視するためのものだろう。自身を第三者として見る意識のあらわれ。
 学生のレポートを読んでいると、「私」は、と書くべき箇所を、「自分」は、とする文章に出会う。ボクも、この二文字を見ると軍隊を連想し、違和感がある。兵士でもないのに。

 「自分 」と書いてきた学生にたずねた。すると、高校時代、運動部で自分のことを自分と言うように言われたという。特に違和感はないらしい。なぜ、そう指導するのだろう。自分を捨てろということなのだろうか。女子生徒にもそう指導するのだろうか。



 野村さんの稿には、故郷に帰り、本名の武良(むら)茂に戻ると、「おら」となった紹介されている。でも、「それ以外の場所ではすべて『水木さん』でしたね」。京極さんの証言である。

2017/09/07

中国人の名前の読み方

先月29日の東京新聞投稿欄に、中国人の「姓名の読み方、母語のままで」という趣旨の意見が載った。それに対する意見がきょうの当紙に載った。賛成意見と反対意見だ。
前者は「中国人の名前、母語をカタカナで」。
日本にはカナ文字(=表音文字)があるのだから、「国際的に通用する発音を使ったほうがよい」というもの。
後者は「母語表記では互いに通じず」。
日本語と中国語では発音が違いすぎて、似たように発音しても通じない事実、方言が多く、発音には地域差があるという事実にもとづいた意見である。日本で学ぶ留学生も、日本の漢字読みを好むとも書かれている。

ボクが数名の中国からの留学生に聞いたときは、全員「どちらでもいいです」だった。かれらは漢字の日本語読みを習熟し、日本人の中国語風発音にも慣れているからだろう。

名前は表記がすべて。表記と読みの対応関係は一義的ではない。それは日本語にもあてはまる。中国人の名前をカタカナ発音しても、投書主が書いているように、似てはいるかもしれないが、通じない。日本語として「しゅうきんぺい」と聞けば、習近平という文字が頭に浮かぶ。これがシー・ジンピンだと文字の見当もつかないし(それに相当する読みの字はないかもしれないし、同音異字も存在する)、本人にも通じない。

ボクとしては、表記つまり正しく書けることを優先したい。それをどう読むかは、その人の母語で正確に発音できるのであれば(通じるのであれば)、それでいいが、そうでなければ、読む人の属する文化での読み方で十分なのではないだろうか。その人の母語で呼んであげたいという気持ちはわかるが、残念ながら、母語もどきの発音では通じない(どうしても迷う場合は本人に聞くという手もある)。自分の名前は、この国ではこう読まれるということを知るほうが伝わりやすい。そもそもカナ文字、そしてカナ文字による発音は日本語でしかない。



ラテン文字の名前であれば、こうした読みの問題は顕在化しない。韓国も含め、漢字文化圏だから迷うのだろう。ついでに言えば、韓国では大学は漢字で「大学校」と書かれる。それを見て、日本語の文章内でも「○○大学校」と書かれることがある。しかし、日本語の大学校は税務大学校のように、大学とは異なる(学生は公務員なので、給料が出る)。たとえば「培材大学校」は「培材大学」でよい。実際、英語では、Pai Chai Universityとなっている。Universityを大学校と訳す人はいないだろう。なお韓国では、学部相当を「大学」と呼ぶ。いっけん同じ漢字語でも、その意味は異なる。漢字で書ける名前は漢字で、それ以外は、母語に近い発音のカタカナで書くのが現実的だろう。

2017/09/02

名前もテーマ

今週の「あの人に迫る」* は、国立ハンセン病資料館黒尾和久さん。
*東京新聞 2017.9.2 朝刊

「映画監督の宮崎駿さんがよく資料館に来るとか」の質問に答え、黒尾さん。

もののけ姫」にハンセン病患者が描かれていることは有名ですが、「千と千尋の神隠し」も全生園(ぜんしょうえん)へのオマージュ(敬意)だと確信しています。主人公は名前を取られて、違う名前を与えられて生きる。けなげに働く。まさに療養所です。千尋は名前を取り戻して外に出られて良かったね、じゃ駄目なんです。カエル顔のおじさんやおかめ顔のお姉さんは、名前を取り戻せずあそこにいるままでいいのか。そう見ると奥深いです。



以前、資料館を訪れたことがある。そこは黒尾さんが指摘するように「歴史を逆なでする博物館」(ベンヤミンの言葉)。目を覆いたくなる現実が展示されている。そのときは入場者が少なく、ゆっくり見られた。

2017/08/30

さいしょの一言

はじめて入ったお店なのに、初めてという感じがしない。そんな経験をした。

いつも寄る、ランチだけのお店(12:00-14:00)。当日分がすでに売り切れ。付近で探すはめになった。少し進むと、うどんの看板が目に入った。本当はお蕎麦がいいのだけれど、時間もなく、そこに入った。戸を開けるとカウンターだけのお店だった。

「きょうはうどんにしますか、そばにしますか ?」とお兄さん。うれしい。おそばがあるじゃないか。
「おそばで」
すると今度は、「あたたかいのにしますか、冷たいのにしますか ?」
「冷たいので」
すると「もりですか、ざるですか ?」
一問一答式で注文が進み、ターゲットが絞られていく。

「ざるで」と頼むと、そこから母親らしき人にバトンタッチ。
「何かのせますか ?」
目の前に積まれていたかきあげを注文した。
つづいて、「汁につけますか、お皿にしますか ?」
「お皿で」
すると今度は「かきあげ、切りますか ?」
大きく、食べにくいのが掻き揚げ。「はい」と答えると、半分に切ってくれるらしい。こんなやりとりは初めての経験だ。試しに切ってもらうことにした。
これで、完了。あとは待つだけ。

次に入ってきた客も同じように聞かれていた。

はじめて入ったにもかかわらず、「きょうは……」と声をかけられると、いつも来ているような錯覚に襲われる。掻き揚げは冷たかったが、店の雰囲気はよかった。

飛行機や電車に乗ると、「きょうも◯◯をご利用いただき、ありがとうございます」と流れる。当初は「きょうは」だった。気が付くと、「は」は「も」に変わっていた。どこかで注文が入ったのだろうか。リピーターもいるのだから、「は」ではなく、「も」にすべきではないか。どんな人にも通用する、簡単なあいさつは「◯◯をご利用いただき」で始めることだろう。

以前、ある大学が「父が勧める◯◯大学」と宣伝したら、父だけというのはおかしいとクレームがついたとかで、「父も母も勧める」(だったかな?)に変わった。これも「親が」にすればよかっただけのこと。限定すればするほど、ややこしくなる。

2017/08/29

怒りを示さなければならない

荒井裕樹(ゆうき) 「相模原障害者殺傷事件」への「怒り」は足りていたか
情報・知識&オピニオン imidas(集英社)

この論考を中島岳志さんの「論壇時評(東京新聞夕刊)で知った。

表題にもあるように、荒井さんは、あの事件に対する「怒り」不足をつく。なぜ、怒りの「熱量」が上がっていないのか。文中で障害者運動家の故横田弘の怒りに言及する。

彼の怒りの特徴の一つは共生のための怒り。もう一つは空気を読まなかったこと。

荒井は、怒りと憎悪の違いを強調する。憎悪は相手を拒絶する感情、怒りは相手を認め、つながることを意図している。



ボクは、もしかしたら、その人かもしれない。ボクを含む誰もがその人かもしれない。ならば、「その」人に対して、誰が憎悪できよう。怒りはありえても、憎悪はありえない。自分を憎悪することになるのだから。

同じような問題を共感で解こうという人もある。しかし共感と言った途端、能力が問われる、共感能力として。能力とは個人のもの。その力量には個人差がある。そんなものに期待はできない。「もしかしたら、私かもしれない」。



「空気を読まなかった」であることを思い出した。先日発表された内閣府の生活に関する世論調査である。満足していると答えた人の割合が過去最高だという。調査は対面式でなされている。目の前の調査員に「不満」と答えたら悪いだろうなあ。空気が読めない人と思われたくない。と思う人が増えているのかもしれない。もとより否定的な回答はしにくいもの。それを後押ししたのがこうした気持ちではないだろうか。

2017/08/26

矢印展

富山県美術館の目印と矢印
2017/08/26(土)~2017/10/22(日)

 富山における「ロングライフデザイン」をご紹介する「D&DEPARTMENT TOYAMA GALLERY」。16回目の企画展となる今回は、2017年8月26日(土)に新たに開館する「富山県美術館」における「サインデザイン(=目印・矢印)」を取り上げます。

2017/08/13

宿題提出

8月中旬までの原稿が完成。

1. マクロン大統領に関する小文(商業出版物)
2. 駅の自動放送に関する小文(同人誌)

これで原稿の仕事は一段落。

翻訳の企画が通れば、それが始まる。2009年に『モノの意味』を出したとき、これで翻訳はおしまいにしようと決めていたのだが、つい手をあげてしまった。益はともかく、労ばかりが翻訳。だが、書き下ろしするだけの力がないのだから、仕方がない。さて、悪夢になるか、吉夢になるか。

2017/08/06

日曜の符合

毎日新聞の「サラリーマン川柳第一生命

君の名は ゆとり世代の 名が読めず
くまねこもも(35歳、女性)

これと符合するかのような、きょうの朝日新聞「折々のことば(鷲田清一選)

大切なのは、名前じゃないよ。つけた名前をどれだけたくさん呼ぶかさ。
原 正和

出典は『お父さんと お話のなかへ』の「10月の話:ポットラッチがつけた名前」。本来の趣旨は本紙を読んでもらうしかないが、「呼ぶ」だけに注目すると、こうも言える(我田引水)。名前は読めないと呼んでもらえない、と書けば十分だろうか。人からたくさん呼ばれるためには読めることが前提。



Mac OS Xのアップデートファイルが1.5ギガほど。ADSLでダウンロードしたら、えんえん1日かかった速度を測ったら、早い方で0.3Mbps、YahooのADSL。自宅は6Mpbs)。あまりの遅さに問い合わせると、収容局からの距離が4kmだという。参った。職場だと少なくとも20Mbpsは出るだろうから、数分で終わる(あれっ? 計算がおかしい)。ありがたかった。

2017/08/05

「ピカピカの17歳」

−−名前のことをうかがいます。詩(うた)にお兄さんは一二三。ふたりともユニークな名前ですね。
阿部 5歳上のいちばん上の兄の名前は勇一朗です。お母さんがはじめ「金太郎」っていう名前にしようとしたら、お父さんがそれはあかん! と。一二三はどうしてだろう? 知らないです。私には、お母さんが「ななみ」ってつけたかったらしいけど、お父さんが私の顔を見て、“この子は詩や、詩って顔をしている”と言ったそうです。自分の名前? 好きですよ。

阿部 詩「どの試合も負けたくない! 」
つるとはな第5号から。



あすは鳥の巣箱作り。

2017/07/21

Gebauer et al.2012:ファーストネームと人生

残念なファーストネーム:
名前による関係価値低下と対人無視の効果

Jochen E. Gebauer, Mark R. Leary, Wiebke Neberich
2012
Unfortunate First Names:
Effects of Name-Based Relational Devaluation and Interpersonal Neglect
Social Psychological and Personality Science
Volume: 3 issue: 5, 590-596

要旨
ファーストネームがネガティブなせいで相手から無視されることはあるのだろうか。研究1(968人)では、非常にネガティブなファーストネームのオンラインデーター(オンラインでデート相手を求める人)と非常にポジティブなファーストネームを持つオンラインデーターとが比較された。研究2(4,070人)では、稀有な名前の人たちの集団のオンラインデーターについて、やや魅力的でないファーストネームのオンラインデーター対やや魅力なファーストネームのオンラインデーターで比較がなされた。研究3(6,775人)は、人気の高低で比較がなされた。その際、出生時の人気度を統制した。以上の研究をつうじて、ネガティブなファーストネームの人は他のオンラインデーターから無視されることが多かった。彼らのデートプロフィールの新規参照回数が少ないのである。こうした無視のようすはおそらく名前にかかわる生活史(無視、差別、偏見、さらには排斥)を反映している。この考察の証拠として、無視は、ネガティブネームと低自己評価、高喫煙頻度、低学歴の間を媒介していた。以上の結果は「名前による対人無視」仮説と一致している。ネガティブな名前はネガティブな対人反応を喚起し、結果として人々の人生を悪い方向へと向かわす。

Abstract
Can negative first names cause interpersonal neglect? Study 1 (N = 968) compared extremely negatively named online-daters with extremely positively named online-daters. Study 2 (N = 4,070) compared less extreme groups—namely, online-daters with somewhat unattractive versus somewhat attractive first names. Study 3 (N = 6,775) compared online-daters with currently popular versus currently less popular first names, while controlling for name-popularity at birth. Across all studies, negatively named individuals were more neglected by other online-daters, as indicated by fewer first visits to their dating profiles. This form of neglect arguably mirrors a name-based life history of neglect, discrimination, prejudice, or even ostracism. Supporting this argument, neglect mediated the relation between negative names and lower self-esteem, more frequent smoking, and less education. These results are consistent with the name-based interpersonal neglect hypothesis: Negative names evoke negative interpersonal reactions, which in turn influence people’s life outcomes for the worse.

以下は、この論文をもとに書かれた記事の翻訳

「不運な」名前の人は自尊心が低く、孤独になり、喫煙する傾向が高いとの調査結果
http://rocketnews24.com/2012/01/13/171704/
ロケットニュース24
(原文:http://www.nydailynews.com/life-style/health/badly-chosen-baby-names-lead-self-esteem-education-smoking-study-article-1.1002198#commentpostform

そこにはこんな概要が紹介されている。

名前が人生に与える影響は想像以上に大きいようだ。「不運な」名前の人は自尊心が低く、孤独になる傾向が高いと社会心理学の学術論文が発表したのだ。

論文を発表した研究者は、1万2000名の成人を対象に名前の好みに関する調査を行ったところ、大半の人が「好みではない名前の人と関係を築くよりも、むしろシングルでいる方がいい」と回答したという。

また、オンラインでデート相手を探しているドイツの男女4万7000名に写真のないメールを送ったところ、「アレクサンダー」や「シャーロット」といった人気のある名前は「ケビン」や「マンディー」のような人気のない名前よりも2倍以上の数のプロフィール閲覧数があったという。名前による人気の差は確かに存在するようだ。

研究論文の著者は「ある名前に対してどのようなイメージを持つかは、ほとんど無意識に行われます。新聞記事や物語、歴史によってイメージは作られます」と説明する。

そして、名前の影響はパートナー選びだけではないと著者は言う。1万2000名の成人を対象に行った調査に基づくと、「不運な」名前の持ち主は「喫煙する傾向が高く、教育レベルが低く、自尊心が低い傾向にある」のだそうだ。「こうした事は名前の良し悪しで全て決定されるわけではないが、名前の影響も少しはある」とのこと。

名前が人生を全て決定づけるわけではもちろんないが、その影響は予想以上に大きいものかもしれない。たかが名前、されど名前。日本でも珍名・奇名を子どもに名づける親が増えているが、それが子どもの人生に与える影響はいかほどのものか、気になるところである。
(文=佐藤ゆき)


ロケットニュースには名前に関する記事が多く掲載されている。ありがたい。


2017/07/19

たった21年なのに

日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター作業員被曝事故(2017.6.6)で、放射性物質の入った金属容器は、1996年にも点検され、同じような「異常」確認されていた。それが引き継がれず、今回の事故につながった。
放射性物質の管理は万年というオーダーを要するのに、「たった」21年でも、このありさま。

2017/07/17

「ショーガール」

「私の東京物語」で、木の実ナナさんが連載をしている(東京新聞朝刊)。その第8回。
1974年、細川俊之とミュージカル「ショーガール」を上演したときの話。

「この作品は、名前の無い男と女がどこでも無い場所で出会いと別れを展開するオリジナル作品で、お客様のひとりひとりが主役になった気分になれる、そんなミュージカルでした」。

 名無し劇の効用。



「木の実」は「きのみ」と読む。「着の身着のままで(芸能界に)行って来い!」ということから名付けられた(ウィキペディアより)

2017/07/11

漢字と響きで

 3日に生まれたばかりの赤ちゃんは女の子。ともに長距離選手だった二人は歩乃歌(ほのか)と名付けた。

 父親の豊岳大樹(ひろき)さん「歩くことは走りの一歩。それに私たちは歌も好きだから。由香里が響きもいいからと決めました」。

 由香里とは佐伯(さはく)由香里さんのこと。

満薗(みつその)文博「スポーツひと・とき」東京新聞夕刊 2017年7月11日から


2017/07/10

志ん朝が亡くなって、はや16年

美濃部美津子『おしまいの噺』アスペクト
著者は1924年生まれ、5代目古今亭志ん生の長女。弟に、10代目金原亭馬生、3代目古今亭志ん朝がいた。
落語家一家の生活が、生き生きと語られていて、大変そうな暮らしも楽しく見えてしまう。まるで落語のようだ。
最後に、みどり(海老名美どり)さんのことが出てくる。
「志ん朝の死化粧をしてくれたのはみどりさんなんですよ」「それがまあ本当にきれいにしてくれたんですよ」。

2017/07/08

サーローさん、核廃絶求め72年

朝日新聞 2017年7月9日01時00分
ニューヨーク=久保田侑暉 

 ヒバクシャの訴えが、世界を動かした。米ニューヨークの国連本部で7日採択された核兵器禁止条約。むごたらしい被爆者の体験と悲痛な叫びが、新たな国際ルールに結実した。ただ、核保有国や日本政府は署名しない方針で、核廃絶への取り組みは道半ばだ。

 「亡くなった数十万の人々。彼らはみな、それぞれに名前を持っていました。そして、みな誰かに愛されていました」

 核兵器禁止条約採択後の7日午後(日本時間8日早朝)、米ニューヨークの国連本部。カナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(85)の力強い声が響く。

 「私はこの日を70年以上待ち続けていました」

 明瞭で、訴えかけるような英語のスピーチに、各国代表やNGO関係者らがじっと耳を傾ける。

 これまでの核抑止政策を失敗と断じ、「我々は取り返しのつかない環境汚染を繰り返しません。将来世代の命を危険にさらすことを続けません。世界各国の指導者たちに懇願します。もしあなたがこの惑星を愛しているのなら、この条約に署名してください」。

 最後は、こう締めくくった。

 「核兵器はこれまでずっと、道徳に反するものでした。そして今では、法律にも反するのです。一緒に世界を変えていきましょう」

 会場はほぼ総立ち。盛大な拍手…

2017/07/07

もうじき夏休み

小学生には目前の夏休み(大学生はまだ先)

近所の小学校。何年生だろう。2年生ぐらいだろうか。鉢植えをかかえながらの下校。
そのようすを見ていると、3つパターンがある。
  1. 本人がかかえる
  2. 親が持つ
  3. 親が自転車のカゴに載せる
子供も荷物が多め。
鉢の中は朝顔と思い込んでいた。
が、ミニトマトだった。収穫の楽しみがある。当の子どもにとっては、お店で売られているものが自分で作れるとは、という驚きがあるかもしれない。



親にとって、この鉢植えはトラブルメーカーでもあるようだ。こんなサイトがあった。
「家族旅行に行くときはどうする?」
「枯れてしまったらどうする?」
確かに。いまの親はどうするのだろう。本来は親ではなく子供が考えることだけど。

2017/07/06

こういう手があった

ドイツのヘンドリクス環境・建設・原子力安全相が、7月6日付「東京新聞」に寄稿した。それがトップ記事。そのなかにこんなくだりがある。
米国政府がパリ協定からの離脱を決定したにもかかわらず、もしくは離脱決定があったからこそ、新たな協力関係が生まれています。ジェリー・ブラウン カリフォルニア州知事とはつい最近、共同声明に署名を交わしました。知事は、パリ協定を遵守するための州の組織「米国気候同盟」で主導的な役割を担っています。パリ協定は現米国大統領の在任期間を物ともせず存続し続けていくと、確信しています。
国レベルでダメなら、地域レベルで連携を図る。

核兵器禁止条約交渉会議に、「核保有国が参加しなくては意味がない」として参加しない日本政府にかかわりなく、広島市、長崎市、関連団体で参加を表明する。



ドイツは、環境と建設、原子力安全を一つの省が担当している。ドイツの省構成を調べた。行政機関の枠組みが違うので、単純な比較はできないかもしれない。まあ参考まで。

外務省
財務省
司法省
国防省
内務省
労働社会省
教育・研究省
食糧・農業省
家庭・高齢者・女性・青少年省
保健省
環境・自然保護・原子炉安全省
交通・建設・都市開発省
経済開発協力省
経済技術省


2017/07/04

都内のさざえ堂

 都内にもさざえ堂があるとは知らなかった。さざえ堂は会津のそれが有名で、一度行ってみたい場所のひとつだ。それが都内にもあるとは(ただし二重螺旋構造ではないらしい)

 ウィキペディアにはこう書かれている。
さざえ堂とは、江戸時代後期の東北~関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂である。堂内は螺旋構造の回廊となっており、順路に沿って三十三観音や百観音などが配置され堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっている。仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっていることから、本来は三匝堂(さんそうどう)というが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから通称で「栄螺堂」、「サザエ堂」などと呼ばれる。
一つは西新井大師。境内を一巡して出ようとしたら、古い建物が目に入り、近づくと50代ぐらいの地元の人が説明を始めてくれた。
 「子供の頃は自由に中に入れたけど、今はダメ」。この建物がさざえ堂だった。
 西新井大師は1966年、東京五輪の2年後だ、本堂が焼失。それを免れ、境内最古となった建物である。三匝堂と言い、1884年建立。中はうかがいしれないが、外側に階段がついている。非常階段だろうか。

 もうひとつは大正大学の中にある「すがも鴨台(おうだい)観音堂」。2013年建立と、新しい。たまたま近くまで来たので、しりあいをたずねて行ったのだが、このときは4号館の見学が目的。その時は構内にこんな建物があるとは知らず、あとにした。残念。調べると、この建物は榎本了壱監修。どういういきさつなのだろう。「協力」の項に、会津さざえ堂の名も見える。機会をあらためて行くとしよう。

2017/07/03

環境化効果

ある都営地下鉄駅構内の壁に貼られていた。

不審人物? 注意? 追う警官(駅員?)

何を言いたいのか、と思うが、実際のところ、言いたいことはないのだろう。目に止まるだけで十分なのだ。

貼り主も不明。

こんな掲示のメタ効果が相互監視社会。



児童に「自転車のライトをつけろ」と注意した人が不審者として警視庁のHPに載る(2014年)

2017/06/28

「きらら」ちゃんのインタビュー

「きららちゃん」が語るキラキラネーム差別
表記は漢字とのこと。

「まったく気に入っていません。普通の名前に憧れます」
「ゆかちゃん、りかちゃんみたいに違和感を抱かない名前にして世の中に溶け込みたいです」
「母は“まさよ”という名前なんですが、自分のよくあるありきたりな名前が嫌だったらしくて、子どもは派手な名前にしたかったみたいです」
「今さら、改名しましたってみんなに言うほうが恥ずかしいなと思います」
「もう23にもなると、自分の名前は好きじゃなくても、もうこの名前で生きていかなきゃという半ば諦めみたいなものも出てきているので」
「自分の子どもにつける名前は、ちゃんと漢字の読みどおりに読めて、日常生活で違和感を持たれない当たり障りのない名前をつけたいです」
「ギャルゲーのヒロインの名前です」
(略)雪菜(せつな)ちゃんとか、鈴羽(すずは)ちゃんとか(略)
「読み方は普通だけど、漢字が変わっていて、字面がかわいいキャラが多いんですよ」

セブ山『インターネット文化人類学』から。


2017/06/27

「自分の名前に潰されそうになった」

宇梶剛士(たけし)さんへのインタビューから

「剛士という名前は重荷だった。おあつらえ向きっていうか、デカいし、強い。それが確信犯で喧嘩ばかりして暴走族の上に上り詰めたのだから、廊下で『おお、こんにちは、久しぶり』って誰かの肩を叩いたときや、俺が重い物を持ってるときに廊下ですれ違ったときに女の子に肘が当たっちゃっただけで、女の子たちが真っ青になる。俺が『大丈夫? 大丈夫?』って聞いても答えられないくらい震え上がってる。そういうことの連続の中で、すごく自分の強さに息苦しさを覚えたりしたまま大人になってる」(『アエラ』2007年2月5日号の改稿)

藤井誠二 2009 『大学生からの「取材学」』講談社 から。
(同書は、徳間文庫カレッジで刊行されている)

2017/06/25

雰囲気?と名前

 しばらくして友人もできた。(略)同い年の男で岩間くんといった。「キヨシって雰囲気だね。漢字はセイケツのケツかな」。そう当てずっぽうにいうと彼は非常に驚き、どうして知っているんだろうとうろたえた。(略)そして「郎」が最後につけばよかったののにとつぶやいた。「どうして?」ときくと、「そしたら、“いわまきよしろう”になるだろ? 俺、RCサクセションが好きなんだ」。
 上等だ。ぼくもRCや忌野清志郎が好きなことでは負けていない。彼の下宿に行ったり自分の部屋に呼んだりして、音楽の話をしまくった。



 「昭和最後」の年、1989年のできごとだ。著者の原田さんは1970年生まれ。外見と名前の一致は意外に高いという研究がある。研究自体はイスラエルとフランスで行われ、名前の選択肢から選ぶというもの。

 原田和典 2017「書道セットとロックンロールオリンピックと私」『トラベシア』Vol.2, 84-86. から

2017/06/23

軍隊と漢字

 盧溝橋事件(1937年)以後、陸軍は増兵を重ね、40年には兵士は百万人を超えた。「このような中、兵器の名前も満足に書けない兵士というのは、陸軍にとって現実的に大きな問題となっていたのです。この問題を解決するため」同年、陸軍は兵器名称用制限漢字表を通牒(通知)する。同表は兵器名称に使う漢字を1235字に制限しただけでなく、84種類の略字を採用した。例えば、浅(淺)、囲(圍)。臨時国語調査会が編纂した『常用漢字新辞典』(三省堂編輯所)が同表にも採用された。
 同表作成の経緯を陸軍省兵器局長、菅晴次が国語審議会懇親会で発言している(以下、要旨)。
 現在陸軍で使用している兵器は2300種類に及ぶ。部品になると、もっと増える。それらには難しい名前が使われている。簡潔な感じを与える漢語、国粋主義に依る無理な翻訳語を用いる傾向がある。こうした軍隊語を簡易化したい。
 
安岡孝一 2011『新しい常用漢字と人名用漢字』三省堂

2017/06/20

よくしたいからと「わが国」

芦原義信『街並みの美学』。どのページにも、しかも複数、「わが国」が出てきて、そのつど思考が止まっていたのだが、読み進むうちに、忌憚のない記述が、それを克服してくれた。

『街並み』は1978年の本。もう40年前。この間、かれの提案が実現されていたら、と思わずにはいられない。

本書は、街並みガイド、建物ガイドである。街並みや建物の見方を教えてくれる。その先には日本社会への提案がある。隣地との50cmを道路側にもっていき、両側で1m幅の前庭をつくる。前面道路を内部化する提案だ。巨大な公共空間は道路にじかに塀を建てない。少なくとも5m、10mは後退させる(塀はないに越したことはない)。彼が注目した六義園の金網付き煉瓦塀(刑務所のよう。せめて生垣に)や、小石川植物園の万代塀は、いまどうなっているのだろう。

つぎの提案は、袖看板類の禁止。アマゾンなど外資系ショップは袖看板がない。そのため通りすぎることもある。しかし、そのぶん、建物が映える。街並みが落ち着く。電柱の廃止、路上物(街灯やベンチ、案内板)の調和も提案されている。
「身近な小さなものからでも実践にうつすことを提唱したいと思うのである」。

芦原さんの発想の前提にあるのは、自分の家の外側までを内部と考えること、あるいは家を外部と考えること。二領域の空間を同視することである。それですぐ頭に浮かんだのが、階段の上り下りの矢印だ。家の階段につけているという人はいるのだろうか。つけざるをえない混雑ぶりはわかるが、上下矢印をつけない選択肢もありうる。人間の学習能力に期待する発想だ。時間はかかるかもしれないが、試してみたい実験ではある。



古書をアマゾンで買うと、最低でも250円する。古本屋では、それがアンカーになり、これよりも安いものが見つかると、買ってしまう。古書店に行く機会も増えた。芦原さんのこの本(同時代ライブラリー)は、正続2冊で210円。

2017/06/17

Jetten et al. 2017:経済格差のインパクト

「経済不平等に対する反応と社会的アイデンティティ」
Jolanda Jetten, Zhechen Wang, Niklas K Steffens, Frank Mols, Kim Peters, Maykel Verkuyten
2017
A social identity analysis of responses to economic inequality
Current Opinion in Psychology, Volume 18, Pages 1–5
https://doi.org/10.1016/j.copsyc.2017.05.011

ポイント
・不平等の進行は社会の社会的・政治的活気を減じる
・経済不平等は財産格差を促し、「われわれ」対「かれら」という力関係を強める
・不平等を問題と扱うためには、不当なものとして可視化、評価することが必要である
・社会構造的文脈は不平等が不当なものとみなされるかどうかの認識を形成する
・不平等に対する反応の貧富集団差は関心のちがいを反映する

Highlights
• Growing inequality has hidden costs for societies’ social and political vitality.
• Economic inequality enhances wealth categorizations and ‘us’ versus ‘them’ dynamics.
• For inequality to be seen as a problem, it needs to be visible and appraised as unfair.
• The socio-structural context shapes perceptions whether inequality is perceived as unfair.
• Wealthy and poor groups responses to inequality reflect different concerns.



同誌から2編。

Current Opinion in Psychology
Volume 19,   In Progress   (February 2018)
特集 Aggression and violence

「さまざまな文化や文脈における暴力の予防と抑止」
Aggression prevention and reduction in diverse cultures and contexts
Pages 49-54
Farida Anwar, Douglas P Fry, Ingrida Grigaitytė

Highlights
•Nonviolent social norms and values can play an integral role in reducing aggression.
非暴力という社会規範や社会価値は攻撃抑止にとって欠かせない働きをしうる
•Societies can promote peaceful values through nonviolent childrearing practices.
社会は非暴力子育ての実践をつうじて平和の価値を促しうる
•A well planned nonviolent resistance can win rights with little bloodshed.
十分に練られた非暴力抵抗はほとんど流血なく権利を手にしうる
•Media coverage can promote nonviolence as a promising alternative to violence.
メディア報道は暴力の有力な選択肢として非暴力を促しうる

「武器効果」
The weapons effect
Pages 93-97
Arlin James Benjamin Jr, Brad J Bushman

Highlights
•The mere presence of weapons increases aggression—called the weapons effect.
武器の存在そのものが攻撃を増す(いわゆる武器効果)。
•Weapons prime aggressive cognition.
武器は攻撃認知を促す
•Weapons influence primary and secondary appraisal processes.
武器は一次的にも二次的にも状況判断過程に影響を及ぼす
•The weapons effect is replicable both in the US and internationally, across student and non-student samples, and in both lab and field experiments.
武器効果は米国でも国際的にも見られる。それは学生サンプルでも非学生サンプルでも、実験室実験でもフィールド実験でも

2017/06/16

改名の判例

日本は改名の敷居が高い(最近の申請件数は年間で7千件台)
一度つけた名前(戸籍名)を変えるには、戸籍法により家庭裁判所の審判で「正当な理由」があると認められた場合に限られている。正当な理由とは、以下の5項目。

(1)珍妙な名前や、難しくて正確に読まれない名前
(2)同姓同名がいて不便
(3)異性、外国人とまぎらわしい
(4)神官、僧侶になった場合や商売上の襲名
(5)通称名を長く使っている

言葉尻?をとらえると、たとえば、珍妙とは?、たとえば不便とは? ときりがないが、認容率は7割台にとどまる。他のアジア諸国で見られるような運勢による改名は認められていない(たとえば、台湾は3回まで変更でき、その理由に運勢も含まれる)

実際は裁判官の考え方にも左右され、安岡孝一さんの日記記事 「玻南ちゃん命名事件」の判例解説(2011年1月31日)にもあるように、改名承認の基準は一貫していない。中期的戦略としては(5)がありうる。

法学的には、命名は本来、本人が行うもの。しかし現実には無理なので、誰か(多くは親かな)がそれを代行すると解釈されている。したがって、本人の意向で、上記以外の理由でも改名できるようになってもいいのではないだろうか(日本の場合、改名申請は本人が15歳以上とされている)



韓国の改名(ハングルドットコム韓国語教室)


2017/06/14

犠牲!?

あるデザイン関係のシンポジウム、登壇者はデザイナー3名。

質問タイムで、フロアーから女性(同業者だろうか)が発言した。

「今の職業に就くために犠牲にしたことはありますか?」

ふられた2人の男性デザイナーはちょっと考えて、「ないですねえ」と応じた。
残った女性デザイナーは「ある」と言い、「結婚です」と続けた。

そのあっけからんとした発言に、進行役の男性デザイナーも驚いたのか、「ずいぶんはっきり言いますねえ」と笑いながら応じた。

会場からも笑いが起きたが、よく考えると、笑えない。

時間切れで、結婚を断念した理由に話は及ばなかったが、仕事が楽しくて、というふうには見えなかった。



こんな記事があった。
【デザイナーは結婚できない職業 !?】未婚が多い理由とは?

デザイナーが結婚できない職業とは知らなかった。

くだんのデザイナー(なんとかデザイナーではなく、「デザイナー」の前に何もつけないのがいい)には結婚意思がある。質問は過去形だったが、回答も過去形にならないよう願うだけである。

2017/06/13

ダイ・ハード3の二重構造

 戸田山和久さんの連載「とびだせ教養」がおもしろい(ちくま)。第3回は「たかが知識、されど教養」。

知識がないと、ダイ・ハードだってわからない !
 「ダイ・ハード」はよく知られたアクション映画。
 しかし……

 ダイ・ハード3にこんな場面が出てくる。前段がわからないと雰囲気も事情もわからないが、そこは本編を読んでほしい。日本語字幕で再現すると、こんな感じになる。

マクレーン「悪かったよ」
ズース(アフリカ系男)「ジュースと呼んだな ?」
「違うのか ?」
「ジュースじゃない。俺の名はズース(ゼウス)だ。ギリシア神話に出てくる。ゼウスはたたりの怖い神だぞ。文句あるか ?」

 これを、彼が「ちゃんと訳すと次のようになる」。

「オーケー、ヘズース。巻き込んじまって悪かったな」
「どうして、さっきから俺のことをヘズースって呼ぶんだ。プエルト・リコ人に見えるか ?」
「さっきの奴がヘズースって呼んでたじゃないか」
「そうじゃない。あいつは「ヘイ。ズース」って言ってたんだ。俺の名前はズースだ」
「ズース ?」
「ズースだ。オリンポス山の。アポロンの親父と同じ。俺を怒らせるとケツの穴に雷落とすぞ、のズース(ゼウス)だ。文句あるか」

 ヘズースはイエスのスペイン語読みで、ヒスパニック系にはよくある名前らしい。ニューヨークでヒスパニックといえば、まずプエルト・リコ人。マクレーンがヘズースと聞き違えたのを訂正する際、ズースが「プエルト・リコ人に見えるか ?」と言うのはそういうわけだ。
 これでも、会話がよくわからない。実は単なる名前の間違いではない、と、このあとの場面を説明してくれる。よきサマリア人がの譬え話が出てくる。考察が一段と深まる。教養のなせる技だ。

 ジェームス・キャメロン監督は、ターミネーターについてインタビューでこう言っていると、紹介してくれている。

 プロデューサーのゲイル・ハードと僕は二つのレベルでうまくいく映画をつくろうと考えた。12歳の子が、こんないけてる映画見たことないと思うようなアクションとして、そしてスタンフォードの45歳の英文学教授には、社会政治的意味合いが隠されていると思ってもらえるようなSFとして。

 勉強がまったく足りない、と痛感。

2017/06/12

「合法」的兵役拒否

1873年、徴兵令が出る。はじめは免役規定があった。

  1. 一家の主人
  2. 一家の跡継ぎの息子や孫
  3. 一人息子や一人孫
  4. 養子

この免役規定知識を広める人間がいた。実質、兵役拒否運動家でもある。
 その人たちは、あそこに子なしの家があるということを教えてやっている。すると、子だくさんの親類からは非常に頼もしがられる。あそこに廃絶した家があるとそれを再興したりして、どんどん新しい名字を名乗って、家の長男とか養子にした。これを兵隊養子とか兵隊分家とか呼んだ。そのときに新しい名字をつくって、それを今日まで伝えている家は少なくない。自分の名字が、明治の兵役拒否運動のなごりであるという人は、いまも全国にたくさんいる。自分の名前の意義を深く考えれば、そのなかに先祖の兵役拒否の願いがこもっている。そこに思想史的な血脈がある。
鶴見俊輔 2016 「兵役拒否と日本人」『敗北力』所収


名字自体に特徴があるわけではないだろうから、該当者を発掘するのは大変そうだ。


2017/06/11

鶴見俊輔の『敗北力』から

「兵役拒否と日本人」(自著未収録稿)
 幣原を決意させた満員電車の声
  ……幣原喜重郎の自伝『外交五十年』という本がある。
 彼はそのなかで「よくアメリカ人が日本へやってきて、今度の新憲法というものは、日本人の意思に反して総司令部のほうから迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関するかぎりそうじゃない、決して誰からも強いられたんではないのである」「私は戦後、はからずも内閣組閣を命ぜられ、総理の職についたとき、すぐに私の頭に浮かんだのは、あの電車の中の光景であった」といっている。
 その電車の中の光景というのは(略)。
 二十代ぐらいの男が大きな声で、向こう側の乗客に向かって、こういっている。
 「いったい、君はこうまで日本が追い詰められていたのを知っていたのか。なぜ戦争をしなければならなかったのか。おれは政府の発表したものを熱心に読んだが、なぜこんな大きな戦争をしなければならなかったのか、ちっともわからない。戦争は勝った勝ったで敵をひどくたたきつけたばかり思っていると、何だ、無条件降伏じゃないか。足も腰も立たぬほど負けたんじゃないか。俺たちは知らぬ間に戦争に引き入れられて、知らぬ間に降参する。自分は目隠しをされて屠殺場に追い込まれる牛のような目にあわされたのである。けしからぬのは、われわれを騙し打ちにした当局の連中だ」 
 民衆体験から生まれた非戦憲法 
 戦争に対する反応の仕方は過去の問題ではなくて、われわれの未来に属する問題であった。このことは、その後もあらわれてくる。十五年間の戦争に対する各個人の抵抗曲線は、そのままいまの日本の軍国主義的傾向の復活に対する抵抗曲線としてあわられている。

鶴見俊輔 2016『敗北力』編集グループSURE



 ただでさえ、いいものはいい。ましてや中から生まれたものであれば、それは希望だ。

2017/06/10

Okulicz-Kozaryn 2016:住む場所と幸福

Adam Okulicz-Kozaryn
2016
Happiness and Place: Why Life Is Better Outside of the City

This book is about places - cities, suburbs and towns - and happiness of people living there. Taking an interdisciplinary approach, Okulicz-Kozaryn examines the relations between human happiness and the infrastructure of the places they live. This thought-provoking(示唆に富む) book argues for the overlooked idea that we are happiest in smaller areas.

Sample
https://books.google.co.jp/books?id=IdtTCgAAQBAJ&pg=PT73&lpg=PT73&dq=Happiness+and+Place:+Why+Life+Is+Better+Outside+of+the+City&source=bl&ots=pm5yTDPbGI&sig=10Y1i5Pzb457-7wHleIq_dx0MaE&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwj-6obZ-7LUAhVGgLwKHUb3C0gQ6AEIUjAG#v=onepage&q=Happiness%20and%20Place%3A%20Why%20Life%20Is%20Better%20Outside%20of%20the%20City&f=false

Book review
http://blogs.lse.ac.uk/lsereviewofbooks/2015/12/18/book-review-happiness-and-place-why-life-is-better-outside-of-the-city-by-adam-okulicz-kozaryn/

2017/06/09

痕跡学事始め

6月1日、りえこさんの「メディア制作ワークショップ」でゲスト講義。
その記録がアップされた。
第1回は、痕跡学
のびのびやっています。
服装がりえこさんとシンクロ。モノクロ、丸と三角。



第2回は7/20。名前学。
服装,シンクロするかな。

2017/06/08

オープンエンド会話のすすめ

 ニュース画面でクロール(画面に流れる文字情報)が始まったのは1981年。イラクの米国大使館人質事件が起きたときだ。最新情報を知りたがった視聴者にこたえて。「人質事件は終息したが、私たちの注意力を分割するスクロールは残った」。

シェリー・タークルの『一緒にいてもスマホ SNSとFTF』(日暮雅道訳)から。

 本書の主張は「会話の復権」。ただのおしゃべりではなく、オープンエンディッドな会話。つまり、イエス・ノーで答えられないような会話だ。デジタル依存へのレジリエンスがあるうちに、ネットなし時代を経験している人がいるうちに、生まれついてからネットあり・デジタルあり世代だけになる前に、という意味でもある。
 手書きで原稿を書いてきた経験があると、ワープロのありがたみはわかるが、ワープロで書いてきている人はどうなのだろう。

さて、この本で知った用語がいくつかある。
  • ファビング phubbing スマートフォンをはじめとするモバイル端末に熱中するあまり、現実社会で居合わせている人へ意識を向けず、コミュニケーションが阻害されてしまっている状況を指す語である(「IT用語辞典バイナリ」から)。
  • グレイジング grazing あちこちで、いろいろなことを拾い上げ、そうした断片をかき集めこと。まとめサイト作成もこの一種だろう。


 なぜふれたのかわからないが、訳者あとがきの最後に、「シーモア・パパートは、タークルの元配偶者」と出てくる。知らなかった。

つながっていても孤独?」(TED)は、彼女のシリーズ3作めAlone togetherの内容。

2017/06/07

「かな」の効用かな

 壺は夫も好きなので、家の中にごろごろとたくさんあります。そのまま置いたり、花を生けたり。この中国の壺は、偶然どちらも蓮の花と唐辛子のモチーフ。小学校の先生が私の"かれん"という名前に『花蓮』という字を当ててくれたのがきっかけで、ロータスは私にとって大切な花になりましたし、幸福や繁栄を象徴する子供のモチーフも好きです。

「桐島かれん、アジアで見つけた私だけのもの。」から。

madame FIGARO Japon 7月号



「可憐だね」では広がらないけど、花蓮だと、花の話題に行ったり、台湾の花蓮に行こうかとなったりする。「かな」はことば遊びができる。

2017/06/06

発想としての「3」

ある座談会で、外語大の沼野恭子さんがこう言っている。
 相対化について言いますと、日本語と英語だけではなく、もう1つ別の言語を学ぶということがとても大事だと思います。3つの言語を知ることによって三角形が形成され、ものの考え方がより相対化されます。
 二点では直線にしかなりませんが、3つの点があって三角形になることで空間化する。さらに多ければ円に近づき、ますます相対化することになる。これが人間の幅につながるのだと思います。
 最近の日本の風潮としては、第二外国語をとらなくていいという学校が増えています。これはとても残念なことで、言語の初歩をかじるだけでも、「こんなに考え方が違うんだ」という発見のある場合があります。
ことば以外でも、3の意義はあてはまる。社会は3人から。だし、二分類がうまくいかない場合、いきなり4になると、4象限を構成する2軸を考えなければならない。しかし、うまく行く保証はない。4点は結び方によってねじれるが、3点だとねじれない、とか。「はい」と「いいえ」の中間も絶妙だし。

国際比較も3カ国になると、ひろがる。ボクがよく引用するのは米韓日の浮気調査(Buss, et al., 1999の研究)。回答者は大学生。身体的浮気と心理的浮気のどちらを嫉妬するか。

Buss, D. M., Shackelford, T. K., Kirkpatrick, L.A., Choe, J., Lira, H. K., Hasegawa, M., Hasegawa, T., & Bennett, K. (1999). Jealousy and the nature of beliefs about infidelity: Tests of competing hypotheses about sex differences in the United States, Korea, and Japan. Personal Relationships, 6, 125-150. 結果を要約した表はここにある。神野雄 2015「嫉妬研究の概観と展望」のTable 1。

2017/06/05

通名をつかう理由の世代差

金明秀さんと一緒にやった『在日韓国人青年の生活と意識』(東京大学出版会、1997)の質問紙調査で決着がついた。在日韓国人青年の8割弱が「まったく通名だけ」「ほとんど通名」もしくは「通名の方が本名より多い」生活をおくっているところ、「差別されないためには、通名を使わざるをえない」という意見に対して賛意を示した回答は3割に満たなかった。それに対して、「本名であれ通名であれ、自分になじんだ名前で生きることが自然な生き方だ」という意見に賛意を示した回答が7割を超えた。

以上、下記「あとがき」からの引用。このくだりは『在日韓国・朝鮮人』の59から60ページの記述と関連している。
オールポート, G.W. (1942)(福岡安則(訳)2017『質的研究法』弘文堂)



本書は『心理科学における個人的記録の利用法』の改訳。訳者は大場安則。上記の本で、大場さんが福岡さんであることを知った。

2017/06/04

握手の魔力

伊格言(エゴヤン)さんが、講演のおまけでいくつか台湾事情を紹介してくれた。先日の同性婚の公認に加え、「死亡之握」現象がでてきた。スライドには、馬英九さんが犬と握手している写真も出てきて、当の犬はそっぽを向いている。

死亡之握(死の握手)を検索するとヒットした記事がこれ。
「第1回は、馬英九総統が握手などで接触した人に不幸をもたらすといううわさが広まっている現象を紹介します」。
https://www.ys-consulting.com.tw/news/48725.html
例外は安倍首相とか。

辺見庸が『闇に学ぶ』で、(民主政権時代の)ポル・ポトと握手したときのことを書いている。
「彼の大きな掌はマシュマロみたいに柔らかで温かかった。『手とは不思議なものだ』。候補者に握手された選挙民みたいに『私はいっぺんでポル・ポトを好感』したほどである」。

辺見の分析はこうだ。
「偉くなるにつれ、徐々にマシュマロ化していったのではないだろうか。手が変化したのだ。いったんマシュマロになった手は、じかに手をくださない。『殺せ』と指さすだけだ。指示するものの手はますますふやける」。

当のポル・ポトは、自分と同じようなふわっとした手の人を殺害対象にしていた。労働者ではないという理由からだ。

握手は、いま相手に触れる貴重な機会でもある。ネットではできないし……。

選挙運動では、候補者名の連呼と「握手」がキー。

伊格言(倉本知明訳)『グラウンド・ゼロ 台湾第四原発事故』白水社



BBC Japan「トランプ氏との握手合戦は意図的と仏大統領 あれは「真実の瞬間」

2017/06/03

こんな日もある

ホームで、外国人に「この電車は初台に止まるか」と聞かれ、咄嗟に「止まらない、次の次の電車であれば」と発車間際の車内から答えた。それで正解なのだが、プラクティカルな意味では正しくなかった。

発車間際のこの電車に乗って、笹塚で各駅停車に乗り換えれば初台に行けるからだ。「止まるか?」と聞かれたので、そのレベルで反応し、「止まらない」と言ってしまったが、初台に行くための質問と考えれば正しい回答ではなかった。悪いことをした。

この日は一日じゅう頭がよく回らなかった。

2017/06/01

「辺」と「邉」

週刊文春の連載マンガ「タンマ君」(東海林さだお)。
6月8日号に、名前ネタが載っている。
タンマ君
「渡辺くん、ちょっと」
わたなべくん
「いま、どっちで呼んでくれました?」
のほうで呼んでくれました? それとものほうですか?」
タンマ君
「あ いや…」
「ついうっかりのほうで」
わたなべくん
「困るんです それじゃ」
タンマ君
「どうする? こいつ」
と、近くにいた同僚に相談すると「ヘタにあしらって将来出世された時に困るし」



確かに人の名前を呼ぶ時、文字が頭に浮かぶ。「」のときは、少し時間をかければいいのだろうか、画数分だけ。

2017/05/31

The Name Therapist

こういうタイトルの本が出ている。

長い副題にこうある。

How Growing Up with My Odd Name Taught Me Everything You Need to Know about Yours

私が変わった名前(Tuana Taha)のもとでどう成長したかは、あなたが自分について知る必要のあるすべてのことがらを私に教えてくれた。と訳せばいいだろうか。

TED>>Decoding the social value of names

Duana Taha is a television writer, producer, best-selling author, sought-after(引っ張りだこの) columnist and name expert. As the child of immigrant parents from Ireland and Egypt, Duana’s curiosity about personal, cultural, and national identity, has formed the trajectory of her career in television, print, and online.

In April 2016, Duana’s first book, The Name Therapist, was published via Random House Canada, and rapidly became a National Bestseller. Duana has become a singular(変わった) voice on first names, discussing not only what they ‘mean’ but how they shape our experiences and ultimately, our lives. She has never met another Duana.

2017/05/26

ベルリンと東京の類似点

東京新聞朝刊「こちら特報部

見出しを拾うと、

五輪の政治利用、国威発揚の空気
東京−ベルリン 際立つ類似点
景気浮揚 治安を強化 再軍備
改憲・共謀罪 根拠に 復興演出 追われる野宿者
ヒトラー 世界にプロパガンダ
歴史の教訓どこへ

2017/05/21

PC98を囲んで

引き出しから出て来た。

PC98全盛期の1990年夏。CAPS(Social psychology and computerを、社会心理学よりもコンピュータに夢中という意味を潜ませて逆転。CAPSキーの存在にあとで気づき、いい名前だと納得)研究会の1コマ。

内容は、データベースのチュートリアルだったのか、ニフティのそれだったのか。いまとなっては?????

顔が写っている人は、左からH馬さん、I井さん、ボク、I田さん。I井さん、変わっていないなあ。

2017/05/18

名字も貢献

「東京新聞」文化娯楽面コラム「風向計」
「3秒の歌声」新妻聖子
大学の英語の授業で自己プレゼンテーションをした。
「歌が好き。歌手になりたい」と語ったら、「歌って!」の声。ためらいつつも、高校の時に覚えたアリア「ピエタ・シニョーレ」の一節を口ずさんだ、約3秒。
それを覚えてくれていた人がいた。2年後に、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のオーディション担当者に推薦を頼まれた、その人が「大学の授業で歌を口ずさんだ子の声がとてもきれいだった。変わった名前で新妻聖子という子」と推薦してくれたのである。
役者や歌手としての実績がないのにオーディションに呼ばれたことが不思議だったが、あれがきっかけとは。
別の大学に行っていたら、「名字が新妻でなければ、たらればを言えばきりがないが、こうして私はミュージカルと出会った」。

2017/05/16

赤ちゃんの名前でも▼

「トランプと同じ名前は嫌! 赤ちゃんの名前ランキングは支持率の鏡」
ニューズウィーク日本版」 2017/ 5/15 19:25 配信

〈我が子に良いイメージの名前を付けたい親心。人気の名前ランキングの結果から子育て世代の本音が浮き彫りに......〉

 ドナルド・トランプ米大統領が就任してから「ドナルド」という名前の人気が急落している。米社会保障局が12日発表した「2016年に誕生した赤ちゃんの名前リスト1000」によると「ドナルド」は前年から後退した。

 「ドナルド」は前年443位から45ポイント落として488位。命名に関する情報サイト「BabynameWizard.com」の創設者、ローラ・ワッテンバーグは「トランプ支持者でさえ、自分の子にドナルドと名付けることはまずない」と指摘する。彼は「両親は一般的に議論の余地があるものに因んだ名前を付けたくない」と説明したうえで、トランプの人気がなくなりつつある可能性を示唆した。

 トランプ同様に嫌われている名前がある。ヒラリー・クリントンの「ヒラリー」はリストにすら載っていない。「ヒラリー」は、前回、民主党からの大統領候補指名を争ったとき以来ランクインすらしていない。

 巷を騒がせた人物の名前が露骨に敬遠される動きは過去にもあった。女の子の「ケイトリン」という名前は、2014年の600位から翌年に500位まで順位を上げる勢いだったのに、2016年には「ケイトリン」と読む3種類すべての表記でランク外となった。考えられるのは、1976年モントリオールオリンピックの金メダリスト、ブルース・ジェンナーが性同一性障害を公表した後に、女性名のケイトリン・ジェンナーに改名したことだ。2015年、女性姿でファッション誌「ヴァニティ・フェア」7月号の表紙を飾ると、保守系メディアの米報道番組FOXニュースが番組で侮辱したのをはじめ、他メディアも続き、全米で物議を醸した。

 2016年に最も人気だった男の子の名前トップ5は、ノア、リアム、メイソン、ジェイコブ、ウィリアム。女の子は1位から順に、エマ、オリビア、ソフィア、アバ、イザべラで、人気女優やモデルを連想させる結果となった。

 一方不人気だったのは、男の子が、フランキー、デショーン、ジェイビオンなど。女の子は、ジャニヤ、ジョセリーン、リビー、プリンセス、シドニーだった。



一般に、大統領の名前は人気がある。
Rogerson, 2016:赤ちゃんの名づけにおける月や祝日、大統領の誕生日の影響
抄訳



ボクの知っている範囲では、アメリカ、そして台湾が名前の公式データを公表している。日本はない。研究環境にも影響する。



「Yahoo!知恵袋」アメリカの改名に関する法律


2017/05/12

絵本『ニャオンイ』


韓国の絵本。
『ニャオンイ』(냐옹이)
2008年刊。
ノ・ソクミ(노석미)作

「ニャオンイ」とは猫の鳴き声。

 強がりでひとりぼっちの野良猫が、少年に優しく「ニャオンイ」と呼ばれるうちに不本意ながらほんの少しだけ心を開いてしまうお話。相手の名前を呼ぶことから関係が生まれることを題材としている。作者ノ・ソクミの自由で大胆な絵が見る人をひきつける(『日本語で読みたい韓国の本-おすすめ30選』第5号から)

どこかで翻訳を出してくれないだろうか。



このほかにおもしろそうな絵本2点。
プラスチックのしま』イ・ミョンエ
スイカのプール』アンニョンダル



2017/05/01

ミャンマーでは

「東京タワーが好き」というイイ・シェインさん(35)

出身はミャンマーのダウェイ。
 日本で驚かれるのは、ミャンマー人に姓がないこと。ミャンマーでは、生まれた曜日に基づいて名前の最初の文字を決めます。私は「イイ」。ミャンマー人なら日曜日生まれと分かります。日曜日は一番運が強いとされる日です。「シェイン」は父の名前。父親の名前を付ける決まりは特にありませんが、母が6人きょうだい全員に付けました。
* * * * *
 同じ会社で働く夫と一緒に、日本ならミャンマー料理の店、ミャンマーなら日本料理の店を開くのが夢です。
(東京新聞 2017年5月1日朝刊、文章構成・境田未緒)


ビルマ人の名前(バダウ)
ビルマのユニークな名前の付け方(グローバル・ボイス)

2017/04/30

憲法の日を前に

漫画家、弘兼憲史(1947年生まれ)の名前には「憲」の字がある。

日本国憲法ができた時、子供の名前に「憲」の字をつける親が多かったそうです。私のおやじもそう。「新たな歴史が始まる」と喜んで、私を「憲史」(けんし)と名付けたと聞きました。
刻々と変わる世界情勢に柔軟に対応できるような憲法にすべきだと思います。
(朝日新聞、2017年4月30日朝刊)。

 「柔軟」はいっけんいいことばのように聞こえるが、要は、そのときどきの情勢に流されること。しかも、肝腎の「世界情勢」の理解はいかようにもなる。恣意的だ。そんな怪しいものに「柔軟に対応」して、いったいどうなるのか。
 憲法の役割は理想を追求すること。おやじさんの思いは伝わっていないのだろうか。

2017/04/22

非匿名な関係は協力を促す

「名前を知っていると互いに協力を促すことを発見 北海道大学など」
(大学ジャーナル オンライン編)http://univ-journal.jp/13292/

 北海道大学電子科学研究所のマルコ・ユスップ助教らの研究グループは、ペアを組んだ実験参加者が互いの名前を知っている非匿名(顕名)状態の方が匿名状態よりも相互協力を促すことを発見した。

 文明的日常生活には相互協力が不可欠である。ダーウィンの自然選択説(生物の進化を説明する理論)に従えば、利己的行動が有利に働くことが多く、人間(および動物)が進化過程でどのように協力的行動を獲得してきたのかは、未だ十分に解明されていない。

 そこで研究グループは、実験参加者が自己利益(利己主義)と共通利益(利他主義)のどちらを選択するのかを調べる「社会的ジレンマ実験」を通じて、人間社会における協力行動の進化メカニズムの理解促進を目指した。

 実験は、中国の雲南財経大学で154名の学生を対象に行われ、匿名、顕名の2条件が設定された。実験参加者は相手に対し、協力、裏切り、罰のいずれかを選択し、両者の選択に応じた報酬が与えられた。

 この選択を繰り返し行った結果、顕名条件では、匿名条件よりも協力頻度が大幅に増加し、罰で始まった場合でも協力的選択へと関係が修復される確率が高かった。匿名条件では関係が悪化していく傾向が強いのに対し、顕名条件では良好関係が確立あるいは維持される確率が高かった。

 本研究の興味深い知見の一つは、顕名条件でも、相手のことを知らない振りをして裏切り続けることが有利であるにも関わらず、実際には協力行動が促進され、結果として成功(報酬の増加)が促進される点である。この結果は、合理性は人間の判断基準の一部に過ぎないことを改めて強調する。

 今回の実験結果は、社会的ジレンマに直面した時の意思決定が、合理性だけでなく、さまざまな認知バイアス(判断における合理性からの系統的逸脱)に影響されることを示唆する。

 今後、認知バイアスと意思決定の関係を明らかにすることで、合理的思考に基づく意思決定を促すことができると期待される。将来的に、環境保全交渉といった国際的意思決定の場で、目標とする合意に到達するために役立つことも期待される。

原論文 Onymity promotes cooperation in social dilemma experiments

2017/04/18

Ogihara 2015:個人主義とユニークな名前

asarinさんの輪読ゼミまとめサイトから。

Ogihara, Y., Fujita, H., Tominaga, H., Ishigaki, S., Kashimoto, T., Takahashi, A., Toyohara, K., Uchida, Y. (2015). Are common names becoming less common? : The rise in uniqueness and individualism in Japan. Frontiers in Psychology.

日本の親は「ありふれた漢字だけどユニークな読み方」の名前をつけるようになった.そのことは個人主義の程度と正の相関を持っている

要旨(日本語訳)
https://sites.google.com/site/kgasasemi/home/2015rindoc_asarin/ribennoqinhaarifuretahanzidakedoyunikunadumifangnomingqianwotsukeruyouninattasonokotohagerenzhuyinochengdutozhengnoxiangguanwochitteiru

We examined whether Japanese culture has become more individualistic by investigating how the practice of naming babies has changed over time. Cultural psychology has revealed substantial cultural variation in human psychology and behavior, emphasizing the mutual construction of socio-cultural environment and mind. However, much of the past research did not account for the fact that culture is changing. Indeed, archival data on behavior (e.g., divorce rates) suggest a rise in individualism in the U.S. and Japan. In addition to archival data, cultural products (which express an individual’s psyche and behavior outside the head; e.g., advertising) can also reveal cultural change. However, little research has investigated the changes in individualism in East Asia using cultural products. To reveal the dynamic aspects of culture, it is important to present temporal data across cultures. In this study, we examined baby names as a cultural product. If Japanese culture has become more individualistic, parents would be expected to give their children unique names. Using two databases, we calculated the rate of popular baby names between 2004 and 2013. Both databases released the rankings of popular names and their rates within the sample. As Japanese names are generally comprised of both written Chinese characters and their pronunciations, we analyzed these two separately. We found that the rate of popular Chinese characters increased, whereas the rate of popular pronunciations decreased. However, only the rate of popular pronunciations was associated with a previously validated collectivism index. Moreover, we examined the pronunciation variation of common combinations of Chinese characters and the written form variation of common pronunciations. We found that the variation of written forms decreased, whereas the variation of pronunciations increased over time. Taken together, these results showed that parents are giving their children unique names by pairing common Chinese characters with uncommon pronunciations, which indicates an increase in individualism in Japan.



個性的な名前を与える傾向が増加している -日本文化の個人主義化を示唆(京都大学、2015年10月22日)

京都大学、新生児の名前から日本文化の個人主義化を示唆(大学ジャーナルオンライン編集部、2015年11月1日


読みのユニークネス追求は「戸籍」に文字しか登録されないことも関係していよう。使える文字に制約が課せられていることも。

おまけ
▼tabuchi編
Lauren A. Winczewski, Jeffrey D. Bowen, and Nancy L. Collins (2016). Is empathic accuracy enough to facilitate responsive behavior in dyadic interaction? :Distinguishing ability from motivation. Psychological Science, 27(3): 394-404.

Abstract
Growing evidence suggests that interpersonal responsiveness—feeling understood, validated, and cared for by other people—plays a key role in shaping the quality of one’s social interactions and relationships. But what enables people to be interpersonally responsive to others? In the current study, we argued that responsiveness requires not only accurate understanding but also compassionate motivation. Specifically, we hypothesized that understanding another person’s thoughts and feelings (empathic accuracy) would foster responsive behavior only when paired with benevolent motivation (empathic concern). To test this idea, we asked couples (N = 91) to discuss a personal or relationship stressor; we then assessed empathic accuracy, empathic concern, and responsive behavior. As predicted, when listeners’ empathic concern was high, empathic accuracy facilitated responsiveness; but when empathic concern was low, empathic accuracy was unhelpful (and possibly harmful) for responsiveness. These findings provide the first evidence that cognitive and affective forms of empathy work together to facilitate responsive behavior.

人間関係には他人の気持ちを「正しく理解する」ことより「何とかしてあげたい気持ち」が重要

https://sites.google.com/site/tabuchimegumi/research/2015papers/renjianguanxinihatarennoqichichiwozhengshikulijiesurukotoyorihetokashiteagetaiqichichigazhongyao

そもそも他人の気持ちが理解できた(としよう)時点で、その人は、その他人になってしまう。理解よりも意志。

2017/04/15

同姓同名の前に

きょうのWLMは高(たか)さんの報告。

高さんは、作家の高史明さんと同姓同名。学生時代、彼が編纂した『ぼくは12歳』(1976年刊)を読んだことがある。この本で、はじめて彼の名前も知った。その高さんと同姓同名であることが、若い高さんの誇りかと思っていたら、そうではなかった。史明という個別の名前ではなく、コリアンらしいというカテゴリーレベルで名前が見られた。以下は、『レイシズムを解剖する』の「はじめに」からの引用。
1980年に生まれた私が在日コリアンを巡る問題に対する関心を抱いたのは、"高史明"という名前がコリアンであることを推測させるものであったために子どもの頃に繰り返し投げかけられた差別的な言葉がきっかけであった。


あらためて調べたら、文庫版『新編 ぼくは12歳』には、両親と読者との往復書簡が収録されている。久しぶりに読んでみよう。タイトル買いしそうな『高史明の言葉 いのちは自分のものではない』も。



『レイシズムを解剖する』の装丁は、Studio621の林智子さん(と、珉哲さんも?)が手がけている。

2017/04/11

さくらさんと幸助くん

東京新聞朝刊

「願い込め新1年生」
 2011年3月、東日本大震災の過酷な状況の中で生まれた子どもたちが今春、小学校入学を迎えた。

「震災当日3.11に生まれた(下沢)さくらさん」
 あの寒い日に生まれた。だからこそ、厳しい冬の後で見る人を元気づける桜のように周囲を明るくしてほしい。「さくら」と名付けた(岩手県宮古市)。母の悦子さん(38)

「3日後生まれた(菅原)幸助くん」
 「『幸助』でどうだ」。病室で祐二さん(40)が律子さん(38)に告げた。用意していた名前とは違ったが、律子さんに異論はなかった。「震災で助けられた恩を忘れず、人を助けられる幸せな人になってほしい」。律子さんは祐二さんの思いを理解できた(宮城県気仙沼市)

2017/04/03

タイムトラベル

先月末、「惜別」記念にと、四谷・新宿散策が組まれた。
途中ではお墓ビルも。窓らしい窓がない。コピーは「由緒正しき地で 杜の息吹を感じながら 安らかに眠る。都心で安らかに眠る」。
仕上げは、テルマー湯、そしてゴールデン街
Hさん作成のルート、そしてガイドは、何度も通ったはずの道を一歩はずれるだけで、江戸時代、そして70年代へといざなってくれた。
目をつぶると、今の街並みは消え、当時の喧騒が聞こえてきそうだった。雨が、夕闇が幸いした。
ふしぎな一日だった。

2017/04/02

「一村」と「薫」

東京新聞夕刊 4月1日。

土曜訪問「亡き人に正義を返す」

ルポ 思想としての朝鮮籍』著者、中村一村さんのインタビュー記事。
一村はイルソンと読む。生い立ちを聞いてくれた在日の信頼する大学教員が「じゃあ、イルソンさんですね」と呼んでくれた。
中村さんは日本(父)と朝鮮(母、在日朝鮮人2世)のダブル。
朝鮮や韓国を扱った本では、当然ながら、名前にふれられることが多い。読もうと思っていた本だ。
中身は「在日の先達」6名からの聞き取りである。聞き取りといえば、『在日一世の記憶』や『在日二世の記憶』をすぐ思い浮かべる。中村さんのこの本は、出田さん(記者)「も悔しさに震え、涙がこぼれそうになる。人ごととして描写していない」。
日朝両方のルーツを持つことで、同じ在日からも疎外される。「人生で初めての『イルソンさん』という呼び掛けが、どれほど優しく響いたことだろう」と出田さんは書く。

コンパス「名はなんだらう」

記者、樋口薫さんのエッセイ。3人目の子をさずかり、前から命名に頭を絞っていた、という。本人の薫は、庄司薫由来。代表作『赤頭巾ちゃんに気をつけて』を読んだのがハタチ。以来、中の一節「知性とは、なにか大きなやさしさみたいなものを目指していくものじゃないか」に幾度となく道を照らしてもらった気がする、と書く。
「そんな名を自分も付けられるだろうか。思い悩むうち深みにはまった」。

週末は結婚式に出席した。祝辞をスマホ画面を見ながら読み上げるという人がいて、驚いたが、珍しくないのだろう。かれらが最初ではないだろうから。

2017/04/01

ホームページ一新

退職に伴い、ホームページのホーム画面を変えた。これまでの内容は「川浦康至研究室(2005-2017)」に移設。

いずれ場所も変わるかもしれませんが、とりいそぎ。



退職祝に、家族から皮の財布をもらった。こちらも一新。コインの出し入れで内側が黒ずんでいた。

2017/03/31

本当の受賞作

一木賞授賞式と藤森照信展で水戸芸術館へ。

授賞式では総会担当?のSさんが代読してくれた。イラスト付き賞状に加え、『建築の忘れがたみ』、さらに一木さんの地元の展覧会チケットをいただいた。会場の工房には南伸坊賞を受賞した小学生もいて、拍手してくれた。

あとで町中に見に行ったら、彼の作品は「きゃーーー」。「足元注意」の看板にある人物の足元がはがれている。自らの足元に注意というわけだ。いい物件を探している。

さて。藤森さんの作った建物の写真は大半が茅野市美術館蔵。ここへ行けば全部見られるのかと思ったら、常設展示はされていないらしい。ここでちゃんと見ておくしかない。写真でもじゅうぶん迫力は伝わって来る。

今回の展示でうれしかったのは、藤森建築の技法紹介。

「ほうき」漆喰塗りを素人が塗るとき、一番のおすすめはホウキ仕上げ。
「銅版の四半」自然素材に合う工業製品は銅版。手で加工でき、風化が美しい。
「ステンシル」壁画を落書きのように書くなら、この技法がいい。

彼の卒業作品は橋がテーマだったことも初めて知った。

さてさて肝腎の受賞作品。ずっとこれだと思って疑わず、Sさんといろいろ話した。ただ展示状況の写真を見ると、ボクの撮った写真は正方形なのに対し、これは横長。向こうでトリミングしたのかと思っていた。でも、そんなことはふつうしない。

ボクの作品は常陽銀行泉町支店のショーウィンドウにあった。そこに飾られていたのは「イナバウアー」ではなく、上の写真。びっくり。

タイトルは「はい、わかりました」にしたが、アフォーダンスのいい教材になりそうなドアの手元を写したものだった。何回も塗り重ねられたようすは大切にされていることも伝わって来る。では、あの写真は?

三の丸庁舎に展示されていた、その写真は「背面跳び」と題され、別の人の作品だった。偶然、同じ場所で撮った人がいた。ただタイトルの発想だけが異なっていた。

Sさんと話していて、受賞作に話題が飛んだとき、怪訝そうな顔をしていた理由がわかった。

2017/03/29

Tausczik et al. 2016:秘密

Yla R. Tausczik, Cindy K. Chung, James W. Pennebaker
Tracking Secret-Keeping in Emails
http://www.aaai.org/ocs/index.php/ICWSM/ICWSM16/paper/view/13107/12758

マーキュリー2世‏ @uranus_2  1月3日
重要なことを秘密にする前からメールの頻度や単語の使用法が変わり、秘密を持った後も変わったまま。秘密を持つとコミュニケーションは減少するのではなく、増加する。

2017/03/27

#BeautifulName

#BeautifulNameの連載が「毎日新聞」朝刊で、きょうから始まった。
自分の名前について世界各地の人が語る一言。
本人の写真もついている。
https://mainichi.jp/ch170361613i/BeautifulName
https://twitter.com/hashtag/BeautifulName?src=hash

2017/03/26

詩集完成

先日の最終ゼミで書いてもらったコミュニケーションポエムの冊子が出来上がった。

A6判、24ページ、ハンディサイズ。タイトルは、『2017年3月11日。23人の詩人が「コミュニケーション」を詠う。」にした。

28日に印刷、手渡し、郵送は29日以降に。

2017/03/23

「一木賞」受賞

究室を明け渡し、帰宅すると、朗報が届いていた。
年11月のワークショップで撮影した作品「レイバック・イナバウアー」(左写真)が一木賞を受賞。

下は、その朗報の抜粋。
さて、K様は、ご提出いただいた水戸路上観察学会(ワークショップ)の物件写真で一木賞を受賞されました。
総会出席者の方には壇上にて賞状と記念品を贈呈させていただいたのですが、K様は欠席のご連絡をいただいていたので、お渡しできませんでした。
会期中にいらっしゃる予定がございましたら、日時をお知らせいただければその日にお渡しさせていただければと思います。
っそく「お知らせ」した。「来週うかがいます、ひとり授賞式」



受賞作の展示風景が、ある人(ScouseKatsさん)ブログに載っていた。2枚目の写真の右だ。トリミングされているのか、横長だ。ScouseKatsさんによると、展示場所の茨城県三の丸庁舎は「薄暗くてあまり目立たない場所だ」そう。



空っぽになった研究室を確認したとき、少しばかり涙。離室式!?に同僚のSさんとKさんが同席してくれた。研究室から学芸大がよく見えた。



木が一本写っているので、「一木賞」と思っていたが、勘違いだった。一木は苗字。あの一木努(路上観察学会員+歯科医)さんが選んでくれたのだった。一木さん、ありがとうございます。

待てよ。もしかしたら、彼は自分の名前に関連のある作品だったから選んでくれたのではないだろうか。写真には木が一本写っているから。とすれば、今後は選考委員の名前に注目してエントリー作品を選ぶという手もあるぞ。訪水した際、担当のSさんに聞いてみよう。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...