2017/08/30

さいしょの一言

はじめて入ったお店なのに、初めてという感じがしない。そんな経験をした。

いつも寄る、ランチだけのお店(12:00-14:00)。当日分がすでに売り切れ。付近で探すはめになった。少し進むと、うどんの看板が目に入った。本当はお蕎麦がいいのだけれど、時間もなく、そこに入った。戸を開けるとカウンターだけのお店だった。

「きょうはうどんにしますか、そばにしますか ?」とお兄さん。うれしい。おそばがあるじゃないか。
「おそばで」
すると今度は、「あたたかいのにしますか、冷たいのにしますか ?」
「冷たいので」
すると「もりですか、ざるですか ?」
一問一答式で注文が進み、ターゲットが絞られていく。

「ざるで」と頼むと、そこから母親らしき人にバトンタッチ。
「何かのせますか ?」
目の前に積まれていたかきあげを注文した。
つづいて、「汁につけますか、お皿にしますか ?」
「お皿で」
すると今度は「かきあげ、切りますか ?」
大きく、食べにくいのが掻き揚げ。「はい」と答えると、半分に切ってくれるらしい。こんなやりとりは初めての経験だ。試しに切ってもらうことにした。
これで、完了。あとは待つだけ。

次に入ってきた客も同じように聞かれていた。

はじめて入ったにもかかわらず、「きょうは……」と声をかけられると、いつも来ているような錯覚に襲われる。掻き揚げは冷たかったが、店の雰囲気はよかった。

飛行機や電車に乗ると、「きょうも◯◯をご利用いただき、ありがとうございます」と流れる。当初は「きょうは」だった。気が付くと、「は」は「も」に変わっていた。どこかで注文が入ったのだろうか。リピーターもいるのだから、「は」ではなく、「も」にすべきではないか。どんな人にも通用する、簡単なあいさつは「◯◯をご利用いただき」で始めることだろう。

以前、ある大学が「父が勧める◯◯大学」と宣伝したら、父だけというのはおかしいとクレームがついたとかで、「父も母も勧める」(だったかな?)に変わった。これも「親が」にすればよかっただけのこと。限定すればするほど、ややこしくなる。

2017/08/29

怒りを示さなければならない

荒井裕樹(ゆうき) 「相模原障害者殺傷事件」への「怒り」は足りていたか
情報・知識&オピニオン imidas(集英社)

この論考を中島岳志さんの「論壇時評(東京新聞夕刊)で知った。

表題にもあるように、荒井さんは、あの事件に対する「怒り」不足をつく。なぜ、怒りの「熱量」が上がっていないのか。文中で障害者運動家の故横田弘の怒りに言及する。

彼の怒りの特徴の一つは共生のための怒り。もう一つは空気を読まなかったこと。

荒井は、怒りと憎悪の違いを強調する。憎悪は相手を拒絶する感情、怒りは相手を認め、つながることを意図している。



ボクは、もしかしたら、その人かもしれない。ボクを含む誰もがその人かもしれない。ならば、「その」人に対して、誰が憎悪できよう。怒りはありえても、憎悪はありえない。自分を憎悪することになるのだから。

同じような問題を共感で解こうという人もある。しかし共感と言った途端、能力が問われる、共感能力として。能力とは個人のもの。その力量には個人差がある。そんなものに期待はできない。「もしかしたら、私かもしれない」。



「空気を読まなかった」であることを思い出した。先日発表された内閣府の生活に関する世論調査である。満足していると答えた人の割合が過去最高だという。調査は対面式でなされている。目の前の調査員に「不満」と答えたら悪いだろうなあ。空気が読めない人と思われたくない。と思う人が増えているのかもしれない。もとより否定的な回答はしにくいもの。それを後押ししたのがこうした気持ちではないだろうか。

2017/08/26

矢印展

富山県美術館の目印と矢印
2017/08/26(土)~2017/10/22(日)

 富山における「ロングライフデザイン」をご紹介する「D&DEPARTMENT TOYAMA GALLERY」。16回目の企画展となる今回は、2017年8月26日(土)に新たに開館する「富山県美術館」における「サインデザイン(=目印・矢印)」を取り上げます。

2017/08/13

宿題提出

8月中旬までの原稿が完成。

1. マクロン大統領に関する小文(商業出版物)
2. 駅の自動放送に関する小文(同人誌)

これで原稿の仕事は一段落。

翻訳の企画が通れば、それが始まる。2009年に『モノの意味』を出したとき、これで翻訳はおしまいにしようと決めていたのだが、つい手をあげてしまった。益はともかく、労ばかりが翻訳。だが、書き下ろしするだけの力がないのだから、仕方がない。さて、悪夢になるか、吉夢になるか。

2017/08/06

日曜の符合

毎日新聞の「サラリーマン川柳第一生命

君の名は ゆとり世代の 名が読めず
くまねこもも(35歳、女性)

これと符合するかのような、きょうの朝日新聞「折々のことば(鷲田清一選)

大切なのは、名前じゃないよ。つけた名前をどれだけたくさん呼ぶかさ。
原 正和

出典は『お父さんと お話のなかへ』の「10月の話:ポットラッチがつけた名前」。本来の趣旨は本紙を読んでもらうしかないが、「呼ぶ」だけに注目すると、こうも言える(我田引水)。名前は読めないと呼んでもらえない、と書けば十分だろうか。人からたくさん呼ばれるためには読めることが前提。



Mac OS Xのアップデートファイルが1.5ギガほど。ADSLでダウンロードしたら、えんえん1日かかった速度を測ったら、早い方で0.3Mbps、YahooのADSL。自宅は6Mpbs)。あまりの遅さに問い合わせると、収容局からの距離が4kmだという。参った。職場だと少なくとも20Mbpsは出るだろうから、数分で終わる(あれっ? 計算がおかしい)。ありがたかった。

2017/08/05

「ピカピカの17歳」

−−名前のことをうかがいます。詩(うた)にお兄さんは一二三。ふたりともユニークな名前ですね。
阿部 5歳上のいちばん上の兄の名前は勇一朗です。お母さんがはじめ「金太郎」っていう名前にしようとしたら、お父さんがそれはあかん! と。一二三はどうしてだろう? 知らないです。私には、お母さんが「ななみ」ってつけたかったらしいけど、お父さんが私の顔を見て、“この子は詩や、詩って顔をしている”と言ったそうです。自分の名前? 好きですよ。

阿部 詩「どの試合も負けたくない! 」
つるとはな第5号から。



あすは鳥の巣箱作り。

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...