2017/03/31

本当の受賞作

一木賞授賞式と藤森照信展で水戸芸術館へ。

授賞式では総会担当?のSさんが代読してくれた。イラスト付き賞状に加え、『建築の忘れがたみ』、さらに一木さんの地元の展覧会チケットをいただいた。会場の工房には南伸坊賞を受賞した小学生もいて、拍手してくれた。

あとで町中に見に行ったら、彼の作品は「きゃーーー」。「足元注意」の看板にある人物の足元がはがれている。自らの足元に注意というわけだ。いい物件を探している。

さて。藤森さんの作った建物の写真は大半が茅野市美術館蔵。ここへ行けば全部見られるのかと思ったら、常設展示はされていないらしい。ここでちゃんと見ておくしかない。写真でもじゅうぶん迫力は伝わって来る。

今回の展示でうれしかったのは、藤森建築の技法紹介。

「ほうき」漆喰塗りを素人が塗るとき、一番のおすすめはホウキ仕上げ。
「銅版の四半」自然素材に合う工業製品は銅版。手で加工でき、風化が美しい。
「ステンシル」壁画を落書きのように書くなら、この技法がいい。

彼の卒業作品は橋がテーマだったことも初めて知った。

さてさて肝腎の受賞作品。ずっとこれだと思って疑わず、Sさんといろいろ話した。ただ展示状況の写真を見ると、ボクの撮った写真は正方形なのに対し、これは横長。向こうでトリミングしたのかと思っていた。でも、そんなことはふつうしない。

ボクの作品は常陽銀行泉町支店のショーウィンドウにあった。そこに飾られていたのは「イナバウアー」ではなく、上の写真。びっくり。

タイトルは「はい、わかりました」にしたが、アフォーダンスのいい教材になりそうなドアの手元を写したものだった。何回も塗り重ねられたようすは大切にされていることも伝わって来る。では、あの写真は?

三の丸庁舎に展示されていた、その写真は「背面跳び」と題され、別の人の作品だった。偶然、同じ場所で撮った人がいた。ただタイトルの発想だけが異なっていた。

Sさんと話していて、受賞作に話題が飛んだとき、怪訝そうな顔をしていた理由がわかった。

2017/03/29

Tausczik et al. 2016:秘密

Yla R. Tausczik, Cindy K. Chung, James W. Pennebaker
Tracking Secret-Keeping in Emails
http://www.aaai.org/ocs/index.php/ICWSM/ICWSM16/paper/view/13107/12758

マーキュリー2世‏ @uranus_2  1月3日
重要なことを秘密にする前からメールの頻度や単語の使用法が変わり、秘密を持った後も変わったまま。秘密を持つとコミュニケーションは減少するのではなく、増加する。

2017/03/27

#BeautifulName

#BeautifulNameの連載が「毎日新聞」朝刊で、きょうから始まった。
自分の名前について世界各地の人が語る一言。
本人の写真もついている。
https://mainichi.jp/ch170361613i/BeautifulName
https://twitter.com/hashtag/BeautifulName?src=hash

2017/03/26

詩集完成

先日の最終ゼミで書いてもらったコミュニケーションポエムの冊子が出来上がった。

A6判、24ページ、ハンディサイズ。タイトルは、『2017年3月11日。23人の詩人が「コミュニケーション」を詠う。」にした。

28日に印刷、手渡し、郵送は29日以降に。

2017/03/23

「一木賞」受賞

究室を明け渡し、帰宅すると、朗報が届いていた。
年11月のワークショップで撮影した作品「レイバック・イナバウアー」(左写真)が一木賞を受賞。

下は、その朗報の抜粋。
さて、K様は、ご提出いただいた水戸路上観察学会(ワークショップ)の物件写真で一木賞を受賞されました。
総会出席者の方には壇上にて賞状と記念品を贈呈させていただいたのですが、K様は欠席のご連絡をいただいていたので、お渡しできませんでした。
会期中にいらっしゃる予定がございましたら、日時をお知らせいただければその日にお渡しさせていただければと思います。
っそく「お知らせ」した。「来週うかがいます、ひとり授賞式」



受賞作の展示風景が、ある人(ScouseKatsさん)ブログに載っていた。2枚目の写真の右だ。トリミングされているのか、横長だ。ScouseKatsさんによると、展示場所の茨城県三の丸庁舎は「薄暗くてあまり目立たない場所だ」そう。



空っぽになった研究室を確認したとき、少しばかり涙。離室式!?に同僚のSさんとKさんが同席してくれた。研究室から学芸大がよく見えた。



木が一本写っているので、「一木賞」と思っていたが、勘違いだった。一木は苗字。あの一木努(路上観察学会員+歯科医)さんが選んでくれたのだった。一木さん、ありがとうございます。

待てよ。もしかしたら、彼は自分の名前に関連のある作品だったから選んでくれたのではないだろうか。写真には木が一本写っているから。とすれば、今後は選考委員の名前に注目してエントリー作品を選ぶという手もあるぞ。訪水した際、担当のSさんに聞いてみよう。

2017/03/22

卒業生へのメッセージ

きょうは卒業式
昨日と打って変わって好天。
学位記授与も終え、各種表彰式も終わり、最後に教員が一言ずつ話した。最初の方でN先生が「自侍」にふれたら、その後、何人かの教員が立て続けに言及。心の琴線に触れたようだ。
最後にボクのところにマイクが回ってきた(以下は、若干補足している)
何を話そうか迷いつつ、誰もふれなかったことを優先した。
「コミュニケーション学部の出身者が他学部の出身者と違うとすれば、それはことばに意識的であること。今後は学生時代以上にことばづかいが重要になる。大事な局面ではなおのこと。いっけん厳密に書かれているように見えても、『……など』が付いた瞬間、それまでの限定は用をなさなくなる。この一言でなんでも含まれてしまうからだ。使う側は便利だから使う。予算書を書く際、たとえば「用紙など1万円」としておけば、その金額内であれば、用紙以外のものも買える。なかでも法律は『など』の多い世界。条文で『など』を見かけたら要注意。極端な話、なんでも法律の対象になってしまう。もちろん、ふつうに書く文章でも使わないにこしたことはない。どうしても使いたくなったときは、使わなくて済むよう、できるだけ列挙するとか」と実用内容。

最終講義

最終講義の公式打診を受けたとき、そういう柄ではないので、と辞退した。

すると、後日、学生たちはそんなことを知る由もなく、最終ゼミをお願いします、と既に決まったプランを持ってやってきた。卒業生からも頼まれたらしい。その後、長らくやって来た研究会からも研究報告を、と持ちかけられた。

柄ではなくても、両方とも引き受けることにした。以前、最終講義を聞きたかった人に頼んだことがある。その人(複数)から「私はそういうタイプではないので」と断られ、とても残念な思いをしたからだ。

前者は3/11に実施、こちらは教育編。題して「コミュニケーション学にできること」。合間にマンションポエムならぬコミュニケーションポエムを書いてもらったので、もっか冊子にすべく編集中。

後者は1週間後の3/18で、「CMC研究昔ばなし」と題した研究編。参加者同士、旧交をあたためてもらえたら本望だ。

ぜいたくな機会をもらった。言い残したことはもうないぐらい。

2017/03/21

卒論の書き方16:「&」表記

並立で書くとき、「や」か「と」を使う。英語で言えば「&」。

「と」でもいい場合は「と」にした方が締まる。限定的になるからだ。

英語では、並列を「a, b, and c」と書くが、日本語は「aやb、c」のほうがしっくり来る。

「a、bとc」では、aで句が終わるのか、それとも並列で続くのか、すぐにはわからないからだ。

ついでに書くと、inやon、versusを日本語にするとき、「と」が座りのいい場合もある。またorは「あるいは」ではなく「や」とすると落ち着く。

2019年7月14日改訂

2017/03/19

パラダイムシフト!?

日の懇親会に集まってくれた人たちのことを思い出しながら、そして遅ればせながら、気づいたことがある。
れは「類は友を呼ぶ」のもう一つの解釈だ。
似性は、いうまでもなく、対人関係の重要な形成要因である。社会心理学の教科書でもそう説明される。つまり共通点ないし類似性には対他効果がある。だが、それだけではない。共通点や類似性には対自効果もある。
まり、こういうことだ。
い頃、友人たちの、とりわけ近しい人の活躍はまぶしく、うらやましくもあった(上方比較)。だが「類は友を呼ぶ」原理に立てば、友人たちはボクの分身であり、同時にボク自身でもある。友人たちは自分でもある。そう思えば、かれらを応援するしかない。身勝手すぎっ!?

話の差分

 昨日、WebLab Meetingで、ボクの送別会を開いてくれた。最終講義はする予定がなかったので、その代わりに、と北村さんたちが企画してくれた。

 前半は「CMC研究昔ばなし」と題しての講演。後半は懇親会。

 さて質疑応答の時間に、Fさんから「10年後のネットは?」と質問を受けた。知りたい気持ちはわからないわけでもないが、やはり「わからない」としか言えない。ネット以外の要因が不変であれば、技術可能性のみで答えられるのもしれないが。となれば、技術屋さんマターかな。

 その後で、Kさんから、わたしがF質問に関連して「(10年後)どうなるか、よりも、どうしたいかが大事」と答えたのを受けて、「どうしたい」と思っていますか?と返されてしまった。そのときは、「どうしたい」の中身よりも「どうしたい」という意志を持ち続けることが大事だと思っていたので、とっさには答えられなかった。いま思うと、中規模コミュニケーションの保証と言えばよかったかなと。「半径1mのミウチ」でもなければ、「大所高所でもないコミュニケーション」の追い風になるような環境づくり。

 「デジタル・パラドックス」、つまりデジタル技術の進行は社会や日常生活をアナログ化しつつある、と話したことに対しても質問があった。途中の思考経過を省いたので、伝わりにくかったようだ。ここでいうデジタルとは、物理的障壁の撤廃、シームレス、ボーダーレスをさす。

 文字も写真も動画も音声もデジタル技術によって境界がなくなった。こうした変化は、いっけん好ましいように思えるが、実は、境界があったからこそ私たちは生きてこられたのではないだろうか、という気がする。

 ボクは、サイトを開いたとき、メニューにリンク集を置いた。そのタイトルを「分散する知・情・意」とした。だが、その後の現実は「結束する」知情意、「切れ目のない」知情意となっている。知情意間も切れ目がなくなりつつある。感覚レベル(厳密には視聴覚か)はもとより、時間的にも空間的にも切れ目なし、節目なし。

 レヴィンの公式は、人間行動をこう規定する。
 B = (P, E) 

 人間行動Behaviorは、当該人物(Person)と、その場(E:環境)の関数であるという見方だ。

 デジタル化(大雑把に言って、情報のデジタル表現による一元化や、モバイルによるanytime, anywhwhereコミュニケーション)は、人間行動に占めるEを弱め、相対的にPを強めた。結果として、「しんどい」状況を生み出している。まあ乱暴な論理です。



岡田さんの感想ツイート
 こういう受け取り方があるとは思いもしなかった。ついでにいえば、研究は共同研究ばかりで楽しかった。



当日配布した冊子
(右冊子の内容は「初版/第1刷ユーザーのみなさんへ」と題した差分ファイル。構成は、1.『電子ネットワーキングの社会心理』第4刷 (2010) あとがき、2.『ウェブログの心理学』第2刷 (2012) 著者略歴、3.『インターネットの心理学』原著普及版 (2001) まえがきと、The psychology of Internet 2nd edition (2016) の構成)

 

2017/03/18

名前どおり……9 「亡くなった人の分も」

「大震災翌日誕生 6歳の歩み力強く前へ」抜粋

河北新報 2017年3月18日

 東日本大震災翌日の2011年3月12日に生まれた宮城県利府町菅谷の内海堅靖(うちみけんじょう)(6歳)が18日、町内の保育園を卒業した。ライフラインが途絶える中でのお産で一時仮死状態になったが、医師らの懸命の努力で命をつないだ。後遺症で脳性まひなどがあるが、保育園や町などのバックアップを受けて、2年間通園した。友だちに囲まれて心身ともに大きく成長し、4月からは小学校に進む。

 3月11日夜、震災の影響か、母理英子さんは予定日より10日早く産気づいた。到着した町内の病院は停電と断水が続いており、難産に悪条件が重なった。12日午前に帝王切開で誕生したが、一時危険な状態になり、保育器の代わりに、病院職員が堅靖君を懐に入れて温めた。緊急出産の連絡は町役場にも入り、町職員が出産に必要な水を病院に届けるため奔走した。

 「厳しい環境で、医療現場の皆さんには最大限のことをしてもらった」と父貴史さん。堅靖君は、脳性まひとウエスト症候群と診断された。震災発生直後の混乱の中で助かった命。「亡くなった人の分も力強く生きてほしい」。家族は強い願いを、3人きょうだいの末っ子の名前に込めた。

全文

学部の送別会

教授会の後、同僚たちが送別会を開いてくれた。
そのようすを企画者の一人である中村さんがうまく記事にしている。ので、リンク。

特製ケーキ「”Forever Young”はじまりの日」

送別会は、先日の院生OBで始まり、学部生、学部、そして18日の研究会、28日の大学と続く。おかげで花が絶えない。



6年前の教授会は3月11日(第2金曜日)。この日、林先生の送別会をする予定だったが、中止するしかなかった。

2017/03/17

田中宣一さんの名前論

NHKラジオでこんな番組があります。
知り合いからの情報です。

[NHK第2] 21時-21時30分「私の日本語辞典」
名づけ的命名と名のり的命名(全5回)

 学生時代から民俗学に興味をもち、「年中行事」の研究で国内各地を訪ね歩いてきた田中さん(成城大学名誉教授)。独特な行事名や用具の名称、地名などに関心を持つようになり、名前のつけ方、命名には「名づけ的命名」と「名のり的命名」があるのではないか、と考えるようになったという。第1回では、過去の地名などの研究について、柳田國男、渋沢栄一、谷川健一など先人たちの行政を紹介しながらすすめる。

第1回 3月4日(土)
第2回 3月11日(土)
第3回 3月18日(土)
第4回 3月25日(土)
第5回 4月1日(土)

再放送は翌週土曜15時10分から。
ラジオを録音する装置がないぞ。明日もきっと聞けない。
以下の論考でフォローできるかもしれない。

田中宣一 (2001) 「名づけ」と「名のり」:命名研究の一視点 日本常民文化紀要, 22, 45-74
[PDF] https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=474&file_id=18&file_no=1

田中宣一 (2014) 『名づけの民俗学』吉川弘文館



2017/03/10

名前の意味を本人が語る

「私の名前の意味は……米大学で中国名の表札はがされ」
BBCニュースJapan 2017年3月10日
http://www.bbc.com/japanese/video-39227883

ニューヨーク・コロンビア大学の学生寮で2月、中国人学生の部屋の表札が、次々とはがされる問題が相次いだ。自分たちが人種差別の標的にされていると危機感を抱いた学生たちが、自分の名前の意味を説明するビデオを作ったところ、インターネットで広く話題になった。学生たちに、それぞれの思いを聞いた。



「中国人留学生の表札が引き裂かれる、人種差別的な嫌がらせに動画で対抗『われわれの名前は美しい』―米国」
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20170213/Recordchina_20170213040.html
レコードチャイナ 2017年2月13日(2017年3月10日 23時22分 更新)

2017年2月12日、「私の名前はHai Ge、意味は『海の歌声』です」。米コロンビア大の中国人留学生が次々に登場し、自分の名前の由来を英語で語る動画が注目を集めている。発端は同大の学生寮の中国人留学生の部屋に掲げられていた表札が何者かによって故意に引き裂かれた事件だ。中国新聞網が伝えた。

件が起きたのは中国が新年を祝う旧正月と重なる。ズタズタにされた表札は明らかに中国系の名前を狙ったものであることが判明し、中国人留学生から非難の声が上がった。

画製作者の一人、中国人留学生の海歌(ハイ・ガー)さんは「中国人の名前の多くは両親らの願いが込められた特別なもの。その深い意味をリスペクトしてもらうため、私たちの名前の美しさを伝えたい」と話している。

の動画はすでに1000万人以上の支持を集めている。(翻訳・編集/柳川)



ビデオは、Why is your name important to you? で終わる。

2017/03/08

いまごろになって

過去の著作を検索していたら、こんな記事がヒットした。

http://ci.nii.ac.jp/els/110002785257.pdf?id=ART0003124494&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1488973548&cp=

(1)川康至(編集), 「メディアコミュニケーション」, 『現代のエスプリ』306, 1993年1月, 至文堂, (2)LADYSTRANGER(野戸美江・本田成親), 『電子ネットワールド』, 1993年4月, 新曜社, (3)川上善郎, 川浦康至, 池田謙一, 古川良治, 『電子ネットワーキングの社会心理』, 1993年4月, 誠信書房, (4)山田冨美夫, 小浜満広(編著), 『パソコン通信の心理学』, 1993年5月, 信山社出版, (5)佐藤毅(編集), 「情報化と大衆文化」, 『現代のエスプリ』312-, 1997年7月, 至文堂, (6)宮田加久子, 『電子メディア社会』, 1993年8月, 誠信書房, (7)川浦康至(編集), 「コンピュータ文化の現在」, 『現代のエスプリ』319-, 1994年2月, 至文堂, (8)川崎賢一, 往住彰文, 川浦康至, 高木晴夫, 遠藤薫, 橋爪大三郎, 安川一, 『メディアコミュニケーション』, 1994年10月, 富士通経営研修所, (9)川崎賢一, 『情報社会と現代日本文化』, 1994年11月, 東京大学出版会
「社会心理学研究」10(3), 230-232, 1995

書評だ。初めて目にする。なぜ気づかなかったのだろう。しかも、掲載誌は「社会心理学研究」。ボクも会員だし、届いているはず。評者は、上笹恒先生。

先生には、生前、何度かお会いする機会はあったのに、この書評を知らなかったのだから、お礼なんて、そもそも思いつかない。しかし、この頃、プロモーションの話があったのを思い出した。大学名もいまとなっては忘れてしまった。

奇しくも命日が近い。17日だ。



CiNiiのこの書誌情報、川浦が川になっている。どこに言えば直してくれるのだろう。

2017/03/06

人はなぜ名前に見合う風貌になるのか

「人はなぜ名前に見合う風貌になるのか」
イスラエルとフランスの研究者が共同調査

WSJ
http://jp.wsj.com/articles/SB11016046573155394914104583005500717567048

著者 DANIEL AKST

 生まれた赤ちゃんの名付けに悩む人は多いが、ヨナ・ゼブナー氏の悩みに比べればそれほどでないかもしれない。近く母親になる同氏にはとりわけ悩むべき理由があった。なぜなら、同氏自身の研究で、人が名前に似た風貌になることが示されていたからだ。

 同氏はイスラエルのヘブライ大学とIDCヘルズリヤ大学、およびフランスのビジネススクール「HECパリ」の研究者らと共同で、一連の興味深い実験を行った。被験者にある人の顔写真を見せ、4つないし5つの選択肢の中から正しい名前を選ぶよう求めたのだ。

 すると、偶然よりかなり高い確率で正しい名前が選ばれたという。研究チームが名前の「手掛かり」になるもの、例えば人種、年齢や社会経済的な要素を調整した場合も結果は同様だった。また、名前と顔のデータベースがプログラムに組み込まれたコンピューターでも同様の結果が得られたという。

 ある実験では、イスラエルの被験者に若者25人の中立的な写真を見せた。写っていたのはイスラエル生まれの成人で、一般に多く見受けられる名前(ニックネームではない)を持つ人たちだ。被験者は、若い男性の写真を見せられ、名前がヤコブ、ダン、ヨセフ、ネタネルのうち、どれだと思うか質問された。その結果、正答率は30%と単純に予測した場合(確率は4分の1なので25%)より高かった。

 なぜ、このようなことが起こるのか。人々は特定の名前と、特定の顔および性格の特徴とを結びつけている。そして、このような特徴が十分に多く存在するため、単純な予測確率を超えられたとみられる。ゼブナー氏らは、写真に写っていた人が乳児の頃に見かけによって名付けられたという可能性を排除する。なぜなら、乳児は大人に比べれば風貌に大きな差はなく、誕生前に名前が決められていることも少なくないからだ。研究チームは、顔が与えられた名前を反映するようになる公算が大きいとみている。

 ゼブナー氏は、これが恐らく2方向のフィードバックプロセスによるものだと指摘する。子どもに対する人々の反応は、名前と関連する既成概念の影響を受ける。そして子どもは人々の反応に対し、それらの特徴の一部を帯びることで対応するというプロセスだ。

 チームは、一連の名前と写真から生じる偏見の排除に努め、何がチームの出した結果を説明し得るかに腐心した。ある実験によると、被験者は、写真に髪型しか写っていなかった場合でも、単純な予測の確率(25%)より正しく(33%)名前を言い当てることができた。大人は自分自身で髪型を選ぶため、この結果からは、人々が無意識のうちに名前に関連づけられた期待に沿うようになることが裏付けられるとチームは指摘する。

 偏見をさらに排除するため、研究チームは約9万4000枚の画像データベースを学習させたコンピューターでもテストを行った。コンピューターに新たな画像を見せ、2つの選択肢の中から正しい名前を選ぶよう求めた場合の正答率は59%と、単純な予測の50%(確率2分の1)を上回った。コンピューターは、名前の選択の際に最も影響した顔の部分のヒートマップ(データを色で区別して視覚的に識別できるようにしたグラフ)も作成した。すると、選択に最も影響した部分は口と目だった。つまり、表情によって最も影響を受ける部分だった。

 人(被験者)を対象とした結果は、イスラエルとフランスで行われた実験によっていずれも支持された。だが、イスラエルの被験者がフランス人の写真を見ても、名前(ローラン、ベロニックなど)の正答率は単純な予測確率を上回らなかった。これは、フランスの被験者がイスラエル人の写真を見てヘブライ語の名前の中から当てようとした際も同様だった。被験者は別の文化の名前に対する連想を持たない。このため、顔の手掛かりを使って正しい名前を言い当てることができなかったのだ。

 先月に娘を出産したゼブナー氏は「わたしにとって、彼女の名前を付けるのがいかに難しかったか想像できるでしょう」と話す。結局、ゼブナー氏は娘にライラックと名付けた。既に周りの人たちは、娘にこう言ってあやしているという。ライラックは将来、美しい花を咲かせ、甘い香りを漂わせるだろう、と。

出典:“We Look Like Our Names: The Manifestation of Name Stereotypes in Facial Appearance,” Yonat Zwebner, Anne-Laure Sellier, Nir Rosenfeld, Jacob Goldenberg and Ruth Mayo, Journal of Personality and Social Psychology (Feb. 27)



選択肢としてあげられた名前の出現率は等しいのだろうか。論文を読んでみるか。結果は後日。


Rogerson, 2016:赤ちゃんの名づけにおける月や祝日、大統領の誕生日の影響

トランプ大統領の誕生日は1946年6月14日。
今年はどうなのだろう。社会経済地位や地域による差が大きそう。



「赤ちゃんの名前選択における月や祝日、大統領の誕生日の影響」

米国大統領にちなんだ名前を赤ん坊に付ける傾向はよく知られている。あまり知られていないことに、以下のことがらがある。それは、赤ん坊が大統領の誕生日に生まれた場合、大統領にちなんだ名前を付ける人が増えることである。本論文は、その傾向の検証に加え、さまざまな祝日や誕生月にちなんだ命名の増加傾向をとりあげる。分析にはSSDI(社会保障死亡指標)が用いられた。そこには、1935年から2014年までに亡くなった9千万人強の記録が含まれている。数万人の人がジョージ・ワシントン(1732年2月22日生まれ)にちなんで名付けられていた。そして、その年のいくつかの月にちなんだ名前もあった。他の何人か大統領にちなんで付けられた赤ちゃんの人数は、それより少なかった。同様に、いくつかの祝日や月にちなんだ名前も少なかった。

Abstract

The propensity to name babies after US presidents is well known. Less well known is the magnitude of the increased propensity to name babies after presidents when those babies are born on the president’s birthday. In this article that propensity is evaluated and, in addition, the increased propensity to name children after various holidays and months is also assessed. The analysis makes use of the Social Security Death Index, which contains records of over 90 million deaths occurring between 1935 and 2014. Tens of thousands of individuals have been named after George Washington and also after some months of the year; smaller estimates of the number of babies named after selected other presidents on their birthday, as well as those named after several different holidays and months, are also provided.

The Effects of Months, Holidays, and the Birthdays of Presidents on Choice of Baby Names
Peter A. Rogerson 2016
Names, 64,(4), 234-241

2017/03/02

自宅のネット環境

2002年にフレッツADSLを契約、2005年に無線化。以来使ってきた無線LANルーターが繋がるまでに時間がかかるようになり(夜間は切っている)、先日、買い変えた。IOデータの最下位機種。安くて小さい。

旧ルーターからボタン一つで設定が転送できるというので、楽しみにしていたのだが、何度か試みたものが成功しない。結局、設定は手入力で行った。

しかし、設定は一度限りのこと。デフォルトでいろいろ設定済みなのか、とりあえずであれば、入力事項はプロバイダー情報だけ。消費電力も11Wから3Wにダウン。タイマー機能も付いている。これで3千円を下回る。

スピードも速くなった。

2017/03/01

大学の姿

大学はすべて芸大がいいかもしれない。と思わせる『最後の秘境 東京藝大』。

いまや学内に産学連携センターができるほどの状況だが、浮世離れしていてこそ大学。と思う身からすると、芸術系大学を最後の秘境にしたら、まずい。

「学芸」arts and sciencesとは言い得て妙だ。日本では、これを教員養成系大学の名称に適用してしまったために、狭く解釈されているかもしれないが、学芸、芸学の発想は大学にふさわしい。大学で無理なら、学部レベルで実現する。

名前の話が出てくる。

「ある時、坂本龍一さんの曲を知って、名前が同じということもあって、憧れたんですね。それで今は作曲家を目指しているんです。夢は大きく、アカデミー作曲賞を二回取ること、って思ってます」。1度だけでも大変だが、2度受賞者は最近でもいる。

ハワード・ショア(「ロード・オブ・ザ・リング」と「王の帰還」)グスターボ・サンタオラヤ(「ブロークバック・マウンテン」と「バベル」)

歌手→小説家→お笑い芸人→ピアニストと「迷走」してきた、作曲科3年の小野さんの話。



インタビューの教科書にもなっている。抽象的質問では抽象的答えが返ってくる。そこを著者はつっこんだ質問をする。

匿名のままでは死ねない

 「最期は本名で迎えたい」 TBSニュース 連続企業爆破事件の「東アジア反日武装戦線」メンバー 桐島聡容疑者(70)とみられる男の身柄確保 末期がん患う 警視庁公安部  名前を明かして存在証明。