2017/01/30

Aldrin 2017:名前に依拠するステレオタイプ

Assessing Names? Effects of Name-Based Stereotypes on Teachers’ Evaluations of Pupils’ Texts
Emilia Aldrin
2017
Names, Volume 65, Issue 1
Pages: 3-14
http://www.emiliaaldrin.com/research/

名前を評価しているの?:生徒の作文に対する教師の評価に及ぼす名前ステレオタイプ効果

【要旨】
 本研究が解明しようとするのは、名前の民族的および社会的なステレオタイプの効果である。その際、生徒の作文に対する評価が用いられた(スウェーデン)。高校の現職教員113名が実際の作文を一つ評価した。その作文には3人の男子のうちの1人の名前が書かれていた。それぞれ、ある特定の民族的ないし社会的ステレオタイプを喚起するような名前である。実験参加者は評価内容を説明し、作文の重要な特徴を回答した。回答には量的および質的分析の両方が適用された。その結果、つぎのような結論が得られた。名前によるステレオタイプは全般的にいまのスウェーデンの教員の評価にはほとんど影響しない。結果は一貫した、しかし小さな、有意ではないものの名前効果を示した。負の効果が民族的名前についてみられた。この効果が見られたのは教員が言語スキルを評価する際であり、その作文の他の特徴については見られない。社会経済的ニュアンスを持つ名前については、一貫した効果はほとんど見られない。本研究は、しかしながら、名前効果を限定する補償機構が存在する可能性も示唆する。

Abstract
This study investigates the effects of name-based ethnic and social stereotypes on teachers’ grading of pupils’ texts in contemporary Sweden. A total of 113 practicing Swedish high school teachers assessed an authentic pupil text with one of three male names inserted, each intended to evoke a certain ethnic or social stereotype. Participants also explained their grading and answered questions regarding key features of the text. Both quantitative and qualitative analyses were conducted. The study concludes that name-based stereotypes generally have little influence on teachers’ assessment in contemporary Sweden. Results indicate a systematic but small and not statistically relevant name effect. A negative effect can be seen with regard to an ethnically marked name. This effect is shown when teachers evaluate language proficiency, but not for other features of the text. Regarding socioeconomically marked names there is little systematic effect. The study also suggests, however, that there may be compensatory mechanisms limiting the name effect.

 名前に関する心理学研究はステレオタイプに関するものが多そうだ。教育場面では名前に帰因するピグマリオン効果が重要視されている。



Name stereotypes and teachers' expectations
Herbert Harari · John W. McDavid
1973
Journal of Educational Psychology
65(2):222-225
DOI: 10.1037/h0034978

Abstract
Predicted that teachers' evaluations of children's performance would be systematically associated with stereotyped perceptions of first names. Short essays actually written by 5th-grade students were presented for evaluation to 80 female teachers (age range 20-45) and 80 female undergraduates. Authorship of the essays was randomly linked with boys and girls with common, popular, and attractive names as well as with rare, unpopular, and unattractive names. As expected, the attributed quality of each essay was higher when essays were authored by names associated with positive stereotypes. This stereotype bias was more pronounced for experienced teachers than for inexperienced undergraduates, and the effect was clearer for boys' names than for girls' names.

First-Name Stereotypes and Expected Academic Achievement of Students
Susan D. Nelson
Psychological Reports
Vol 41, Issue 3
1977
http://journals.sagepub.com/doi/pdf/10.2466/pr0.1977.41.3f.1343

Abstract
This study explored Garwood's hypothesis that the expected academic achievement of a student is influenced by the stereotype associated with the name assigned to that student. The given names of 24 students were randomly chosen from the upper and 24 from the lower 10% of a small college population. The list was given to the subjects (45 students and 30 teachers) who were asked to place each name either in the upper or lower group. The names included in the honor group received higher ratings by the subjects than those in the remedial group.

 Implicit Bias and First Name Stereotypes: What Are the Implications for Online Instruction?
Conaway, Wendy; Bethune, Sonja
Online Learning, v19 n3 p162-178 2015
https://eric.ed.gov/?id=EJ1067526

2017/01/29

卒論の書き方15:「傾向」?

 仮説で「傾向」という語を見かける。

 「ゲームにはまっている人は社会への関心が低い傾向にある」

 「関心が低い」であれば、非ターゲット層と比較すれば、関心指標を設定すれば、「証明」できる。

 しかし「関心が低い傾向にある」となった途端、そもそも何を言いたいのかも不明だし、どうすれば証明できるのだろう。

 何を持って傾向とするのか。

 「傾向」ということばは日常的に用いられる。デジタル大辞泉にはこうある。
1 物事の大勢や態度が特定の方向にかたむくこと、または、かたむきがちであること。「最近の消費者の傾向」「彼は大げさに言う傾向がある」
2 思想的にある特定の方向にかたよること。特に、左翼的思想にかたよること。「傾向小説」
3 心理学で、一定の刺激に対して、一定の反応を示す生活体の素質。
 仮説に登場する「傾向」は1番目の用法だろう。この意味に従えば、基準点ないし中立点があって、そこからどちらかにふれることが「傾向」と読み取れる(ただし用例が怪しい)
 曖昧な語は研究者自身が定義するか、用いない、にこしたことはない。

2019年7月14日改訂

2017/01/24

題名に惹かれて

書名にある「橋を架ける」に惹かれて読んだ。

おもしろかった。たとえサッカーへの関心はなくても、だ。

木村元彦(1962年生まれ)さんの『橋を架ける者たち:在日サッカー選手の群像』集英社新書。

知らなかったことばかり。在日コリアンの選手の多さしかり、CONIFAしかり。

「在日というアイデンティティーは,日本の中に存在するもので、日本の外に出たら何も無い」鄭大世。

裏表紙の写真と書名がリンクしている。



本文中に、見たことのある名前が出て来た。「断片」の岸政彦さんだった。

2017/01/23

冬(の)物語

南さんが学部ブログに書いてくれた記事を読んでいたら、似た書名の本が書棚にあるのを思い出した。

 その記事は、シェイクスピアの『冬物語』(ちくま文庫)のすすめである。本書はかつて「冬の夜ばなし」として訳されていた。そもそも原題はThe Winter's Tale。南さんによれば、winters' tales、a winter's taleとは「長くて退屈な冬の夜に、暖炉のそばなどで語って聞かせるオハナシ」のことで、おとぎ話に近い。

 この記事のオチ?は、今月21日から静岡のSPACでの連続上演の紹介である(宮城聰演出)

 似た書名の本とは、イサク・ディネセン(本名は、カーレン・クリステンツェ・ブリクセン)の『冬の物語(1942年刊:横山貞子訳、新潮社、2015年刊)だ。家族が買った本で、版画(?)のカバーがすてきで記憶に残っていた。作者はAi Nodaさん、とある。さて、確かめると、この本の原題もWinters' tales

 帯の紹介が的確だ。

 「北欧の春は華やかに押し寄せ、美しい夏が駆け抜けると、長く厳しい冬がひたすらつづく。大自然のなかに灯された命の輝き」。

 横山さん(1931年生まれ)が「あとがき」で書く。

 「ナチス・ドイツ占領下の作品(本書)が当時のデンマークの人たちにどんな意味をもったか、それを想像できる年代に、私は属している」。

 訳者あとがきに、ディネセンの名前に関する記述がある。

 ディネセンの「最初の本『七つのゴシック物語』がアメリカで出版されたときには、イサク・ディネセンという男名前を使った」。1937年刊の第2作では「アメリカ版ではイサク・ディネセン、イギリス版とデンマーク語版ではカーレン・ブリクセン(本名の略)を使った」。イサクは、旧約聖書に出てくる人物の名前。「彼は笑う」という意味があるという。

 第1作は「無名のデンマーク人女性が英語で書いた作品である。イギリスで出版を断られ、今度は男名前のイサク・ディネセンという筆名で、アメリカの出版社に送った。『七つのゴシック物語』Seven Gothic Talesは、1934年に出版されると、たちまち広く読まれることになった。作者がじつは女性だったとわかると、本の評判は『さらに』高くなった」(二重カギカッコは引用者)

 第1作は女性の書いたものだからという理由で出版を断られ、男性名でアメリカに挑み、出版を手にする。第2作はアメリカでは同じ男性名、作家としてデビューを果たしたあとは女性名。そのあとに出たにもかかわらず、本書は男性名で出されている。なぜだろう。

2017/01/17

最後のゼミの最後

12時10分、いつものように2限終了のチャイムが鳴る。

 いつものように、軽くあいさつをして、教室を出ようとすると、学生たちが紙袋を手に近づいてきた。一目で袋の中身が見当がついた。花屋さんのロゴが印刷されていたからだ。しかし、袋と中身は違うかもしれない。
 
 違わなかった。中から出てきたのはあざやかなオレンジ色のブーケ。

 ありがとう。

2017/01/16

通訳者はなくならない

袖川裕美『同時通訳はやめられない』平凡社新書

 面白いエピソード、ショックな出来事がたくさん書かれている。なかでもショックだったのは、通訳者が戦犯として起訴された話だった。
 元の話は立教大学のシンポジウムで武田珂代子さんが講演した内容である。
第2次世界大戦では、通訳者(台湾・朝鮮出身者、日系アメリカ・カナダ人も含む)も戦犯として起訴された。信じられないことに死刑になった人もいる。起訴・有罪の理由は、捕虜・住民の虐待・拷問・殺傷、通訳しなかった、虐待や拷問をしていた部署に所属していたなどである。
戦争では、直接捕虜に接し、上官の「悪魔の言葉」を伝えるため、「可視性」があるのだという。
戦争時の通訳は、諜報・情報、プロパガンダ、捕虜の対応、休戦交渉、占領、戦犯裁判などにおいて、きわめて重要な役割を担う。と同時に大きなリスクも負う。
複数の言語を解することで、敵からも味方からも信用されず、スパイ、裏切り者の烙印を押されがちである。


折しもあろうに「法廷通訳問題だらけ ジャカルタ事件公判誤訳連発、内容鑑定へ」(東京新聞、2016年10月18日)

2017/01/14

暮す、ともに

皮肉な話だ。
半年前に起きた神奈川県での事件。「知的障害者」施設で19人が殺された。
そのニュースでは加害者の「障害者なんて……」という言葉が繰り返し報じられた。何度も同じ刺激にさらされることの効果は「慣れ」として、マスメディア効果として無視できない。かえって同種の事件を促す可能性がある。
自殺報道同様、防止を上位目標に置く報道ができないものだろうか。
バリバラ」の緊急座談会に500通強の手紙があり、その中には加害者に共感できるという意見もあったという(玉木幸則さんのインタビュー記事、東京新聞2017年1月14日「あの人に迫る」)。しかも、それは障害者と健常者の両方から。「何を言うてるかというと、『コスト』です」。「無駄なお金を使っているんじゃないか」と。
「どうして多くの障害者が一つの施設で生活せなあかんのか」。建て替えに70億円前後かかると言われているが、「それだけあれば一人暮らしの家やグループホームはいくつできるのか」。
他方、ある「高級」住宅地に障害者のグループホームを作ろうとしたら、地価が下がると反対運動。
子どもの頃住んでいた町内に、みんなから「めえさん」と呼ばれていた、いま思うと「知的障害者」がいた。通りを歩いていると、誰かしら声をかけていたし、みんな彼を知っていた。施設ではなく、家族と一緒に住んでいた。

障害を作るのは社会。その人にも合った状況をつくれば、障害は障害でなくなる。いろいろな人がいる中でともに暮す。


NPO法人「メインストリーム協会」(兵庫県西宮市)

2017/01/06

「ハーフ」じゃない、「ダブル」だ

表題は、2016年度朝日新聞「私の折々のことば」コンテストの最優秀賞受賞作。
受賞者は、ガリタ慧さん(中学 1年生)。
本文はこちら
・名前がきっかけで話しかけられることが多い。
・ダブルの片方であるコスタリカのことばであるスペイン語が話せない。だから「話せるようになりたい」。
当日の記事

2017/01/04

2016年度ゼミの卒制・卒論

今年度、ボクが世話した「卒制・卒論」は、以下の4点(過去の一覧はここ

  1. 映画離れは起きているか―映画との接触の変化から考える(論文)
  2. 若者の音楽離れは本当?―東経大生の音楽ライフ(論文)
  3. 人生における「壁」の乗り越え方(論文)
  4. 写真「未来視線」(制作)

 1と2は、映画(館)と音楽、とそれぞれ研究対象が異なるものの、世間で語られていることと、本人の実感とのずれを追究した論文である。結論は、映画離れも「音楽」離れも起きていない。ただし、前者は人気作品に依存し、後者は有料音楽「離れ」は見られるという。 「有料音楽」離れはアーティストにとって深刻な問題であり、このまま行けば、いずれ音楽が聴けなくなる日が来るかもしれない、と危機を訴える。

 3は、「人生の壁」を経験した本人が、その壁をどうすれば乗り越えられるのか知りたく、そのヒントになりそうな本を数点読み、そこから乗り越えかたを説いたもの。壁は、その人にとっての壁であり、見方次第で超えられると締めくくられている。中身の性格は制作と論文の中間。

 4は、東経大生の目を撮影し、その何十枚もの写真で構成した作品。被写体になった学生は、数十枚もの中からすぐに自分の目を見つけられる。作者は視線の先に「未来」があるという。

匿名のままでは死ねない

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